ずっと、ずっと、義母に対して、引っかかっていたことがいくつかある。
それを気付かせてくれた、ブロ友さんに改めて感謝ですm(__)m
ずっとね、気になっていたことがありました。
3人(実両親、義父)を、それぞれ、所定位置に着いていますが、
これは、私だけの力ではなく、それぞれ、沢山の人のお陰で、
今の状態が保っている。
いろんな偶然が、沢山のキッカケがあったおかげで、
とてもスピーディーに話が進んできました。
この3人はね。
でもでも・・・・、
義母は違いました。
すべてに邪魔が入る。事がスムーズに運ばない。
運んだとしても、うまく運用ができない、続かない、使えない。
とにかく、とんとん拍子、ということは絶対ないのが義母の関係者。
周りが上手く行かなけりゃ、義母本人もうまく回りません。
都合のいいときだけ手を伸ばし、自分の都合のいい話を作り、
周りを動かしながら、自分は安全な場所に身を隠し、
「なんとかなるわよ」、
が昔からの口癖。
そして人が作ったルートを、なんの感謝もせず、
あたかも自分が作った道のような顔をして、シラッと歩く。
その繰り返しの人生です。
本当の自分は一切見せず、真面目に人と向き合うことは避け、
絶えず、どんな場合でも自分の方が上で、
人に物をあげ、上下関係を作り出し、自分を絶えず上に置き、
自分の意見は正しくて、人の意見には一切耳を傾けず、
人の言葉は最初から全否定から入り、自分の理屈を並べ、
話を自分の都合よく作り、自分に有利な話しに作り変えてしまう。
こんな人に、自分の大事な時間を割く必要があるのか?
義母は何も頑張らずに、自分のことは棚に上げ、文句は一人前。
周りの人をこまずかいのように使い、要らなくなったら、
「もう帰っていいわ」だとさ。
なんか、ばっかみたい、わたし・・・・。
むかし、お世話になった方から言われたことがある。
「あなたが頑張って、真面目に向き合っているからこそ、
みんなが力をくれるのよ。
あなたが一生懸命だから、困ってるから、助けるの。
頑張ってない、口だけの人には賛同はしないはず」
そう言われたことを思い出した。
あと、息子がお世話になった児童精神科の先生が言っていた言葉。
「人はね、その人に良かれと思って先回りして動くことがある。
それがね、「ありがとう」と感謝され良い場合もあるけど、
「おきなお世話」と嫌味を言われる悪い場合もある。
受ける側によって、全く真逆な答えが出るんだよ。
決めるのは周り人間じゃない、本人自身が決めること。
平坦な道の方が良いに決まってる、楽だから。
でもね、それじゃ、成長はしないんだよ。
ガタガタ道も歩んでみて、思うことがあるんだよね。
その時、困ったときだけ杖を貸し、自分で歩いてもらいましょう。
そしていつか、
沢山の杖がなくても歩けるようになったと本人が思えば、
1つずつ杖が帰ってくるでしょう。
その都度、本人が決めて、歩む道も選択していきます。
そうすることで、責任が生まれます」
義母も結局は自分が決めること。
人を信用しなくても、周りとコミニュケーションが上手く取れなくても、
プライドが高く、人にお願いも出来なくても、いいんですよ、本人は。
でも、どうでも困った時は都合よい身内を使い、うまく話を作り人を使うでしょう。
でもそんな都合のいいことはないはず!!
がむしゃらに、頑張ればいいのです。
恥をかいたっていいじゃない、恥ずかしくたって、傷ついたって、
惨めになったっていいじゃない。
全部自分でしょ。それが自分のほんとの姿なんですよ。
見ればいいわ、本当の自分を!!
