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「ねえ、お願いだから僕と一緒に行ってくれない? とりあえず焼却炉に。きっと僕の服や上履きがあるから」
おちんちんを隠しながら立ち上がった僕は、B男とP太郎に同行を頼んだ。いくら夜間の小学校でもひとりで素っ裸のまま校舎を出るのは抵抗があったから、どうしてもこのふたりに守ってもらいたかった。
「ラジャー。任せてくれ」
B男が揃えて伸ばした指をピッと額に当てて応じた。
すると、案の定、自分だけ仲間はずれにされたのが癪にさわったのか、あるいは僕に探偵の株を奪われると思って焦ったのか、K川が「よし、おれが解決してやるからよ」と勇ましい声を上げた。
「解決? K川くんが解決できるの?」マリモンが疑わしげな目をしてきいた。
「当たり前だろ。はっきり言ってナオスには荷が重いよ。おれじゃなきゃ解決できないと思う。まずは焼却炉だ。どうだ、一緒に行くか?」
「もちろん、行くよ」ミドリさんが腰かけていた机から飛び降りて、言った。
こうしてK川の誘いに乗り、女子全員も焼却炉へ向かうことになった。
付き添いを頼んだ男子ふたりはあてにならなかった。すっかり乗り気になった女子たちに阻まれて僕に追いつけなかったのだ。素っ裸のまま教室を出た僕は女子に囲まれて暗い校舎の廊下を走り、階段を駆け下りた。両手でしっかり隠していたからおちんちんは見られなかったけど、それ以外は全部丸見えだった。しかし、とにかく緊急事態なので、気にしている場合ではなかった。
一階まで下りた。左に曲がると下駄箱で、普通だったらそこから外に出る。しかし遠回りだった。焼却炉に火が入れられる前に服を取り出さなくてはならないから、靴を履く時間すら惜しい。僕はためらわず右に進み、裏口から外に出るコースを選んだ。そのほうが、裸足のまま走ったとしてもずっと早く焼却炉へ到着する。おまけに下駄箱を経由すると、途中で明かりのともった職員室の前を通ることになり、先生に見つかってしまうリスクもある。もし見つかったら、必ずやこの恥ずかしい全裸の身を咎められて、ますます時間をロスするだろう。
バスケットボール部の男女六人とマリモンは下駄箱で靴に履き替えるコースを選んだ。いずれ焼却炉で合流するとして、それまではしばし単独行動だ。
ギーと軋るドアを押し、僕はパンツ一枚身に着けない、完全な裸で校舎の外に出た。夜の冷気に包まれて全身の肌がブルッと震えたけど、寒さなど感じる余裕もなく走り出す。校舎の裏側の、夜目にも白いコンクリートで固められた部分を踏んで、校舎に沿って進む。
真っ暗な木々の合間からちらちらと動く赤い物が見えて、僕は絶望に打ちのめされそうになった。校舎の先、敷地の端に据えられた焼却炉のある方向だったからだ。
「お願い、火を止めて、火を止めて」
焼却炉の前に立つ人影に向かって、僕は叫びながら走った。校舎から出てきた三人か四人くらいの女子が僕の姿を見て、キャッと悲鳴を上げた。
人影が振り返った。炉の中で燃えさかる火に照らされて、顔がはっきり見えた。用務員のおじさんだった。暗闇の中から走ってくる素っ裸の僕を認めるや、おじさんの顔は驚愕と恐怖で目を大きく見開いたまま凍結した。
「また出たー。シュ、シュンヤー。ヒィー」
悲鳴を上げておじさんが走り去ったので、僕はおちんちんから手を離した。走る速度がさらに上がった。
近くにあったバケツに水を入れて運び、焼却炉のガラス窓のついた蓋を引っ張り開けた。燃えさかる炎に上からザブンとバケツの水をかけると、ジューッという音がして急速に下火になり、消えた。
間に合わなかったか・・・・・・。
がっくりして膝を落としたところで、同級生たち七人が到着した。こちらに向かう途中、ダッシュして逃げる用務員のおじさんとすれ違ったらしい。「あのジイさんが全力で走るのを見るのはこれで二回目だな」とK川が笑った。
「火、つけられちゃった」と僕は嘆いた。
「まだ諦めるのは早いって。焼却炉の中に服があったか、確かめたの? もしかしたら、なかったかもしれないわよ」
落胆する素っ裸の僕の肩に手を置いて、ミドリさんが言った。確かにその通りだった。僕の推測が間違っていた可能性もある。「さあ、これで」とミドリさんが焼却炉の横に取り付けられてあったトングを手渡してくれた。
焼却炉の前で正座し、おちんちんを股に押し込んで隠した僕は、下段の観音開きの留め具を外して、扉を左右にひらいた。正座したまま上体を伏せるようにしてトングを突っ込む。黒い燃えかすが次々とトングに挟まれて出てきて、僕は一縷の希望が潰えたのを認めざるを得なかった。僕の推測は間違っていなかった。
黒いゴム状の塊は僕の上履きだった。ズボンやアンダーシャツ、靴下はすっかり灰になってひらひらと舞い、ベルトの黒焦げになった金属のバックルの上に降りかかった。さらに奥のほうをかき回すと、もうひとつ黒焦げの残骸がトングに引っかかった。僕のブリーフパンツだった。あの用務員のおじさんが投げ入れたらしい。雑巾としていつまでも使っていたら恥ずかしいだろうと言っていたから、もしかすると善意で燃やしてくれたのかもしれないけど、僕にはショックだった。かろうじて元の形状を残しているので穿こうとしたら、たちまちゴムがパチンと切れて、パンツだった物は片々たる布切れと化した。
無残な残骸を前にして、さすがの男子三人も無口になった。
「ナオスくん、かわいそう」とリロ湖さんが呟いた。
その瞬間、僕は無性に悲しくなって、涙がどっと溢れてきた。
「何やってんの、あんたたち」
後ろのほうで、女の人のハスキーな声が響いてきた。
「あ、ハルミ先生だ」とB男が言った。
僕たち五年三組の隣のクラス、四組の担任のハルミ先生が仁王立ちしていた。いつも小さな声で囁くようにしゃべるのに、この時はまるで別人だった。ぼさぼさ頭に丸眼鏡をかけた、暗い先生という印象がたちまち更新される。やはり学校の先生だけあって、異常な事態を察するアンテナを備え、それに対処する心構えもあるようだった。用務員のおじさんが職員室に駆け込んで、「シュンヤくんが出た」と目を白黒させて騒ぐので、若い先生たちが尻込みするなか、確かめに来たという。
