長唄三味線/杵屋徳桜の「お稽古のツボ」

三味線の音色にのせて、
主に東経140度北緯36度付近での
来たりし空、去り行く風…etc.を紡ぎます。

江戸から東京へ

2010年08月26日 23時55分00秒 | 旧地名フェチ
 もう十年近く前のことになろうか、JR市ヶ谷駅のホームで、電車を待っていた。
 市ヶ谷駅はご存知のように、江戸城のお濠端にある。ホームに立っていると、釣り堀が見えたりして、お濠の向こうに車の往来の激しい外堀通りがあるのだが、水の流れが騒音を遮るのだろうか、喧騒を忘れる。

 たしか、初夏のいささか蒸す季節だったように思う。何となく、澱が淀んだような、水辺の腐ったような、下水の詰まったような、あまり気持ちのよくない臭いが辺りに漂っていた。……想い出せないが、浚渫工事でもしていたのかもしれない。

 「宮城(きゅうじょう)のそばで、こんな臭いをさせちゃあいけないよ…!」
 同じくホームで電車を待っていた、七、八十ぐらいの小母さんの、怒ったような独り言が聞こえた。

 …宮城。懐かしい響きの言葉だ。私は生まれたときから皇居と呼んでいるけれども、たしか、明治生まれの祖母や、大正生まれの諸先輩方は、宮城と呼んでいた。
 その変わり目はやっぱり、太平洋戦争をはさんで戦前と戦後が、境目になっているのだろうか。

 今日は、旧暦の七月十七日。
 さかのぼることの142年前の1868年、慶応四年のきょう、江戸が東京と、名を替えた。
 彰義隊の上野の山の戦も終息して、前年の十月に大政奉還し、水戸へ去っていた徳川慶喜も駿府へ移り、十六代が立って徳川本家の処遇も決着した。
 …戊辰戦争はまだ続いていたのだけれども。
 土方さんが会津戦争に向かい、福島を転戦していたころ。近藤さんは四月に、すでに板橋で処刑されてしまった。今年、大河ドラマで何かと取り沙汰される坂本竜馬も、慶応三年の十一月に暗殺されて、もういなくなっていた。

 慶応四年九月八日、慶応は明治に改元されて、1868年は明治元年となる。
 江戸城が東京城と名を替えたのは、同年十月十三日のことである。明治天皇が、初めて東京に入城したのは、この日だそうだ。

 直木三十五の『南国太平記』が面白くて面白くて、登場人物たちの情熱に泣きながら読んでいた二十数年前、彼らが江戸城を、千代田のお城、と呼んでいたような記憶がある。
 それで私も、なんだか江戸城というよりそれが気に入って、千代田城と呼んでみたこともあったっけ。

 名が変わっても存在し続けるというのは、いいことだと思う。
 どのように変わってしまっても、形骸が遺っていれば、偲ぶことができる。
コメント (4)
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