どういうわけでか、カエルが好きなのだった。
吸盤でぷっくりと丸くなった指先、キョロリと飛び出した目、比較的きちんと結んだ口角の上がった口元。凛々しくもユーモラスな、前方斜め45度から見た横顔。
…可愛いくて仕方がなく、愛さずにはいられない。
ことに、緑色の小さい雨蛙の可愛いことと言ったら…。
昔、うちにあった、ナショナル・ジオグラフィクの大自然写真集に、南洋の珍しい赤みを帯びた綺麗なカエルが載っていた。…でも雨蛙の、ちょっと透き通った、薄い緑色の美しさに、私は軍配を挙げる。
地面の色に似た、殿様ガエルや牛ガエルは、ちょっと苦手だ。
カエルはやはり、青蛙に限る。
…と言っても、別に、食べるわけじゃぁ、ありませんけどね。
…とはいえ、ここ20年余りというもの、実物の雨蛙と触れ合いの時間を持った覚えがないから、この偏愛は、カエルキャラからもたらされたものなのだろうか。
ケロヨン、薬局のケロコロコンビは言うに及ばず、ど根性ガエル、竜ノ子プロのけろっこデメタン。水木しげるの南方に棲むガマ人。
セサミストリートのカーミット。パペット・マペットのカエル君。
…でも、それほど好きだった記憶もない。
10年ほど前のある時、グリム童話のカエル王子とおぼしき描画がプリントされた、舶来のコースターを手に入れた。
あまりに気に入って、仕事机の上に置いて、ことあるごとに眺めていたので、仕事仲間にからかわれた。
これから始まったのか…?
高山寺の鳥獣戯画が織り出された錦の手提げは、着物のお供に使っている。
一昨日、稽古場の隣町を歩いていたら、偶然にも、カエル屋さんを見つけた。
実物ではなく、カエルを象ったあらゆる関連グッズや小物が店中に置いてある、まさに夢のようなお店なのである。
…残念ながら、お盆休みです…の貼り紙がショーウィンドゥにあって、私は天国へ渡りそびれた。
べし、というキャラクターがある。
赤塚不二夫の『もーれつア太郎』に登場するカエル・キャラであり、ケムンパスやココロの親分さんと共に、地味ながらも忘れ得ぬ、動物変化キャラクターである。
たしか、小学2年生だったと思う。学校で4人ぐらいずつのグループ毎に自習か何かをしていて、なぜだか私たちの班は、マンガの似顔絵を描いていた。
べしを皆でそれぞれに描いていた時のことだ。
誰か一人が、べしの目を耳だと言いだしたのだ。
…それは有り得ないだろう、カエルなのだから…と、反論する私に、友人は、べしの鼻の穴を眼だ、と言い張るのだった。
あまりのことに面喰らったが、しかし、グループの他の3人も、べしの眼を耳だと言い張る。
…まさにキツネに摘まれたような状況に、呆然とした6歳児の私は、口をつぐんでしまった。
ずいぶん後で、その時のグループの一人だった子に、あれは何でだったんだろうね…と聞いてみたら、自分も眼だと思っていたけれど、そう言えない雰囲気だったと、ぽつんと言った。
私はますます不可解の念が募り、以降、べし事件として40年が経った今でも、鮮明に記憶に残っている。
それは私にとって、多数決という民主主義の原則に、疑念が生じた瞬間であった。
…ちょっと大袈裟ですけれどもね。
吸盤でぷっくりと丸くなった指先、キョロリと飛び出した目、比較的きちんと結んだ口角の上がった口元。凛々しくもユーモラスな、前方斜め45度から見た横顔。
…可愛いくて仕方がなく、愛さずにはいられない。
ことに、緑色の小さい雨蛙の可愛いことと言ったら…。
昔、うちにあった、ナショナル・ジオグラフィクの大自然写真集に、南洋の珍しい赤みを帯びた綺麗なカエルが載っていた。…でも雨蛙の、ちょっと透き通った、薄い緑色の美しさに、私は軍配を挙げる。
地面の色に似た、殿様ガエルや牛ガエルは、ちょっと苦手だ。
カエルはやはり、青蛙に限る。
…と言っても、別に、食べるわけじゃぁ、ありませんけどね。
…とはいえ、ここ20年余りというもの、実物の雨蛙と触れ合いの時間を持った覚えがないから、この偏愛は、カエルキャラからもたらされたものなのだろうか。
ケロヨン、薬局のケロコロコンビは言うに及ばず、ど根性ガエル、竜ノ子プロのけろっこデメタン。水木しげるの南方に棲むガマ人。
セサミストリートのカーミット。パペット・マペットのカエル君。
…でも、それほど好きだった記憶もない。
10年ほど前のある時、グリム童話のカエル王子とおぼしき描画がプリントされた、舶来のコースターを手に入れた。
あまりに気に入って、仕事机の上に置いて、ことあるごとに眺めていたので、仕事仲間にからかわれた。
これから始まったのか…?
高山寺の鳥獣戯画が織り出された錦の手提げは、着物のお供に使っている。
一昨日、稽古場の隣町を歩いていたら、偶然にも、カエル屋さんを見つけた。
実物ではなく、カエルを象ったあらゆる関連グッズや小物が店中に置いてある、まさに夢のようなお店なのである。
…残念ながら、お盆休みです…の貼り紙がショーウィンドゥにあって、私は天国へ渡りそびれた。
べし、というキャラクターがある。
赤塚不二夫の『もーれつア太郎』に登場するカエル・キャラであり、ケムンパスやココロの親分さんと共に、地味ながらも忘れ得ぬ、動物変化キャラクターである。
たしか、小学2年生だったと思う。学校で4人ぐらいずつのグループ毎に自習か何かをしていて、なぜだか私たちの班は、マンガの似顔絵を描いていた。
べしを皆でそれぞれに描いていた時のことだ。
誰か一人が、べしの目を耳だと言いだしたのだ。
…それは有り得ないだろう、カエルなのだから…と、反論する私に、友人は、べしの鼻の穴を眼だ、と言い張るのだった。
あまりのことに面喰らったが、しかし、グループの他の3人も、べしの眼を耳だと言い張る。
…まさにキツネに摘まれたような状況に、呆然とした6歳児の私は、口をつぐんでしまった。
ずいぶん後で、その時のグループの一人だった子に、あれは何でだったんだろうね…と聞いてみたら、自分も眼だと思っていたけれど、そう言えない雰囲気だったと、ぽつんと言った。
私はますます不可解の念が募り、以降、べし事件として40年が経った今でも、鮮明に記憶に残っている。
それは私にとって、多数決という民主主義の原則に、疑念が生じた瞬間であった。
…ちょっと大袈裟ですけれどもね。