結婚相手には全然高望みしていないのに、四十五歳になっても良縁に恵まれない先生だった。そのことで心ない同僚からあからさまに揶揄されても、おやじ先生に「愛想がないな、きみは。そんなんだからいつまでも結婚できないんだよ」とハラスメントされても、ブスッとした顔で徹底的に無視を貫くだけあって、さすがに肝が据わっている。
夜の学校に五年三組の生徒が八人も残っていて、しかもそのうちのひとりは素っ裸なのだから、何かよくない事件が起きたのではないかと思われるのも当然だった。
「シュンヤくんて、あなたのことだったのね、ナオスくん。でもね、シュンヤくんはパンツ一枚みたいだけど、あなたは真っ裸じゃないの。いったいどうして?」
ウウッ・・・・・・。ハルミ先生のほうを向いて立ち上がった僕は、両手でおちんちんを隠したまま、呻くばかりだった。あまりにいろいろな出来事が重なって、とても自分の置かれた状況をうまく伝えられそうにない。ミドリさんが僕に代わって説明してくれた。
「ほ、ほう、そういうことか。それはまさかまさかの展開だったわね」
納得したハルミ先生は、恐れていたような、ひどい事件ではないと思ったのか、安堵の息を吐いた。僕からしたら、ものすごくひどい事件なのだけど、女子に裸でお仕置きを受けていた男子がいたずらされて服を紛失したというのは、ハルミ先生には軽微な悪ふざけという認識を出るものではないようだった。服を焼かれてしまったのに。
「それで、ナオスくんのお洋服を焼却炉に入れたのは誰なの?」
ハルミ先生が眼鏡の分厚いレンズ越しに目をキッと光らせ、一同を見回した。地味で暗い、普段から声の小さい先生ながら、「怒らせるとマジでこわい」というもっぱらの噂だったけど、その噂は本当のようだった。
「このひとです」と言ってマリモンがK川を指した。
「おれじゃねえよ。なんでおれなんだよ」と口を尖らせるK川。しかし女子たちは誰もその言葉を信じなかった。
「そういえばK川、あんた部活の途中、教室に戻ったでしょ」とミドリさんが言った。
「戻ったよ。ノートを取りにな。それがどうしたんだよ」
「ナオスくんはY美ちゃんたちとトイレに行ってて、教室には誰もいなかった。あんたは机にあったナオスくんの服を持ち去って焼却炉に入れたんでしょ」
「いい加減にしろよ。勝手な作り話すんじゃねえ。確かにおれが教室に入ったときは誰もいなかったけど、ノートだけ取ったらすぐに戻ったよ。机にこいつの服があったかどうかも覚えてねえや」と、K川は僕へちらと目を向けて言った。ひとりだけ素っ裸でおちんちんを隠して立っている僕は、空いたほうの手で反対側の腕をさすったり、足でもう片方の足を交互にさすったりして夜の冷気に耐えていた。
「うそばっかり。あんた、よくナオスくんに意地悪してるじゃん。どうせ出来心で服を持ち去ったんでしょ。素直に認めなさいよ」
「いや、いくらおれでも、さすがに服を焼却炉に入れたりはしねえよ。隠すことはあるかもしんねえけどな」
「聞いた? 隠すことあるって自分でも認めたよ」と、リロ湖さんが言質を取った。
「どうなの、K川くん。男の子がよくやる、いたずらのつもりだったんでしょ? 先生、怒らないから、ほんとうのこと言って」
ハルミ先生が柔和な笑みを浮かべてK川に自白を迫った。ところで、先程来、ハルミ先生は、ミドリさんたちとK川のやり取りを聞きながら、なぜか僕の一糸まとわぬ体へずっとじろじろと好奇の視線を向けて憚らない。僕の「やめて、そんなにじろじろ見ないで」という無言のメッセージも完全に無視。もっともそのおかげで僕は羞恥の念から少しも解放されず、体温が上昇して、いくばくか寒さを凌ぎやすくなってはいるけど。
「ほんとにおれ、知りませんから」
K川の顔は怒りで真っ赤に染まっていた。
「ふん、どうだか、わからないね。K川以外にあやしい人、いないし」
「N川までおれのこと疑ってんのかよ。ちくしょう」
「疑ってるんじゃないよ。確信してんだよ」
「ずいぶん冷たいじゃねえかよ、N川。おれと付き合ってくれるって言ったくせに」
「え、あれ、真に受けたの? 冗談に決まってんじゃん」
「じょ、冗談?」
絶句したK川は横にいる僕を睨んだ。その目には「おまえのせいでおれが疑われて、N川にまで振られちまったじゃねえか」というやり場のない憤怒が込められていた。
僕は思いきって切り出すことにした。
「うん、僕も服を焼却炉に入れたのはK川じゃないと思います」
「へえ、ナオスくん、被害者なのに弁護するんだ」とハルミ先生がぼさぼさの頭を振って感心した。
「いや、弁護とかじゃなくて、事実を確認したいんです」
そう言ってから、僕は確認するべき事実を指摘した。
すなわち、エールワイフのシャツだけは燃えかすが見つかっていないということだった。
「そうか。シャツはもう真っ黒の灰になったってことか」
B男が得意満面の顔をして、指をパチンと鳴らした。ちがーう。K川の自信の泉がどうやらこの男にも湧き出たようだった。
「いや、そうじゃなくて、エールワイフのシャツは別の場所に隠されているってことだよ」
「へえ、別の場所?」B男はぽかんとして、夜空を見上げた。中秋の月が雲の切れ目からあらわれたところだった。
「その別の場所って、どこだかわかるの?」と、ハルミ先生が僕に詰め寄ってきいた。おちんちんを隠して立つ僕の頭のてっぺんから足の指までを、あいかわらずじろじろ舐めるように見つめている。
「ええ、見当はついてます」
「どこ?」ミドリさんが畳みかけてきた。
「ウサギ小屋の中だと思う」
リロ湖さんがプッと吹き出した。「それはありえないと思うよ、ナオスくん」
「なんで?」
「だって、あすこには鍵がかかってるもん。勝手に中に入れないよ」
