日々、思うことをサラサラと。

日頃、イイな、とかおかしいゾ、とかキレイだなと思うことをサラサラと書き出してみたい。

ゆうさんの絵(1)

2006年10月09日 | 喜怒☆楽
友人のゆうさんの絵画です。
”とまと”を栽培しながら時々絵を描いてます。

「-朱ー 赤とんぼが秋を描く」

豊穣の稲穂の上空を赤とんぼがフワフワ飛んで遊んでます。
ゆうさんの絵はどれも油絵の具をたっぷり使い込み、層が厚くどっしり
してます
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日本への置手紙

2006年10月09日 | 映画
この本は、モンゴルからの留学生”ボヤンヒシグ”さんのエッセイ(詩)です。
 昨年?もブログで簡単に紹介しましたが、最近また読み直して新たにこの人の言葉の魅力に捕り憑かれてます・・・・と、いうことで再度掲載しちゃいます。
ボヤンさんはモンゴル大学を卒業後、北京出版社で7年勤務し、その後日本に留学し大学院で日本文学を学びます。その日本語の理解度たるやスゴイで
ボヤンさんの紡ぎだす言葉はまるで「書く」というより「描く」と表現してもいいくらいに豊かです。自由闊達に当意即妙の言葉を繋ぎ構築していきます。日本語に慣れた日本人には思いもつかないモンゴルの人ならではの言葉の解釈は斬新で、随所でキラリと輝きます

22編に分かれたエッセイの中から一つ抜粋します。
  < 天衣無縫 >
「天衣無縫」という四文字熟語がある。・・・(中略)・・・人間の第一衣装は皮膚だという哲学者がいる・・(中略)・・皮膚という衣装は何を見せ、何を隠すためのものなのか。水よりも、ため息よりも、雲よりも柔らかい感触の向こうに膨大で複雑な組織を包装している。皮膚を内側の深層から織り成し、染めているのは紛れもなく、血液、体液、骨、関節・・・様々な欲望めいたものである。見せているのは「天衣」の縫い目に違いない。すなわちデザインだ・・(中略)・・・・
・髭があるため男たちはどこかで荒っぽい。女の唇はほぼ完成されてる。・・・
目の縫い目は一番きれいその中に「眼球」という宝石がはめ込ま
れている。それが黄色であれ、碧緑であれ、青であれ、茶色であれ値が同じなのだ。その宝石の光と外側のものの光の加減によって、目は開いたり閉じたりする。
表情としての眉毛と、飾りとしての睫には文句をいう余地もない。・・・へその下には人格はないというが、今はむしろへその上に人格がない。へそというのはボタンであり、身体の上下の境目であり、母体のつながりの痕跡でもある。女には乳首というものがある。男たちにとっては、永遠にほどくことのできない炎のボタンに違いない。上手に触っても乱暴に触っても、罪の足跡はいつまでも消えない不思議な立脚点。男女の性器もわざわざ誤ったようなデザインである。・・・・・縫ったり、ほどいたりする余裕のある「消費者」まかせのデザイン.......(長くなるのであちこち略して転載しました)

在住7年の異国の留学生が記した文章は、清潔で律儀。そして思いもかけぬ方向からキラリと未知の言葉で切り取り、私の呆けた感性を刺激してくれました
 「懐情の原形 ーナラン(日本)への置手紙ー」ボヤンヒシグ著:英治出版


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