自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

慣れた自粛生活?

2021年10月13日 | なかま道志

コロナ禍や在宅勤務(テレワーク)により、新たな生活様式が求められるようになったのは、約2年前のことでした。

この3月末で、50年間働いた仕事も73歳で完全退職いたしました。

*自分で育てて、収穫した秋のモノです。

2年間近くの生活はストレスも溜まり、元職場では送別会も出来なかったのでコロナが落ち着いたらとメールが入っています。

また、仲間ともコロナが明けたら一杯以前のようにやろうと話も進んでいます。

*我が家の画廊(トイレです)

自宅近くの野川公園の彼岸花と女房の刺しゅうです。

昨日の東京都の感染者数が連続100人を下回りました。

山梨県は昨日は感染者ゼロでしたね。

すべての宣言が解除されています。

これからどうなるか分かりませんが、元の生活になればと期待もしていました。

やはり、新たな生活は窮屈感もあってそれなりにストレスもありました。

*私には道志がありましたので、それなりに楽しむために疎開していることが多くなりました。

*スズメウリも収穫し始めました。

先日も街に出ましたが、多くの人出になっています。

とは言っても、若い方々とは違って、さほど羽を伸ばしたい気持ちにはなっていません。

出歩きたいと思う気持ちが、この2年間の自粛?生活で慣れてしまった感があります。

必要な時に出かけて、安い食材より少しでも美味しいもを求めるようになりました。

法事もイベント的な飲み会も少人数でとなり、またお付き合いも少なくなりました。

大いに結構なことだと感じています。

*秋ですね!コットンボール(綿花)の実もはじけてきました。

なんか、このまま静かに暮らすことも負担にはならなくなって来ました。

今までが派手?過ぎたのかもしれません。

図書館に行くのもよし、部屋の片づけするのも良い時間となっています。

私って、こんなに順応性があったのかとも思うくらいです。

今まで、好き勝手にやってきましたから、もう十分です。

これからは「間」を大切にしたいと・・・。

言葉と言葉の「間」、動きと動きの「間」、人と人との「間」。

「間」のもっている余韻やつなぎとしての役割、それを忘れると「間」抜けとなったり、「間」とのびなって、生活のリズムが狂ってしまうのでしょう。

これまでの「間」のない生活は、味気なくモノたりなく、何より忙しく(せわしく)やり切れない状態だったと思います。

*コキアも収穫して、箒を作っています。

コロナ禍により自粛生活が求められ、日常から忙しさが無くなりました。

私自身、もうい一度「間」を取り戻そうと考えています。

気の合った友人との焼き鳥屋は格別です。

ダンスも私の体系がかなり変わりました。

今は戻す努力もしています。

さて、今日は溜まった日記を付けるつもりです。

昨日も欲しい(新しい)スマートウォッチを検索しては、楽しんで(悩んで)います。

昨夜のお月さんです。

暇と退屈とは異なるのでしょう。

暇な時に何をするかを考えるのも良いのかも知れません。

道志の通い生活も慣れました。

やはり自分の居場所ですので、できる範囲で暮らしたいものです。

来週は女房と使わないものなどを片付けに行くつもりです。

道志もあと4~5年かなぁ~?

 

Hiro