「それって裏を返せば、鍵を持ってる人は入れるってことだよね。この中に鍵を持ってる人がいるんだよ」と僕は言った。「ね、マリモン? 小動物飼育部の副部長だよね」
いきなり話を振られて、マリモンは言葉に詰まった。あたふたしたかと思うと、キッと引き締まった顔つきになって、
「わたしのほかにも部長が持ってるけど」
「うん。でも六年生の部長はもうとっくに帰宅してるよね。今日は部活ないはずだから」
事態の思わぬ成り行きにバスケットボール部員たちは固唾を呑んだ。
「なんか、いやな感じ。ナオスくん、あんた、わたしのこと疑ってるの? わたしがあんたの服を持ち去ったって思ってるの?」
僕は少しためらってから、きっぱりと言った。「すばり、そうだよ」
な、何よ、と怒気を露わにするマリモン。そこへハルミ先生が仲裁に入った。
「まあまあ、落ち着きなさい、あなたたち。ところでマリモンさん。あなた、本当にウサギ小屋の鍵を持ってるの? 持ってるなら出しなさい」
マリモンは黙ってうなずき、ポケットから鍵を取り出した。ハルミ先生が「じゃ、ナオスくんの推理が正しいか、ウサギ小屋へ確かめに行きましょう」と言ってマリモンの手のひらから鍵を取ろうとしたところで、そうはさせじとマリモンが鍵を握りしめた。
「ちょっと待ってください、ハルミ先生。ナオスくん、わたしのこと犯人扱いして、もし違ってたらどうやって謝罪するつもりか、聞いてからでないと鍵は渡せません」
「それはそうよね。マリモンさんの気持ち、よくわかるわ」とハルミ先生が穏やかにうなずくと、僕を向いて、「ねえ、もしウサギ小屋にあなたのシャツがなかったら、マリモンさんにどうやって謝罪するつもり?」
今度は僕が言葉に詰まる番だった。もしなかったら、どうしよう、どうやって謝罪しようか、と考えていると、
「学校で丸一日、素っ裸で過ごすってのはどう?」とマリモンが提案した。
「へえ、それ、すごい」とN川さんが目を輝かせた。
「教室に入ったらお洋服全部脱いで、すっぽんぽんになるの。もちろん授業もその格好で受けてもらう。上履きもだめだよ。今のナオスくんそのままの格好で、終礼まで過ごす。トイレに行く時も裸。どう? できる?」
「昼休みには、その格好で校庭を十周させようよ」とN川さん。
「いいね。じゃ、それも追加」
「そんなの、先生が許すわけないじゃん」と、僕はブルッと震えてマリモンに言った。ずっと素っ裸で外にいるからさすがに体が冷えてきた。
「なかなかおもしろい罰ゲームね。独創的だわ。いいですよ、マリモンさん。わたしがあなたたちの担任のノノコ先生に掛け合って、特別に許可を出してもらいましょう」
「冗談でしょ。なにそれ?」
「ナオスくんは黙ってなさい。わたしは本気ですよ」
「ありがとうございます、ハルミ先生」とマリモンがぺこりと頭を下げると、僕に恨みがましい目を向けて、言った。「どう、それくらいの覚悟があるなら、ウサギ小屋の鍵を渡してあげてもいいけど」
マリモンの意図を察した僕は、強気になってうなずいた。
「いいよ。もしウサギ小屋にエールワイフのシャツがなかったら、マリモンの言うとおりにするよ。約束する。だから早く鍵を渡して」
焼却炉からウサギ小屋まで校庭を横切っても百メートル以上の距離がある。夜の八時を過ぎた小学校は職員室などの一部を除けば真っ暗で、廃墟のようだった。マリモンを先頭にして、バスケットボール部の男女六人、ハルミ先生と僕の九人は、ぞろぞろと歩いた。
寒い。特に吹きつけてくる風が冷たく感じられた。重々しい雰囲気を打ち破ったのは、ミドリさんの何気なく発した呟きだった。「夜になるとさすがに肌寒いね」
このひと言に救われたかのように、みなは「寒いね」「寒いよね」と次々と同意した。
B男が僕のすぐ後ろから、「ねえ、ナオスは寒くないのかよ?」ときいてきた。
「ばかね。寒くないわけないじゃないの」と、ミドリさんが代わりに答えてくれた。「わたしたちは服を着てるけど、それでも風が吹くと寒く感じるでしょ。ましてやナオスくんは素っ裸なんだよ」
「そうかな?」
「そうかな、じゃないわよ。ナオスくんの体をよく見てみなさいよ。全身が青白くなってるし、乳首なんか、ぷるっと寒さで震えてるじゃないの。校庭の地面も、わたしたちは靴を履いてるからあまり感じないけど、ナオスくんは裸足だから、きっと冷たいと思うわ。細かい砂の粒はきっと氷のように感じるんでしょうね」
「そうだよね。お尻なんかも、きゅっと萎んでるように見えるしね」と会話に加わったN川さんが僕のお尻をペタッと触った。「冷たッ」と言って、手を引っ込める。
ひとりだけ素っ裸、裸足で校庭を歩いていることを強烈に意識させられた僕は、惨めさと恥ずかしさに背中を丸め、おちんちんを隠しながらもう片方の手で自分の裸身をさすり、冷たい地面を踏んでは跳ねるように歩き続けた。
「おう、女子たちはあんなこと言ってるけど、実際のところは、どうなんだよ」
B男はどうしても僕の口から聞きたいようだった。
「あいにくだけど、寒くないね。こんな程度の寒さなんか、どうってことない」
なんだか腹立たしくなって、つい、こんな強がりを言ってしまった。
すげー、すごーい、すごッ。バスケットボール部の男女六人が僕を褒めそやした。P太郎などは「すげえや。やっぱおれ、ナオスのこと尊敬するよ」と、これまでの僕への軽んじた態度をころりと変えて、感嘆するほどだった。単純なやつ。
こうした賞賛の声を僕は平然と聞き流したつもりだったけど、ハルミ先生はそうは受け取らなかったようで、「なんでそんなに得意そうなの? 素っ裸のくせに」と、突っかかってきた。
得意そう? ピンと来なかった。全然そんなつもりではなかったから。
クエスチョンマークを浮かべた僕の顔は、しかしハルミ先生のイラッとした感情を増幅させただけだった。「強がるのは、やめなさいよ」
強がってるつもりも全然ない。だけど、ハルミ先生からは、一切反論を許さないような、暗い情念のようなものが漂ってきた。
「あなた、全裸なのよ。なんで寒くないなんて嘘言うの?」
