考えて見るといろいろな記念日がありますね。
今日は個人的な記念日です。
昭和48年3月16日に結婚し、49回目の記念日になりました。
いつもなら両方の親にこれまで過ごせたのも親のおかげと、毎年、結婚記念日に電報を送って感謝を伝えていました。
昨年から私の母親だけになり、今では施設で穏やかに暮らしています。
電報を施設には送れませんので遠慮しています。
しかし、気持ちは同じでこれまでなに不自由なく過ごせたのも親のおかげと思っています。
49年・・・。
まぁ~みなさんもそいうだと思いますが、細かく思い出せばいろいろとありましたがあっと言う間とはこのことなのでしょう。
来年は金婚を迎えます。
49回目の結婚記念日だからと言っても、特に何かする訳でもありません。
私はスパークルと言う種類の「アジサイ」を買い求めてきたくらいです。
花が咲き終わったら、道志に植えるつもりです。
朝食は昨夜のカキなべにご飯を入れてオジヤにしたものでした。
会話も普段どおりです。
当時の誓いのことばです。
心を一つにして お互いに助け合い深い愛情と誠実とをもって幸せな家庭を築きます・・・。
私は仕事でも趣味でも好きなようにさせてもらいました。
お釈迦様の手のひらの中の悟空のようにです。
自由にしていても、全て女房の手のひらの中だったのでしょう。
そして働き始めてからちょうど50年になりましたので、こ3月末を持って潮時としました。
そう、65歳過ぎてでしょうか、女房が道志の別荘を手放したい人がいるので見に行かないと言われました。
家を買い求めることにして、本来は海好きの海彦ですが山彦になったのです。
今月中には地代を納めに行く予定です。
4月になったら50年働いた慰労を含めて、近くで一泊旅行でもしようかと計画していますが、やはりコロナ禍ですので迷っています。
私が古希の時の2年前は新婚旅行先だった四国を訪れました。
当時は義父の車(カローラ)で東京から四国半周車の旅をしました。
なるべく、当時と同じ宿を選びましたが、今では四国大橋もあり連絡船も無くなり宿も改築しており面影は少なかったですね。
飛行機を利用して四国に入り、あとはレンタカーで四国めぐりでした。
帰りは岡山からも飛行機です。
もう、約半世紀前の話です。
昨日も母の施設料を会計に納めに行って来ました。
あの4階にいるのですが、コロナ禍で面会が思うようにはできません。
母が居そうな4階に手を振って後にしました。
女房の古希の祝いとして胡蝶蘭を買い求めましたが、2カ月経ってもまだしっかりと咲いています。
これからどのように暮らすかも、雑談していました。
ダンスはどうするのか?いかに健康を保つかなどです。
それは退職後の生活の変化(気持ちも含めて)を考えてのことです。
家のこともありますが、当面は道志へ行く機会も増えるかも知れません。
来年は金婚ですが、とりわけイベント等は考えていません。
穏やかに生活できればと思っています。
それには早くコロナが収束することを願うばかりです。
今日は天気も良いので庭の草むしりをしていました。
Hiro