僕は君を愛している
僕は今まで君にしか
愛していると言ったことがないのに
君は僕がどの女にも
愛していると言っていると思いこんでいる
それは大きな誤解だ
僕は君を愛している
これは真実だ
残りわずか
何が答えなのか
分からなくなる
質問すら理解できない
I don't care.
分かってるさ
僕はまだ狂っちゃいないよ
ただちょっと病んでいるのさ
砂時計の砂が落ちきるまで
僕は生きる
痩せぎすの女
その痩せぎすの下着姿の女は
目の下が黒くくぼんで
明らかにクスリ浸けにされていた
私を見上げると
微笑みながら
マスターベーションを始めた
Pop Life goo.gl/uscCca
— ナカナカピエロ (@NakanakaPierrot) 2017年11月14日 - 00:05
ネタ再掲 #統計
— 黒木玄 Gen Kuroki (@genkuroki) 2017年11月13日 - 10:46
jstage.jst.go.jp/article/butsur…
エントロピーとモデルの尤度
赤池 弘次
で赤池さんは
AIC (an information criterion の略記)
と書いていて、それに編集委員会が脚… twitter.com/i/web/status/9…
見えないひと・見えにくいひと・見えるひと jazzと数学トーク・体験による交流 - CAMPFIRE(キャンプファイヤー) camp-fire.jp/projects/view/… via @ohayo_camp 拡散をお願いします。
— Ijon_Ticky (@IjonTicky) 2017年11月14日 - 12:07
プロサッカー選手になった夢を見た。小さい頃の夢だったなあって思い出した。
— ナカナカピエロ (@NakanakaPierrot) 2017年11月14日 - 21:57
人間らしさの追求 goo.gl/X4mALF
— ナカナカピエロ (@NakanakaPierrot) 2017年11月14日 - 23:33
私小説
私は文学の中でも私小説が好きである。
最近の小説は、ある種物語であって、どんなにリアリティがあったとしても、架空のお話に過ぎない、明治大正昭和の近代文学では私小説が主流だった。それでは私小説とは何かということに焦点が移る。
私小説の主人公は自分である。私小説を書いている自分の生活は大抵自堕落に見えている。ただ自堕落に至った自分の克明な心象風景を嘘偽りなく、正確に分析して私小説を仕上げる。自分の腐った内面を凝視し、そこに昇華される自分とは一体何者なのかを、一切情け容赦なく自己分析して小説化するのだ。こえほどの苦行が一体何処にあるというのか。私はそこから逃げずに真摯に向き合った小説家たちを尊敬する。それは内面をえぐり出した阿鼻叫喚の悲鳴が聞こえてくるのである。自分を追求し尽くす。これができる現代の小説化は誰一人としていない。昨今の小説家はそこから逃げて、安易な毒にも薬にもならないお話を提供するのみである。
文学的対象でもっとも過酷な命題は自分の存在意義の追求である。それを成し得ていない小説家は、そこらの絵本作家と対して変わらない。それどころか絵本作家以下であることの方がほとんどである。