いや、嘘ではなく、そう言って自分に言い聞かせたつもりだったのだけど、「怒らせるとマジでこわい」ハルミ先生の機嫌をこれ以上損じたくなかったから、僕は黙ってうつむき、暗い校庭を踏む自分の素足を見つめながら、ただ歩を進めることに専念した。
「寒くないなんて嘘いっても、すぐバレるんだからね」
ハルミ先生はそう言うと、僕の後ろに回って服を着た体を密着させた。「な、何するんですか」と驚く僕の手首をつかみ、一気に万歳させた。ヒィィ、おちんちんが・・・・・・。
「いや、やめて。見ないで」
バスケットボール部の女子が約束事のように黄色い声を上げるなか、僕は丸出しになってしまったおちんちんを隠そうとして必死に腰を引いたり捻ったりしたけど、無駄なあがきにすぎなかった。
「ご覧なさいな、この小さく縮こまったおチンコちゃんを。ほんとは寒くてたまらないんでしょ、どうなの?」
「ごめんなさい、寒いです、寒いから、もう放して」
羞恥の極みで悲鳴を上げる。皮をかむって小さく丸まったおちんちんをクラスメイトたちがじっと見ていた。先頭のマリモンも立ち止まって、まるでおちんちんを初めて見たように目を大きく見開いた。
万歳させる役をP太郎に委ねたハルミ先生は僕の前に回ると、しゃがんで、皮の中で丸まったおちんちんをピンピンと指で弾いた。「寒いんだよね。だからこんなに小さくなっちゃったんでしょ? どうなの?」
もうやめて、許して、と吊られた裸身を揺すって訴える。屈辱と恥ずかしさで全身がカッと熱を帯びて、寒さなど感じなくなるほどだった。
「男の子のあそこって小さくなると、丸まっちゃうんだね。初めて知った」とリロ湖さんが感心して見入った。
アウウッ、と声を上げてしまった。ハルミ先生におちんちんを摘ままれた。寒さで皮隠りするおちんちんを左右に激しく揺さぶられる。キャッキャッと声を上げて喜ぶN川さんとリロ湖さん。
悔しい、いっそのこと、勃起しちゃおうか、と思った。
もしここでおちんちんが硬くなったら、彼女たちも笑ったり、優位の立場で僕の一糸まとわぬ体を観察したりすることもできなくなるだろうと考えたのだ。Y美たちに電気あんまされて、たまたまスイッチが入って勃起してしまった時、Y美たちは性の未知なる領域に恐怖を覚えて、いじめを中断した。
勃起するところを見られるのはたまらなく恥ずかしいけれど、全裸の僕を見下ろす彼女たちから優越者の意識を取っ払うことができるのであれば、いっときの羞恥を我慢して勃起するのもありだと思った。
でも残念ながらそれは無理そうだった。皮籠りのおちんちんを揺さぶられ、笑われている状況で性的に感じるのは絶望的に難しい。そしてもうひとつ忘れてならないのは、この場にはハルミ先生がいるということだ。いまだ性交知らずという噂だけど、四十五歳の女性が十一歳の同級生女子と同じ反応を示すとは思えない。もし僕にいきなり力が漲って勃起したら、ハルミ先生は僕を一人前の男子と認めて、この屈辱的な仕打ちをやめるだろうか。
いや、その可能性は極めて低い。むしろいっそう嗜虐的になって僕をさらに冷やかし、嘲笑し、僕の自尊心を傷つけるだろう。そこに同級生女子も加わる。彼女たちは僕の勃起を見てわずかなりとも畏怖してしまったおのれの弱さを打ち消すかのように、僕の硬くなったおちんちんを慰み物にするだろう。そうなったら僕はもう、さすがに立ち直るのが困難になってくる。
嘘をついたと責められ、謝るようにハルミ先生に言われて、僕は両手を吊り上げられたまま、体を激しく揺すって、「ごめんなさい」を連発した。
やっと手を離してもらっても、秋の夜のひんやりした空気に縮み上がったおちんちんを至近距離でハルミ先生やクラスメイトたちに観察され、弄ばれたショックは大きく、しばらくまともに歩くこともできなかった。
「あなたね、裸だから、おチンコちゃん見れば、すぐに嘘がバレるんだよ。女と違って男は単純なんだ。おチンコちゃんは正直だからね。寒くないなんて嘘言ったらだめなのよ」
ハルミ先生の勝ち誇ったような言い方に、僕を含めて男子は全員、打ちのめされたように沈黙した。
ウサギ小屋に到着した。
神妙な顔つきのマリモンがハルミ先生から鍵を受け取った。南京錠を外して、金網の戸を引き、僕に目配せする。
さっそく中に入ろうとすると、マリモンが言った。「忘れてないよね?」
「うん。もしもなかったらってことだよね」
「そうだよ。もしウサギ小屋の中にナオスくんのシャツがなかったら、今みたいに素っ裸のまま一日学校で過ごすんだよ」
「そうだったね。その約束は覚えているよ」
僕はいよいよ確信した。シャツは絶対にこのウサギ小屋の中にある。
敷居をまたいでウサギ小屋に入る。敷き詰められた藁が足の裏に暖かかった。白いウサギ、黒いウサギ、まだら模様のウサギが夜の闖入者に怯えたのか、隅っこで身を寄せ合っていた。表側と裏側の二カ所に棚板が通されてあった。どちらも天井ぎりぎりの高い位置だった。僕はまず奥側の棚板を調べることにした。
小さな台に乗り、背伸びして手を伸ばす。棚の上には袋詰めの餌が積まれてあった。シャツが隠されていないか手探りしていると、後ろから懐中電灯の光が差しこんできて、僕の手元を照らした。いつのまに用意したのか、懐中電灯を持ったハルミ先生と同級生たちが金網越しに光を当ててきたのだった。すぐに光はあちこち動いて、手元だけでなく僕の背中やお尻、太ももを這い回った。意地悪な同級生たちが素っ裸のままシャツを探す僕の無防備な後ろ姿に照明を当てるのだった。台の上で背伸びしているから、汚れた足の裏まで白い光のもとに晒された。
奥側の棚板にはなかった。となると次は表側の棚板だ。僕はおちんちんを隠しながら台を表側の棚板の下に移動させた。金網の向こうにいる同級生たちと目が合った。誰か僕の代わりに調べてもらえないか、頼んだ。彼らはにべもなく断った。マリモンが「自分で調べなさいよ。ウサギ小屋の中にあるって言ったのはあんたでしょ。なんで人に頼るのよ」と僕を非難した。
「だって僕、裸だし、もうこれ以上見世物になりたくないから」
