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もういい加減に気が付いてほしいのですが、一向に気がつかない方たちに改めて伝えておきます。
放射能によって、一定以上汚染されているところでは、何がおきてもおかしくありません。
それが、福島第一原発周辺の自治体では、そのリスクは格段に増加するであろうことは、間違いありません。
思わぬ疾病、突然に倒れるなどということは、あたりまえに展開します。
僕には、この事例もその一つとしか思えません。
福島県川俣町の古川道郎町長が、きのう午前中に役場内で倒れて、緊急搬送され福島市で入院しているそうです。
川俣町は汚染も酷いエリアを抱えていて、この古川町長は昨年12月に脳梗塞で一度倒れて、3ヶ月ほど前に復帰したばかりでした。
こういうあいさつ文が、町のホームページで掲載されています。
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私事ではございますが、昨年12月6日に入院し、以降、公務を離れておりましたが、5月16日より公務に復帰いたしました。
長期間の不在となり、町民の皆様には、大変なご心配とご迷惑をおかけしましたことを心よりお詫び申し上げます。今後も「元気いっぱい笑顔いっぱいの町かわまた」の実現に向け、全力で職務を全うする考えですので、皆様のご理解、ご協力をよろしくお願いいたします。
さて、今年度は、山木屋地区の皆様の帰還に向けた議論が本格化するものと考えております。
山木屋地区では、井戸掘削、米や野菜の実証栽培、被災家屋の解体などが進められ、農地除染についても、多くの農地で作業が実施されたところであります。さらに、農協業務の一部が始まり、山木屋派出所への駐在が再開するなど、帰還へ向けた取り組みが本格化しています。
今後も復興公営住宅の完成や、商業施設の整備、診療所の再開など、生活再建への取組みをより一層推進し、避難解除に向けた議論を深めていきたいと考えております。
また、今年度は、役場新庁舎が完成するなど、町にとって重要な一年になると考えております。
将来を担う未来ある子どもたちのためにも、必ず復興を成し遂げるという強い志を持ち、川俣町をより一層発展させ、この町に住んで良かったと思っていただけるよう、今後も町政に全力で取り組んで参ります。
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このように、復興に邁進している古川町長が、再度倒れて、入院する状態に追い詰められているということです。
事情を知る川俣町民に聞きました。
「町内でも、また倒れたことは知っている人は少ないです。地元メディアが報じたがりませんから。町長は復帰しても、車いすであったことは周知の話で、麻痺が残っていて、言葉の呂律もうまくまわらないと聞いていました。こういう状態でしたから、厳しいとは思っていましたが、こんなに短期間でまた倒れるとまでは想定していませんでしたよ。」と話します。
「川俣の中は復興、復興のオンパレードで都合の悪いことは、触れないようにする意識が相当に強くなっています。私は、この話もそんな感覚で聞いていますよ。」
いずれにしても、放射能汚染地ではわかりやすい光景が繰り広げられている気がしています。
こうした突然倒れる話は、放射能汚染がおきている場所では珍しいことではありません。
汚染が強いところでは、よりはっきりと表れるだけで、それはどういう立場の人にもおきる可能性はあるということに過ぎません。
しかし、脳梗塞で倒れた町長が、そうした体調にも関わらず復帰し、それを誰も止めていない構造もあるようなら、これはあらかじめ決められたストーリーのように感じるしかないとも思えています。
放射能で壊されるものは健康に留まりません。それはいろんな社会関係全般に及ぶと僕は考えています。それは、汚染が酷い地域では、より過酷な結果となるということです。