長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

綱館の段

2010年08月07日 14時55分50秒 | お稽古
 朝、稽古場へ向かう。
 すでに陽は高く、吹く風は熱をはらみ、日差しは苛烈さを増している。
 背中といい脚元といい、身体を灼く陽があまりにもジリジリと暑いので、つい「♪九夏三伏の暑き日は…」と、口ずさんでしまう。長唄『綱館(つなやかた)』の一節である。
 源頼光の四天王の一人、渡辺の綱は、羅生門で、茨木童子こと鬼神の腕(かいな)を斬り落した。
 この後日談が『綱館の段』で、渡辺の綱の館へ、鬼が腕を取り返しにやってくる。

 綱は陰陽の博士・安倍晴明に、七日間のうちに必ず鬼が仕返しにやってくるだろうから、物忌みをして、館に閉じ籠るように助言された。
 …十年ほど前だったか、二十世紀末に陰陽師がやたらと流行って、「週刊・安倍晴明」なる雑誌も刊行されたりしたが、あれからどうなったのかしら…。余談、余談。
 鬼は誰に化けてやって来るかもわからない。堅く門扉を鎖して、絶対に、誰にも会うなという、ありがたい晴明先生のアドバイスです。
 …そんなところへ、来てしまうんですねぇ、伯母が。はるばる故郷の摂津の国から。

 当然のことながら綱は、晴明先生の言いつけを厳守して、伯母を追い返そうとする。
 しかし、伯母は綱の事情なんかには一切耳も貸さず、これは当然、鬼の茨木童子が化けているのだからして、どうにか家の中に入れてもらおうと思って、自分がどれだけ苦労して、幼子だった綱の面倒をみたことか…それに引き換え、今のその情け知らずの態度は何だ、えぇ、情けないじゃないかねぇ…と、くだくだしく、甥をかき口説くのだ。
 そのときの伯母のセリフが、くだんの「九夏三伏の暑き日は…」なのです。

 夏の酷暑の時期には、扇であおいで暑さを凌がせて、厳冬の夜は布団をかけて温めて育ててやったのにィ…そこまで立派になったのは誰のおかげだと思っているんだぃ。
 「♪恩を知らぬは人ならず、ええ~汝は邪慳者かな…」と、声をあげて泣き喚く有様。
 そうまで言われて綱はタジタジ。まったくもう、伯母さんにはかなわないよなぁ…とこぼしながら、是非もなし…と扉を開けてしまうのでした。

 それにつけても、オニは、なんとまあ、人の心の弱点を、よく突いてくるものだと感心する。
 これが妙齢の美しいご婦人だったら、綱は絶対に入れない。
 モノノフの沽券と意地と誇りにかけて、絶対に色仕掛けなんぞでは落ちないのだ。いや、落ちてたまるか。断じて。世の中に、金と女はカタキなんですからねー。
 …というほど、後世の浪人者ほどスレてないにしても、可愛い女の子は、日頃つらい思いをすることが少ないだろうから、人としても、むしろキッパリと拒絶しやすいというものだ。いや、本人のためにも、キッパリした態度が情けというものでありましょう。

 しかし、ことこれが伯母御となると、そうはいかないのだ。
 身体髪膚、これを父母に受く。親の恩は海よりも深く、山よりも高いのだ。
 そんな大恩ある係累のオバちゃんを、無下にするわけにもいかない。年ふると、ただでさえ情けないことが多い世の中なのに、ばあちゃんを泣かすのは寝覚めが悪いというものだ。
 何より、言い負かすのが大変だ。オニより祟りそうな気もするし…。
 そして、武勇の誉れ高きサムライである綱には、人の道を外れるというのが、何よりも恐ろしい、恥ずべきことなのである。

 御所の警護役である頼光の邸には、よく、もののけがいろいろなものに化けて潜入してくるのだが…たとえば土蜘蛛が、バレ易い、入道や座敷ワラシのような幼女に扮してきたのと比べると、茨木童子は大したものだ。

 大薩摩がめちゃカッコいいこの曲は、歌詞もいいので、何かというと、思わず口ずさんでしまう。
 ♪恩を知らぬは人ならず…あたりも、思いがけない思いをしたときや話を聞いたときに、よく口を衝いて出る。

 それからクライマックスの、伯母が正体を現わす前の、唐櫃の中の腕を眺める、緊迫したシーン。
 「♪このとき伯母はかの腕を、ためつ、すがめつ、しけじけと、眺め眺めて居たりしが、次第しだいに面色変わり…」
 このところも、あまりにも面白いので、なにかというと♪しけじけと…と、口ずさんでいる。

 この♪しけじけと…を、陰にこもって物凄く…的になるちょっと手前で、含みを持たせて唄うのが楽しいのだ。…サスペンスですなぁ。
 この季節はやっぱり、物の怪の怪異譚で涼みたい。
 かにかくに、泣く子と伯母と、夏の暑さには勝てまへんなァ。

 …さて、そんなことを言いながら、今日は旧暦の六月廿七日。
 立秋です。
 
 
 

コメント (2)
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