さっきは後ろ向きだったけれど、今度は表側だから前向きになる。棚板を調べにはどうしても両手を上げざるを得ない。これ以上おちんちんを見られたくなかった。
「いやなら別に調べなくてもいいのよ」とハルミ先生が言った。「ウサギ小屋にあなたのシャツはなかったということになるだけだから。あなたは約束どおり学校で素っ裸になって一日過ごすのね」
そもそも学校側でそんなことは絶対に許さないだろうに、ハルミ先生のハスキーな声でそう念押しされると、本当に約束を実行させられそうに感じられるから、怖かった。
「わかりましたよ。僕が自分で調べるから。でも、お願いだから目をつぶっててよ。もう僕の体はさんざん見たでしょ?」
「やだよ。なんで目をつぶんなきゃいけないのよ」とN川さん。
「そうよ。懐中電灯で照らしてあげるから、とっとと調べなさいよ」とリロ湖さん。
勝手にしてよ、もう。僕は泣きたくなる気持ちをこらえて、台に乗った。
エールワイフのシャツは大切に、汚れない場所に保管されているから、藁の下にはあろうはずがなかった。どうしても棚板の上があやしかった。
もうどうせ見られちゃったんだから、と自分に言い聞かせると、背伸びして棚板の上を探し始めた。
奥側と違って表側だから、金網の外側にいる人たちが僕の手元を懐中電灯で照らすことはできない。できることと言ったら、せいぜい下から僕の顔に光を当てる程度だった。でも、そんなのは眩しいだけだから、やめてほしかった。懐中電灯の光がなくても、ウサギ小屋の近くには街灯もあったから、慣れてくると、懐中電灯なんかなくったって平気だった。僕の目はとっくに暗順応していた。
それなのに金網の外にいる人たちは懐中電灯の光をやたらと僕の体に当てた。衣類を焼却され、かろうじて残っているかもしれないシャツ一枚を懸命に探す全裸の僕を気の毒に思わず、無邪気な子供に返って単純におもしろがるのだった。
複数の懐中電灯の光が僕の裸身を這い回り、首や胸、乳首、下腹部、おちんちん、太もも、脛、足の指を照らした。激しく動き回り、僕の体を逸れてはすぐにまた戻る。それでも乳首やおちんちんには常に誰かしらの光がとどまって、一瞬たりともそこを離れなかった。
こんなふうに懐中電灯の光を当てて眺める僕の裸身は、教室の蛍光灯のしたで見るのとはまた違った印象をもたらすようで、金網の外の同級生たちは「なんか童話に出てくる小さな象さんみたい。象さんの鼻が揺れてる」「海の中に光が差しこんでるみたい。海藻が揺れて、熱帯魚の群れがナオスくんの体を横切っていくのが見える」「月に照らされた白い砂浜ね。お臍の窪みは深海とつながってるのよ」と、それぞれ幻想的な世界に浸るのだった。ただひとりマリモンを除いて。彼女だけは僕の顔に向けて懐中電灯の光を執拗に明滅させた。
そのおかげで目眩ましされ、棚板に並べられた小屋専用の清掃道具を調べるのに少しばかり難儀したけど、それでもついにバケツとデッキブラシの下に丁寧に和紙で包まれた、柔らかい物を見つけることができた。これだ、と僕は叫んで、引っ張り出した。
台から下りて、金網に背中を向けた僕はすぐに和紙を引き剥がした。まさに僕のシャツ、折り目正しく畳まれたエールワイフのシャツが出てきた。懐中電灯の複数の光が僕のお尻や背中を照らすなか、僕は急いでシャツを頭から被った。
「まあ、エールワイフ」
ハルミ先生が目を輝かせて感嘆した。
シャツの裾を引っ張りながら、ウサギ小屋から出た。だらりと垂らしただけでは裾がおちんちんの付け根あたりまでしか届かなかったから、完全に隠すにはどうしても引っ張らなくてはならなかった。前を引っ張るとその分だけ後ろが上がって、お尻の露出面積が増えてしまうのだけど、恥ずかしさはおちんちんのほうが上だから、それは仕方なかった。
ハルミ先生やバスケットボール部の部員たちは、エールワイフのシャツをウサギ小屋に隠したのも、それ以外の僕の衣類や上履きを焼却炉に入れたのも、すべてマリモンの仕業だと知って驚いた。
自分の潔白が明らかになってホッとしたのか、K川がふたたび多弁になった。「やっぱりおれも、シャツはウサギ小屋の中にあるぞって思ってたんだよ。今回ばかりは先を越されたぜ」などと負け惜しみして、周囲の失笑を買った。
ウサギ小屋の前で僕はハルミ先生や同級生に囲まれた。悪事が明るみに出たマリモンは手で顔を覆って泣き出した。七分袖のシャツ一枚だけをかろうじて身に着けた僕は、裾を引っ張っておちんちんを隠したまま、ハルミ先生の求めに応じて、事件の真相を語った。
エールワイフのシャツに最初に激しく反応したのはM山さんだけど、エールワイフのファンは彼女だけではなかった。マリモンもまた熱烈なファンだった。
こちょこちょの刑を受けるにあたって、Y美たちに服を脱ぐように命じられた僕は、彼女たちに見られながら靴下まで取り、パンツ一丁になった。脱いだ服は後ろに寄せられた机のひとつに折りたたんで置いた。M山さんが僕のシャツにエールワイフの直筆のサインを見つけて、感動のあまり奇声を発した。
顔にこそ出さなかったもものの、マリモンは激しい羨望の念に駆られた。ほしい、あのエールワイフ様の直筆のサイン入りのシャツがどうしてもほしい。彼女はこっそりチャンスをうかがった。
チャンスは意外と早く到来した。尿意を催した僕がY美たちにパンツ一丁のまま廊下の奥の男子トイレまで連行された時だ。
おしっこするにあたって、僕は唯一身に着けているパンツまで、逃亡防止の名目で脱がされた。僕が素っ裸でおしっこしていると、Y美たちが男子トイレに入ってきて、小用便器の中を覗きにきたのだけど、マリモンの姿だけなかった。
その時、マリモンはひとり教室に舞い戻って、僕の衣類と上履きを持ち去った。
「でも、マリモンはエールワイフのシャツだけがほしかったんでしょ? シャツだけを持ち去ればよかったのに、なんで関係のない衣類や上履きまで持ち去ったのかしら」
ミドリさんの疑問にマリモンは答えなかった。ただ顔面蒼白になって握りこぶしのまま、じっと地面を見つめて動かなかった。
