ひとりぼっち
幼少の頃、姉が病気でずっと入院していたため、私は色々な親戚の家によく預けられた。そこでは、当然甘えることなどできず、よそよそしくしていなければならなかった。かたくなで心をなかなか開けなくなったのは、このときからだったような気がする。多分、親に一番甘えたい時に甘えられなかったのだろう。
一度だけ泣いた記憶がある。姉の入院先の病院に行くため、父と母は親戚の家に私を連れていき、私を置いて去るときだった。親戚には叔母さんとお姉さんがいた。
私は泣きながら、「僕も行く!僕も行く!」と駄々をこねた。両親の元に歩いて行こうとする私をお姉さんが止めた。ドアが閉まるまで、父と母は手を振っていた。
父と母は私を置いてどこかへ行ってしまった。泣きやまない私はお姉さんにあやされ、その後泣きつかれて眠ってしまったが、その時の悲しみの記憶は無意識の”私”という心の中にひっそりと刻まれてしまったのである。
小学生の頃は、いつも何かびくびくして過ごしていた。中学に入る頃、私はもう人にどう思われているかを気にするのはやめようと思った。高校に上がると、他人の目を気にすることなく、完全に一匹狼になっていた。入学する高校や大学、就職する会社なども、誰にも相談せず、全て一人で決めてきた。とにかく人からなめられるのが、何より我慢ならなかった。
そんな無意識に抑圧されていた記憶や感情を呼びさましたのは、高校生の時、詩を書くようになってからだ。プリンスやジミーヘンドリックスの音楽にのってトランス状態になりながら、思いつくまま言葉を書き殴ってみると、自分でも驚くほど感情あらわな言葉がでてきた。そうやって自分のルーツを辿り、自己分析を続けていた。
私は何度このかたくな心を開こうと努力し、克服したと思っただろうか。しかし人の心は、そうは単純ではなかった。今はあきらめの境地で、こんな自分と向き合い、受け入れて、長く付き合うしかないと、思っている。
このやっかいな私という人間を氷解させ、受け入れてくれる人を、わがままながら探しているのだが、これが甘えで、この思いをまず捨て去らなければならないことも知っている。私もまだまだ餓鬼だなあ、と思う。
まあ究極は、ただ"おきらくごくらく"でいられれば、それだけでいいんですけどね。。。これが結構難しくて。。。カカカ。。。
後記
ようやく念願の類体論のページをめくるところまできました。
幼少の頃、姉が病気でずっと入院していたため、私は色々な親戚の家によく預けられた。そこでは、当然甘えることなどできず、よそよそしくしていなければならなかった。かたくなで心をなかなか開けなくなったのは、このときからだったような気がする。多分、親に一番甘えたい時に甘えられなかったのだろう。
一度だけ泣いた記憶がある。姉の入院先の病院に行くため、父と母は親戚の家に私を連れていき、私を置いて去るときだった。親戚には叔母さんとお姉さんがいた。
私は泣きながら、「僕も行く!僕も行く!」と駄々をこねた。両親の元に歩いて行こうとする私をお姉さんが止めた。ドアが閉まるまで、父と母は手を振っていた。
父と母は私を置いてどこかへ行ってしまった。泣きやまない私はお姉さんにあやされ、その後泣きつかれて眠ってしまったが、その時の悲しみの記憶は無意識の”私”という心の中にひっそりと刻まれてしまったのである。
小学生の頃は、いつも何かびくびくして過ごしていた。中学に入る頃、私はもう人にどう思われているかを気にするのはやめようと思った。高校に上がると、他人の目を気にすることなく、完全に一匹狼になっていた。入学する高校や大学、就職する会社なども、誰にも相談せず、全て一人で決めてきた。とにかく人からなめられるのが、何より我慢ならなかった。
そんな無意識に抑圧されていた記憶や感情を呼びさましたのは、高校生の時、詩を書くようになってからだ。プリンスやジミーヘンドリックスの音楽にのってトランス状態になりながら、思いつくまま言葉を書き殴ってみると、自分でも驚くほど感情あらわな言葉がでてきた。そうやって自分のルーツを辿り、自己分析を続けていた。
私は何度このかたくな心を開こうと努力し、克服したと思っただろうか。しかし人の心は、そうは単純ではなかった。今はあきらめの境地で、こんな自分と向き合い、受け入れて、長く付き合うしかないと、思っている。
このやっかいな私という人間を氷解させ、受け入れてくれる人を、わがままながら探しているのだが、これが甘えで、この思いをまず捨て去らなければならないことも知っている。私もまだまだ餓鬼だなあ、と思う。
まあ究極は、ただ"おきらくごくらく"でいられれば、それだけでいいんですけどね。。。これが結構難しくて。。。カカカ。。。
後記
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