僕がまだ若いころに取材した足利幼女殺人事件。
寒々とした北関東の空っ風が吹きすさむ中で
菅家さんが逮捕され、取材した記憶があります。
その当時は、宮崎事件の余韻も覚めやらぬ時代状況の中、
幼女が足利近辺で
複数殺されていたり、ミッシング状態になっていることは
ものすごく不気味な感覚がありました。
その事件が幼稚園バス運転手という職業の
菅家さんが逮捕されたことで
さらに衝撃を受けるニュースとして報じられました。
僕がこの取材に関わったのは
ほんの数日だったこともあり、
恥ずかしながら
その後
長らく関心を持っていませんでした。
DNA鑑定という最新の鑑定が
「確立」されたものであるという
僕自身の誤認もありましたし、
東京から中途半端に遠い足利という
利便性の問題もあり
自分の中での取材の優先順位を下げた気がします。
同じ北関東でも犯人未解決の
「悪魔の詩殺人事件」とは
僕の中での関心度は大きく違っていました。
90年代の後半になってこの事件の
再鑑定を弁護側が求めていることや、
さらに当時のDNA鑑定を
技術的に疑問視する声が
一部の法曹関係者からあがっていることは
気になっていました。
その後、小林篤さんの著作
『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか?』
草思社ISBN 978-4794210234が
2001年に出版され、
この本の内容を読んでも
DNA鑑定が間違っているの可能性が
高いことは認識していたつもりでした。
2009年5月8日の『毎日新聞』には
弁護団が
再鑑定を再三提出していたにも関わらず
裁判所は無視し続けていた実態が
語られています。
=============================================================
佐藤弁護士らが日本大医学部の押田茂実教授(法医学)を訪ね、
再鑑定を依頼したのは97年。
同教授は当初、「結果は同じ。やめたほうがいい」と固辞したが、
弁護団から鑑定の画像を見せられ思い直した。
元々精度が低い測定方法なのに、
読み間違いが起きそうな部分の画像が不鮮明だった。
「やってみる価値はある」。
刑務所で服役している菅家受刑者の毛髪を
封筒に入れて郵送させ鑑定した。
結果は4本とも科学警察研究所の結果と異なるものだった。
弁護団は、上告審の補充証拠として、
さらに02年の宇都宮地裁への再審請求で、
この押田鑑定を証拠提出したが、
いずれも実質的に検討されることはなかった。
押田教授は「裁判所が早く再鑑定していれば、
15年の公訴時効(足利事件は05年)前に
真犯人を見つけ出せたかもしれない」と憤る
============================================================
このブログでなぜこの事件を取り上げたのかと
言えば、
自分の中でのジャーナリズムということについての
取り組みを考える上で
なんとなく気づいていることを
適当に放置した事が
ものすごく悔いの残る結果になるということです。
もちろんジャーナリストは
自分が少しでも関わった具体事案を
全て取材しているのには
物理的な限界があります。
だから取捨選択を当然しなければならないのですが
その取捨選択があっているのかということは
自分に問い直さなければいけないと思うのです。
菅家さんが釈放され
無罪となる道筋がついたことは
本当に嬉しく思います。
だが
本当の真犯人を結果として取り逃がし続けていること。
さらにその犯人がその後も累犯を重ねている
可能性があること。
(例えば、横山ゆかりちゃん事件)
冤罪をおこしていけないというだけでなく
冤罪を見過ごさないことが
ジャーナリストの責任だと思うのです。
寒々とした北関東の空っ風が吹きすさむ中で
菅家さんが逮捕され、取材した記憶があります。
その当時は、宮崎事件の余韻も覚めやらぬ時代状況の中、
幼女が足利近辺で
複数殺されていたり、ミッシング状態になっていることは
ものすごく不気味な感覚がありました。
その事件が幼稚園バス運転手という職業の
菅家さんが逮捕されたことで
さらに衝撃を受けるニュースとして報じられました。
僕がこの取材に関わったのは
ほんの数日だったこともあり、
恥ずかしながら
その後
長らく関心を持っていませんでした。
DNA鑑定という最新の鑑定が
「確立」されたものであるという
僕自身の誤認もありましたし、
東京から中途半端に遠い足利という
利便性の問題もあり
自分の中での取材の優先順位を下げた気がします。
同じ北関東でも犯人未解決の
「悪魔の詩殺人事件」とは
僕の中での関心度は大きく違っていました。
90年代の後半になってこの事件の
再鑑定を弁護側が求めていることや、
さらに当時のDNA鑑定を
技術的に疑問視する声が
一部の法曹関係者からあがっていることは
気になっていました。
その後、小林篤さんの著作
『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか?』
草思社ISBN 978-4794210234が
2001年に出版され、
この本の内容を読んでも
DNA鑑定が間違っているの可能性が
高いことは認識していたつもりでした。
2009年5月8日の『毎日新聞』には
弁護団が
再鑑定を再三提出していたにも関わらず
裁判所は無視し続けていた実態が
語られています。
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佐藤弁護士らが日本大医学部の押田茂実教授(法医学)を訪ね、
再鑑定を依頼したのは97年。
同教授は当初、「結果は同じ。やめたほうがいい」と固辞したが、
弁護団から鑑定の画像を見せられ思い直した。
元々精度が低い測定方法なのに、
読み間違いが起きそうな部分の画像が不鮮明だった。
「やってみる価値はある」。
刑務所で服役している菅家受刑者の毛髪を
封筒に入れて郵送させ鑑定した。
結果は4本とも科学警察研究所の結果と異なるものだった。
弁護団は、上告審の補充証拠として、
さらに02年の宇都宮地裁への再審請求で、
この押田鑑定を証拠提出したが、
いずれも実質的に検討されることはなかった。
押田教授は「裁判所が早く再鑑定していれば、
15年の公訴時効(足利事件は05年)前に
真犯人を見つけ出せたかもしれない」と憤る
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このブログでなぜこの事件を取り上げたのかと
言えば、
自分の中でのジャーナリズムということについての
取り組みを考える上で
なんとなく気づいていることを
適当に放置した事が
ものすごく悔いの残る結果になるということです。
もちろんジャーナリストは
自分が少しでも関わった具体事案を
全て取材しているのには
物理的な限界があります。
だから取捨選択を当然しなければならないのですが
その取捨選択があっているのかということは
自分に問い直さなければいけないと思うのです。
菅家さんが釈放され
無罪となる道筋がついたことは
本当に嬉しく思います。
だが
本当の真犯人を結果として取り逃がし続けていること。
さらにその犯人がその後も累犯を重ねている
可能性があること。
(例えば、横山ゆかりちゃん事件)
冤罪をおこしていけないというだけでなく
冤罪を見過ごさないことが
ジャーナリストの責任だと思うのです。