僕が代わりに答えた。
「もちろん狙いはこの七分袖のシャツだよ。でも、これだけ持ち去ったら、いかにもエールワイフのファンによる犯行と疑われるでしょ? マリモンとしては、これをあくまでも男子がよくやる悪ふざけの一種、いたずらに見せかけたかったんだよ。だから、僕の衣類や上履きを全部丸ごと持ち去ったわけ」
なるほど、と一同はうなずいた。
「でも、納得できないわね」とハルミ先生が首を傾げて、ついでに僕のシャツから半分以上はみ出ているお尻を撫でた。「それにしても、つるつるして気持ちのいいお尻」
「え、ちょっとやめてください」ピクッと反応してしまったお尻をハルミ先生とは反対のほうに向けて、僕は言った「何が、ですか?」
「教室からゴミ焼却炉に行って、それからウサギ小屋にシャツを隠すとしたら、それなりに時間がかかると思うけど、あなた、そんなに長くトイレに行ってたの?」
シャツの裾を引っ張り、おちんちんが隠れているのを確認してから、僕はハルミ先生の眼鏡のレンズの奥の意地の悪そうな黒い目玉を見上げた。
「一回で隠したわけじゃないんですよ。最大で四回、マリモンは隠し場所を変えています。最初の隠し場所は教室の近くだったと思います。たぶん隣の教室でしょう。トイレから戻って服がないことに気づくと、すぐにみんなは教室内を探してくれましたけど、マリモンだけは廊下に出て、隣の教室まで探してくれました。この時、隠し場所を変えたと思います。次はY美たちが帰った時です。マリモンはまた教室に戻ってきました。トイレに行っていたとのことですが、隠し場所を変える余裕はあったと思います。最後はK川たちが吊り上げた僕のパンツを下げたり上げたりしていた時で、マリモンはこの遊びめいた取り調べを非難しましたけど、自分の非難が受け入れられないと知るや教室を飛び出していきました。この時になって服や上履きを焼却炉に、目的のエールワイフのシャツはウサギ小屋の、自分しか入れない場所に隠したんだと思います」
「どうなの マリモンさん? ナオスくんの言ってること、合ってる?」
ハルミ先生がマリモンに問う。マリモンはか細い声で「そうです、はい」と答えると、ふたたび顔を手で覆って嗚咽した。
「最終的な隠し場所にそれぞれ隠したら、あとは男子の他愛ないいたずらに見せかければいいだけだから、マリモンはK川があやしいと思わせたんだよね。まあ、実際疑われても仕方のない振る舞いをK川がしたのは事実だけどね」
「なんだと、こらッ」
K川が威嚇するように首を左右に振ってポキッと鳴らしたけど、誰も気に留めなかった。
さらにマリモンは、下級生から聞いたということにして、K川が膨らんだ巾着袋をもって体育館に行くのを見た、なんていう嘘の情報を僕に教えたのだけど、K川が過剰に反応しそうなので、この工作の件は伏せておくことにした。
「それにしても、なんでシャツ以外は焼却炉にあるって思ったの?」
ミドリさんが目をきらきらさせて僕に話しかけてきた。顔全体がほのかに紅潮して、ばら色に輝いている。けっこうかわいい女子のミドリさんに「すごい、頭いい」と思われるのは、悪い気分ではなかった。このままひょっとすると、相思相愛でミドリさんとお付き合いしてもらえるかもしれない。
「あ、それは消去法でたどり着いた答えだよ」と僕は答えた。もう素っ裸ではなく、七分袖のシャツを一枚だけとはいえまとっているから、さほど屈辱や羞恥に苛まれることはなかった。裾を引っ張っているからおちんちんも見えていない。
「消去法?」ミドリさんが大きな目をぱちくりさせた。
「そう、消去法」僕は自信をもって続けた。「マリモンからすると、持ち去られた僕の衣類や上履きは、絶対に出てきてはいけないものなの。たとえば翌日になって衣類が見つかったとして、そこにエールワイフのシャツだけなかったら、やはりエールワイフのファンの仕業だってことになるでしょ。絶対に出てこないようにすれば、誰かのいたずらだってことになって、そのままよくある嫌がらせと思われて、やがてみんなの記憶から忘れられる。僕は忘れないけどね。最初、僕はマリモンはシャツだけでなく僕のズボンも上履きも全部家に持ち帰って、シャツ以外はすべて家で処分するのではないかと思ってた。ところが、彼女が通学で使ってるのは、薄っぺらの手提げ鞄だよね。とても僕の衣類一式や上履きを入れる余裕はない。持ち帰らずして絶対に見つからない場所に隠すとしたら、学校内ではどこにあるかな。焼却炉しかないと思わない? 焼いてしまえばもう、証拠が消滅するんだから、以後、服が出てきて事件がぶり返される心配はないよね」
「そうか。ナオスくん、そこまで考えたんだ。ほんとにすごい。見直しちゃった」
胸の前で両手を組んだミドリさんに尊敬の眼差しで見つめられ、調子に乗った僕は、ついでに、なぜエールワイフのシャツがウサギ小屋に隠されていると思ったのかも話した。
「これだけはこっそり持ち帰る物だから、絶対に見つからず、なおかつ誰も手出しができない場所に隠しておきたい。鍵をかけられたらベストだ。となるとウサギ小屋が浮かんでくるよね。小動物飼育部の副部長であるマリモンなら、出入り口の鍵を持っているから自由に出入りできるし、ウサギ小屋に入っても怪しまれる心配はない。放課後の校内でウサギ小屋の鍵を持っているのはマリモンひとりだからね」
「ちょっと待ってくれ。異議あり」
突然、B男が手を上げて、僕の前にぬっと顔を突き出した。
「ウサギ小屋の鍵、マリモンだけが持っていると考えるのは早計であります。六年生の部長も持っているのではないでしょうか」
「小動物部の部長はとっくに帰宅してるの。B男は黙ってて」
ぴしゃりとB男の反論を封じたのは、ミドリさんだった。
「最後にひとつだけ教えて、ナオスくん」マリモンが鼻をすすりながら言った。ウサギのような赤い目だった。「どうしてわたしがエールワイフのファンだってわかったの?」
「鼻歌でわかったよ」
「鼻歌?」
