自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

先日の台風 道志はどうなった?

2022年09月21日 | なかま道志ベース

*ここで使う画像は自分で撮ったものではありません。テレビ等から引用しています。

今、台風14号はh日本を横断?縦断?し太平洋上に・・・。18日は各地で大きな被害をもたらしていました。

さて、18日は豪雨の中、山梨県富士山麓公園内にある体育館でダンスの試合に参加してきました。天気予報では、台風はまだ九州地方で遠く離れた関東甲信越にはさほど影響がないと思い込んでいました。

しかし、情報では台風が離れていても豪雨に見舞われるとのことですので、連休でもあることから前日に道志の家に泊まり、そこから一時間半くらいの試合会場に向かうことにしたのです。家を出たのは何かがあってはと思い早目に(10時半ごろ)に出ました。

朝方は大した雨ではなかったのですが、出発する時は雷も鳴って経験したことが無いような豪雨です。いつもの慣れた道ですので、安心して?坂を下りました。しかし、待ち受けていたのは滝のような下り坂です。

道志川も茶色く濁った増水した流れになっています*この画像は道志川ではありません。

途中、山中湖方面に向かう道路もあちこち冠水しています。行きかう車の跳ねしぶきでフロントガラスから前方が見えなくなるくらいです。アイサイト(レヴォーグ)も作動不良との表示が出るくらいです。

試合も結果も準決勝で敗退しましたが、その後夕刻になって会場を後にしました。富士五湖有料道路から大月で中央道に入りました。闇に包まれた高速道はさらに危険を感じました。通行止めになるのではないかと思うくらいの豪雨です。

画像は場面と異なります。前方が良く見えません。

高速道でも10m先を走るテールランプが見えなくなるくらいです。助手席に乗っている女房も”大丈夫?怖いわ!”気を付けて運転してね”と言っています。速度を落として前の車のテールランプを見ながらの走行です。時より大型車が脇を通り抜けると、津波のようなしぶきで前方が見えなくなるくらいです。高速道を下りてから、何故か雨も小降りになってきました。

テレビ報道でも、各地の被害状況などが放映されていました。

道志の養魚場は被害を受けて、一週間は休業しなければと言っています。キャンプ場のヒロさんは思ったより被害は少なかったとのことです。

この湿気(湿度)の高い時は、特に山ヒルの発生が多くなります。私も雨の中畑で収穫しているだけでも5匹に食われました。女房は駐車場にいる時に雨具に山ヒルがくっ付ていました。食われたあとは痒くて腫れています。一週間は赤くなっていることでしょう。山ヒル用の殺虫剤(8000円ちょっとする)をネットで買いもました。これで草むらなどを散布しなければ、また大変なことになってしまします。安心してはいられません。

そこで、以前 私が社内で研修資料として使っていた「安全と安心」などをご照会いたします。

しかし、安全と安心などその違いをどれだけの方が理解しているのでしょうか?良く使われる言葉ですが、その違いを明確に言える方も少ないかと思います。

簡単に言うと「お父さんは安全を重視しているので、安心して車に乗っていられる」と言えば、なんとなくその違いをご理解いただけるかと思います。

場合によっては、「裏山が崩れそうなのに安全だと思い安心してしまう」ことです。

一昨日の高速道などは、判断がしにくく回避も出来ない状況でした。安全ではないと認識しならが、同乗者が安心するようにと安全運転に心がけたのです。

*学生時代は自動車のラリーもしていて車の運転には自信がありますが(ありましたが?)、当時(55年くらい前)から常にシートベルトはするくらい安全運転には心がてていました。

先ず、「安心」から説明いたします。安心とは読んで字のごとく、「心が安らぐ」ことです。心は人間の中にあります。つまり、主観的なものです。                

次に「安全」どはです。安心が主観的であるのとは反対に客観的な事実を指します。

そこで、先ほどの話があります。「安全を重視しているので、安心して任せられる」と言う言葉につながります。

つまり、安全な状態であっても人は不安を感じ、安心できても安全では無い場合があります。安心と安全を混同せずに客観的な事実を確認・検証し「安全と安心」をもう一度考えてみることが必要なのでしょう。

安全とゼロリスク(絶対的な安全)

・安全は客観的な事実と今日では科学的な根拠もあります。

・安心は主観的な気持ち、科学的な根拠は不要なのです。                

客観的に危険が小さい「安全」であるならば、「安全」であることが理解されれば、「安心」を感じることができるようになる可能性があります。「安心」ではないと思われていても、「安全」であることについて、周知・理解を図ることによって、「安心」が得られるます。ただし、「安全」であることが必然的に「安心」に結びつくわけではなく、「安全」を「安心」に結びつける何らかの努力が必要になるのです。

そして、「安心」であっても「安全」が高まることはありません。いくら「安心」を高めても、「安全」が高まるわけではないのです。安全ではないのに安心と思い込むことは大変危険で、人命や財産に関わる問題となることがあります。 

他方では、分かり易く言うと、典型的なものとして災害に対する備えがありますが、実際には「安全」ではないにもかかわらず、なぜか「安心」と思ってしまうと、危険に巻き込まれてしまうことがあります。自分は大丈夫、まさか自分の身に危険が及ぶことはない、と思っていると「安心」を「安全」と誤解してしまう可能性があります。 

すべて、安全と安心の違いはここにあるのです。

我が家の標高も約65mくらいで、東京湾に向かって目では感じないような斜面になっています。したがって大雨が降っても10分もすれば水溜まりもなくなります。大きな川も近くには無く山もありません。安全だと思っている我が家ですが、心配なのは老朽化した家です。地震があれば安心とは言えません。

道志に置いてもすべてが安心で安全だと思っていけないのでしょう。先ずは山ヒル対策からです。現在、非常に多く発生しているようです。

 

Hiro