その自分をさらけ出したとき、何かが動くでしょうね。
もう私は、義母に必要以上はしない。
いろいろ要求されても、自分の時間に当てはまらないときはお断りです。
決めるのは義母自身、私には決定権はありません。
責任も義母自身にとってもらいましょ。
そうなると、後始末も義母自身となります。
なんか、スッキリした。
ず~っと喉に刺さった魚の骨が取れた感じ(笑)
それを気付かせてくれた、ブロ友さんに改めて感謝ですm(__)m
ずっとね、気になっていたことがありました。
3人(実両親、義父)を、それぞれ、所定位置に着いていますが、
これは、私だけの力ではなく、それぞれ、沢山の人のお陰で、
今の状態が保っている。
いろんな偶然が、沢山のキッカケがあったおかげで、
とてもスピーディーに話が進んできました。
この3人はね。
でもでも・・・・、
義母は違いました。
すべてに邪魔が入る。事がスムーズに運ばない。
運んだとしても、うまく運用ができない、続かない、使えない。
とにかく、とんとん拍子、ということは絶対ないのが義母の関係者。
周りが上手く行かなけりゃ、義母本人もうまく回りません。
都合のいいときだけ手を伸ばし、自分の都合のいい話を作り、
周りを動かしながら、自分は安全な場所に身を隠し、
「なんとかなるわよ」、
が昔からの口癖。
そして人が作ったルートを、なんの感謝もせず、
あたかも自分が作った道のような顔をして、シラッと歩く。
その繰り返しの人生です。
本当の自分は一切見せず、真面目に人と向き合うことは避け、
絶えず、どんな場合でも自分の方が上で、
人に物をあげ、上下関係を作り出し、自分を絶えず上に置き、
自分の意見は正しくて、人の意見には一切耳を傾けず、
人の言葉は最初から全否定から入り、自分の理屈を並べ、
話を自分の都合よく作り、自分に有利な話しに作り変えてしまう。
こんな人に、自分の大事な時間を割く必要があるのか?
義母は何も頑張らずに、自分のことは棚に上げ、文句は一人前。
周りの人をこまずかいのように使い、要らなくなったら、
「もう帰っていいわ」だとさ。
なんか、ばっかみたい、わたし・・・・。
むかし、お世話になった方から言われたことがある。
「あなたが頑張って、真面目に向き合っているからこそ、
みんなが力をくれるのよ。
あなたが一生懸命だから、困ってるから、助けるの。
頑張ってない、口だけの人には賛同はしないはず」
そう言われたことを思い出した。
あと、息子がお世話になった児童精神科の先生が言っていた言葉。
「人はね、その人に良かれと思って先回りして動くことがある。
それがね、「ありがとう」と感謝され良い場合もあるけど、
「おきなお世話」と嫌味を言われる悪い場合もある。
受ける側によって、全く真逆な答えが出るんだよ。
決めるのは周り人間じゃない、本人自身が決めること。
平坦な道の方が良いに決まってる、楽だから。
でもね、それじゃ、成長はしないんだよ。
ガタガタ道も歩んでみて、思うことがあるんだよね。
その時、困ったときだけ杖を貸し、自分で歩いてもらいましょう。
そしていつか、
沢山の杖がなくても歩けるようになったと本人が思えば、
1つずつ杖が帰ってくるでしょう。
その都度、本人が決めて、歩む道も選択していきます。
そうすることで、責任が生まれます」
義母も結局は自分が決めること。
人を信用しなくても、周りとコミニュケーションが上手く取れなくても、
プライドが高く、人にお願いも出来なくても、いいんですよ、本人は。
でも、どうでも困った時は都合よい身内を使い、うまく話を作り人を使うでしょう。
でもそんな都合のいいことはないはず!!
がむしゃらに、頑張ればいいのです。
恥をかいたっていいじゃない、恥ずかしくたって、傷ついたって、
惨めになったっていいじゃない。
全部自分でしょ。それが自分のほんとの姿なんですよ。
見ればいいわ、本当の自分を!!
その自分をさらけ出したとき、何かが動くでしょうね。
もう私は、義母に必要以上はしない。
いろいろ要求されても、自分の時間に当てはまらないときはお断りです。
決めるのは義母自身、私には決定権はありません。
責任も義母自身にとってもらいましょ。
そうなると、後始末も義母自身となります。
なんか、スッキリした。
ず~っと喉に刺さった魚の骨が取れた感じ(笑)