「そう。マリモンが教室に戻ってきたときの鼻歌。ちょうど用務員のおじさんがいて、僕は机の下の隠れていたところだった。あのメロディー、エールワイフの新曲のサビの部分でしょ。僕のお母さんが台所で聞いてたから覚えてる。我的忍耐是有限度的、わたしの忍耐には限界がある、勝手にわたしのパーティーに入ってこないで、あなたを招待した覚えはないっていう曲だよね」
すごい、とミドリさんが脱帽したかのように感嘆した。
「く、悔しい」マリモンがハンカチを噛んで引っ張った。「ファンしか聞かないような曲なのに知ってる人が同じクラスにいたなんて」
ふとミドリさんのほうへ目を向けると、彼女は僕との距離をさらに詰めた位置でうつむいたまま嬉しそうに微笑み、体を左右に軽く揺すっていた。ちらちらと上目遣いで僕を眩しそうに見るのは、なんとも言えない心地よさだった。
「わたしもエールワイフ様の大ファンなんだけどね」と、ハルミ先生がブルドーザーのような存在感を示して会話に入ってきた。「あなたのシャツにエールワイフ様の直筆のサインがあるって聞いたけど、どこにあるのよ?」
そう言うと、僕の背後に回って、あっさりと僕の頭からシャツを引き抜いてしまった。
ヒィィ、何するの、やめて・・・・・・。
ふたたび素っ裸にされた僕はおちんちんを両手で隠し、腰を引き気味にして、盛んに足踏みした。せっかくシャツを着て、事件解明の説明をして、ミドリさんの前でよいところを見せられたと思ったのに、これでは元の木阿弥だった。
ミドリさんはくすくす笑って僕から離れると、「先生、わたしたち、もう帰りますね。さようなら」と挨拶をして、女子たちとともに校門のほうへ歩き出した。「あ、マリモンはちょっと待って。まだ帰らないで」と僕が引き留めなければ、マリモンも一緒に帰ってしまうところだった。
地面に座り込んだハルミ先生は裏返したシャツを膝に乗せて、「へえ、これがエールワイフ様のサインかあ」と、裾の部分にマジックで殴り書きされた文字を指で愛おしそうに、いつまでもなぞっていた。
そのすぐ横で、素っ裸のまま震えてシャツの返却を待つ僕のことは、すっかり忘れているようだった。
自分の犯行を認めたマリモンは、焼却炉に入れて焼いてしまった僕のアンダーシャツ、半ズボン、靴下と上履きの弁償金を払うと約束した。これらと一緒に焼かれたブリーフのパンツについては、用務員のおじさんが焼却炉に投げ込んだのだからと、弁償の対象からは外されることになった。僕としては今回のマリモンの犯行がなければ白ブリーフの焼却も起こりえなかったことなのだから、ついでに弁償してもらいたかったところではあるけど、「がめついのね、あなた。たかだか安物の白ブリーフパンツじゃないの」とハルミ先生に咎められて、どうも腑に落ちないけど、諦めることにした。
エールワイフのシャツ一枚だけを羽織って夜の校舎を出た。ハルミ先生の好意で下駄箱に寄らせてもらったから、もう裸足ではなかった。靴下を履いていないので少しだけぶかぶかに感じられたけど、それでも歩きやすさは段違いだ。ズックの安物でもやっぱり靴はいいと思った。
もう九時近くだった。学校からは僕たちのそれぞれの親に電話を入れて、遅くまで学校に残った理由を説明してくれたらしい。その電話によって初めて子供の不在に気づいた親も何人かいたみたいだけど、僕のところも似たようなものだった。母は全然心配していなかったそうだ。二年ほど前、ある男児がいじめを苦に首を吊った古木の陰からバスケットボール部の男子三人、K川とB男とP太郎がぬっと出てきた。靴以外は素肌にシャツを一枚だけまとった格好で下校する僕を気の毒に思って、ガード役を買って出てくれた。
またそんなこと言って、ほんとは僕をいじめるつもりではないか、と疑って、最初はすごく警戒した。でも、彼らは僕にした悪ふざけを心から後悔しているようだった。
「女子たちにおまえのチンチンを面白半分に見せてしまって、悪かったと思ってる。恥ずかしいよな。同じ男子なのに、なんでおまえの気持ちがわかってやれなかったんだろう」
B男はしみじみと反省の弁を述べ、自分の首を爪で引っ掻いた。たちまちみみず腫れがいくつもできた。K川もP太郎も別人のようだった。神妙な顔をして僕への謝罪を口にし、自分への罰だと言って自分で自分の頬を執拗に殴った。女子たちの前でつい調子に乗ってしまったそうだ。P太郎の目蓋は腫れ、K川は鼻血を垂れ流した。
校門を出てからの三人は状況に応じて僕の前後左右を影のように動き、周囲から僕の恥ずかしい格好が見えないように配慮してくれた。そのコンビネーションの巧みな動きは、さすがにバスケットボール部で鍛えられているだけあった。おかげで人通りの多い商店街でも、僕のシャツの裾から半分近く露出したお尻に気づいた者はほとんどいなかった。
住宅街に入った。小さなフランス料理のレストランの前を通りかかると、ちょうど店から出てきたY美と鉢合わせした。コック帽を被った男の人が身なりのよい女の人に平身低頭しているのが大きく開いたドアから見えた。「どうか勘弁してください、ほんとに勘弁してください」「考えときます。悪いわね、すっかりご馳走になっちゃって」女の人が店から出てきた。それがY美の母親、おば様だった。二年後、僕がいやというほどお世話になるのだけど、まみえたのはこれが最初だった。
外出用におめかししたY美は背も高くて、中学三年生くらいに見えた。大人びたワンピースはまず学校には着てこないものだった。シャツの裾を引っ張っておちんちんを隠す下半身裸の僕を見て、困ったような顔をした。気品のある女性はこういう場合、みだりに笑わないものと心得ているみたいだった。普段だったら嘲笑し、罵倒しただろうに。
着飾ったY美に見とれてぼうっとするバスケットボール部の三人の男子を、Y美は自分の母親に紹介した。三人の男児はいきなりしゃきっとなって、さっきドアから垣間見たコック帽の男の人の行動をなぞるように頭を下げ、「勘弁してください」と裏返った甲高い声を夜の住宅街に響かせた。
