年内の「お出掛け」は、お・わ・りー
この半月位、チョーハードに外出してました、ワタクシメ。
我ながら「障がい者」とは思えないほど、よくぞ、いろんな所に行きました ♿
Facebookには「乗り換え案内が不親切だった」とか「○○駅は不便だ」とか「おまわりさんも道がわからなかった」とか・・・(笑)
本来の目的とは関係ないことを書いて遊んでいましたが、大公開しているブログには、真面目なことを書くことにします!
昨日で「デカイ外出」は終わりまして、まったり寝坊もできたので、気合を入れて更新します。
花田春兆-その人と作品-展
昨年5月13日、91歳で旅立たれた花田春兆先生。
俳人として、作家として、障害者運動のリーダーとして、活躍されてきた春兆先生の人柄と業績を多くの方々に知っていただくために花田春兆展。
その締めくくりとして開催された、荒井裕樹氏(二松學舎大学専任講師)による記念講演を聴いてきました。12/1
「もし花田春兆氏がいなかったら、日本に障害者運動は起こらなかったのではないか」と。
荒井氏はそこから話を始めました。
学生時代純粋な国文学徒であった荒井氏は、「文学者」としての春兆先生にひかれたようですが、先生の強力な吸引力によって、
いつの間にか弟子兼私設秘書(介護も含)になっていたそうです。
荒井氏は「僕は車いすを押したことはない。いつも追いかけていました。春兆先生の電動車椅子のスピードが速くって・・・」と笑っていました。
春兆先生が創刊した「しののめ」誌が、障害者の綴り方による文学・政治、総合的な運動として発展していったことを改めて知りました。
障害者が心の奥底に宿している本当の思いを表現するためには、多くの壁が存在します。
作品を投稿する際には(郵便を出す際)、家族の手を借りるので、家族の目に触れることを意識し、当たり障りのないことしか書けなくなってしまう。
ささいなようで大きな抑圧から解き放たれるためには、大きな勇気が必要だった・・・
(こういうことはワタクシメも経験しています)
障がい者の「勇気」が「障害者運動」となり、社会を変えていくわけです。
春兆先生が主催した「しののめ」は、社会の抑圧から障がい者を解放するための、起爆剤でもあったのです。
荒井氏の分析によると、男性障害者が「人間」という言葉を多用するのに比べ、女性障害者は自らが「女」であることを綴った作品が多いそうで、たいへん興味深く拝聴しました。
本講演の「“言葉“から読み解く優生思想」
荒井氏が問題視しているのは、最近話題になっている不妊手術や出生前検診などのように、医療分野にかかわるものだけではありません。
もっと広義の、いわば社会全体の空気のようなもの。
家族や施設職員の「善意や愛情の仮面」を被って現れるため、その本質をつかみきれないのではないかとも話されていました。
それを突き破る武器が「描くこと・表現し発表していくこと」で、春兆先生はそこまで考えて「綴り方・同人誌活動」を始めたのでした。
もちろん一般的にいう「綴り方@作文教育」の役割もあったでしょうが、春兆先生は障がい者が描くことにより「力」を持ち、社会に出て行く道筋を
作って下さったのだとわかりました。
そしてワタクシメも、その「道」により社会人として生きていられるのだと、再認識しました。
現代はネット・SNSにより簡単に発信できるから、逆に「綴る力」が弱くなってしまった気もします。
ワタクシメ、ただ今ブログを書きながら反省しております。 <(_ _)>
この半月位、チョーハードに外出してました、ワタクシメ。
我ながら「障がい者」とは思えないほど、よくぞ、いろんな所に行きました ♿
Facebookには「乗り換え案内が不親切だった」とか「○○駅は不便だ」とか「おまわりさんも道がわからなかった」とか・・・(笑)
本来の目的とは関係ないことを書いて遊んでいましたが、大公開しているブログには、真面目なことを書くことにします!
昨日で「デカイ外出」は終わりまして、まったり寝坊もできたので、気合を入れて更新します。
花田春兆-その人と作品-展
昨年5月13日、91歳で旅立たれた花田春兆先生。
俳人として、作家として、障害者運動のリーダーとして、活躍されてきた春兆先生の人柄と業績を多くの方々に知っていただくために花田春兆展。
その締めくくりとして開催された、荒井裕樹氏(二松學舎大学専任講師)による記念講演を聴いてきました。12/1
「もし花田春兆氏がいなかったら、日本に障害者運動は起こらなかったのではないか」と。
荒井氏はそこから話を始めました。
学生時代純粋な国文学徒であった荒井氏は、「文学者」としての春兆先生にひかれたようですが、先生の強力な吸引力によって、
いつの間にか弟子兼私設秘書(介護も含)になっていたそうです。
荒井氏は「僕は車いすを押したことはない。いつも追いかけていました。春兆先生の電動車椅子のスピードが速くって・・・」と笑っていました。
春兆先生が創刊した「しののめ」誌が、障害者の綴り方による文学・政治、総合的な運動として発展していったことを改めて知りました。
障害者が心の奥底に宿している本当の思いを表現するためには、多くの壁が存在します。
作品を投稿する際には(郵便を出す際)、家族の手を借りるので、家族の目に触れることを意識し、当たり障りのないことしか書けなくなってしまう。
ささいなようで大きな抑圧から解き放たれるためには、大きな勇気が必要だった・・・
(こういうことはワタクシメも経験しています)
障がい者の「勇気」が「障害者運動」となり、社会を変えていくわけです。
春兆先生が主催した「しののめ」は、社会の抑圧から障がい者を解放するための、起爆剤でもあったのです。
荒井氏の分析によると、男性障害者が「人間」という言葉を多用するのに比べ、女性障害者は自らが「女」であることを綴った作品が多いそうで、たいへん興味深く拝聴しました。
本講演の「“言葉“から読み解く優生思想」
荒井氏が問題視しているのは、最近話題になっている不妊手術や出生前検診などのように、医療分野にかかわるものだけではありません。
もっと広義の、いわば社会全体の空気のようなもの。
家族や施設職員の「善意や愛情の仮面」を被って現れるため、その本質をつかみきれないのではないかとも話されていました。
それを突き破る武器が「描くこと・表現し発表していくこと」で、春兆先生はそこまで考えて「綴り方・同人誌活動」を始めたのでした。
もちろん一般的にいう「綴り方@作文教育」の役割もあったでしょうが、春兆先生は障がい者が描くことにより「力」を持ち、社会に出て行く道筋を
作って下さったのだとわかりました。
そしてワタクシメも、その「道」により社会人として生きていられるのだと、再認識しました。
現代はネット・SNSにより簡単に発信できるから、逆に「綴る力」が弱くなってしまった気もします。
ワタクシメ、ただ今ブログを書きながら反省しております。 <(_ _)>