長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

絶滅種・かき氷

2010年08月03日 02時40分00秒 | 美しきもの
 最早こうなると、アイスクリームではこの夏を凌げない、と、思い至った。
 …かき氷、かき氷だ。
 ここ何年もというもの、そんな気になったこともなかったのだが、今日、町中を奔走して、かき氷を探した。
 甘味処でたかが氷に代価を支払うなんて…とか思ってやしませんか? ……とんでもhappened!
 日本の文化の素晴らしいところは、日常生活の隅々にまで、細かく美的感覚が行き届いている、余すところなく気配りというか、手と心が及んでいるところだ。
 たかがかき氷、されどかき氷。
 ひとひらの雪…とでも呼びたいような、うすく削がれた氷片は、口に入れるとふうわりと優しく、すーっと溶ける。

 昭和のころ、住宅街の普通の家の一角で、その家のおばちゃんが副業で、冬はお焼き屋さん、夏はかき氷屋さんをやっている家があった。駄菓子屋へ行くことを禁じられていた家の子どもでも、そのおばちゃんがやっているお店は、出入りが叶う。
 冬は、タイ焼きでもなく大判焼きでもなく、円いお焼き。要するに今川焼。
 そして夏は、かき氷。大きな業務用のカナ輪がついた機械に、これまた業務用の、大きな四角い氷柱を挟む。
 シャカシャカシャカ…と、小気味よい音とともに、雪が降る。おばさんは、斜めにした掌の器を、小器用に左右にかたげながら均等に雪山をつくっていく。
 うす雪が降りしくように、器のなかに、ひと固まりの冬景色ができる。
 途中でシロップをかけて、少し雪山が融けてくぼんだところへ、またシャカシャカ…と三角の頂上をつけてくれる。仕上げに再びシロップ。シャカシャカシャカ…。
 真夏の住宅街に雪が降る。

 口の中に入れると、ふうわり、ひんやりと溶ける。
 ……あのかき氷が、今はどこにもないのだ。

 現在、街なかに氾濫している、フラッペというようなものは、つぶ氷とでも呼びたいような代物で、昔の、あの鋭い薄いカンナで削った、天使の羽根とでも形容したいようなふんわり感が、まるでないのだ。
 食べている途中で融け出して、工事中の舗道に降りかかったみぞれが、春泥にまみれた態で、無残やな、練乳がけのかき氷…という景色になってしまった。

 ……どこにいるのだ、かき氷。
 どなたか、あの、正真正銘のかき氷の所在を、ご存じないでしょうか…。
コメント
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