「やだわ。勘弁してくださいって、何よ、あんたたち」とおば様が苦笑した。それからふと僕に目を留めると、「このシャツ一枚の子は誰?」とY美にきいた。
「あ、紹介するの忘れてた。この子はナオスくん。一応、男の子だよ」
「ふうん、男の子なんだあ」おば様は目を細めた。
失礼して立ち去ったところで、すぐにおば様の声が後ろから聞こえた。「まあ、あの子、お尻が見え隠れしてるじゃないの。かわいいわねえ」
バスケットボール部の三人は、すっかりY美に魅了されていた。
「あんなにきれいだったっけ、Y美」
「整った顔立ちとは思ってたけど、びっくりだよな」
「性格はあいかわらず悪いけどな。あれはやばいな。ほんとに小学五年生かよ。反則だろ」
あの角を曲がればもう家は目と鼻の先というところだった。僕は付き添ってくれた三人に礼を述べ、ここからはひとりでもだいじょうぶだと言った。
三人はきびすを返して、競争するようにダッシュした。急げばまたY美に会えるかもしれないと思っているようだった。
今回の事件の発端となったコチョコチョの刑は、これ以後、急速に廃れた。
エールワイフのシャツが引き抜かれたという事実は僕の母を激怒させた。それ以外の衣類などが焼却されたことについては特に何も言わなかったし、僕が同じクラスの女子たちにひどい目に遭わされたと聞いても、ただ悲しげに微笑するだけだったけど、エールワイフのシャツをただのいたずらに見せかけて盗みだそうとした目論見だけは許せなかったようである。無事に取り返せたからよいとか、そういう問題ではなかった。翌日、母は学校を訪れ、事情の説明を求めた。児童のよくあるいたずらとしてしか認識していない学校に母は失望し、毅然として苦情を申し立てた。
こうして僕の消えた洋服事件は、正式に盗難によるものとして扱われることになり、学校側は再発防止に重い腰を上げた。その過程で、こちょこちょの刑の禁止令が出されたのだった。U君はこれを喜び、学校に通うのが苦痛ではなくなった、と僕に打ち明けた。「よかったじゃん」そう返したのは、ひとえに彼の無邪気で楽天的な考え方を素直に祝福したい気持ちからで、それこそ当時の僕に最も必要なものだった。
【おしまい】
なんと、いきなりイメージ画像がドーンと出てきて、驚かれたのではないでしょうか。別サイトに飛んだかと思われた方もいらっしゃったかな。
ちょいと頑張ってイメージ画像を作ってみました。
AIを使うのは複雑な心境ですが、ちょっと物は試しで。
このお話では全裸でないといけないのですが、なんかいろいろとレッドカード突きつけられたりするんで、一応白パンツだけ穿かせました。
このお話はこれでおしまいですが、また別のストーリーをこの番外編、「僕がY美にため口だった頃」にアップしていきたいと思います。そのうち短編集みたいになるといいなと思ってます。
お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。
校庭で夜の寒さに震えるナオス君の描写が一人だけ裸でいることの臨場感が伝わってきます。予想は外れシャツが見つかってよかったですが、シャツが見つからずマリモンの丸一日全裸学校生活の罰を受けるナオスくんも見てみたいですね。
生成AIは素材に使われる文章、イラストのクリエイターの皆様からするとあまり良い気分にはならないかもしれませんね。
今後も短編を執筆されるとのことで、マジックショー午前中の出来事とあわせて楽しみにしてます。
>更新お疲れ様です。素晴らしいお話しをありがとうございました。... への返信
ありがとうございます。読んでくださって嬉しいです。
生成AI画像への拒否反応、よくわかります。
出版する時の表紙では絶対にAI頼みにはしないで、専門家にお願いする予定です。
今回のAI画像は、イメージの手がかりになればよいかなと思った程度ですが、結構毛嫌いされる方も多いように感じられて、少し驚いています。某サイトではAI画像への拒絶があまりに強くて運営側が正常な判断ができていないようなので、退会しました。まあ、AI画像に関しては拒絶する側の感情が先走っているような印象ですね。もう少し冷静に、時間をかけて判断していけばよいのではないかなと思っています。
ただAI画像を見て良い気持ちにならない方があんまり多いようでしたら、画像を使った投稿を控えたいと思います。皆さんのご意見を聞きたいところです。なによりも大切なのは、人と人とのつながり、共感と連帯ですからね。この共感と連帯のためにAIを使ったというところですけど、確かにGio様が言われるような問題があることも認識しています。まあ、この件に関しては様子を見ていきましょう。このたびは貴重なご意見をありがとうございました。
ごめんなさい。上記のコメントはナオスです。
> ありがとうございます。読んでくださって嬉しいです。... への返信
その某サイトですがクリエイターのイラストに'AI'のタグがあった様に思います。
どう言ったものがOKなのかわかりかねるところはありますが…
小説にも同じ様に'AI'のタグを選択するところがありました。
> ありがとうございます。読んでくださって嬉しいです。... への返信
この度は軽率な発言をしてしまい大変失礼しました。またnaosu様のお考えについて丁寧に返答頂きありがとうございます。
私個人の考えとしてはAIのイラストを使用することにそれほど違和感はありません。
良識やモラルを持って利用出来ればよいですが、一方でクリエイターの方々が自分の作品を奪われるような思いを抱くことも想像出来ます。
naosu様を始めクリエイターの方の権利を侵害するようなことがなければ良いと思っています。
私は絵も文章も書けないので当事者として何か言う権利はありませんし、
また何よりこのブログはnaosu様の大切な発表の場であり、イラストの利用も含めて私が指図するようなことではありませんでした。
重ねて軽率な発言をしてしまい申し訳ありませんでした。