映画史からの引用を紐解き、中世から読み継がれてきた伝承がトキシックマスキュリニティを解体していると指摘するのもいいだろう。だがデヴィッド・ロウリーの新作『グリーン・ナイト』を“頭”で見たって面白くない。いよいよ尋常ならざる美意識が貫かれたカメラと、前作『ア・ゴースト・ストーリー』に続いて登板するダニエル・ハートマンのスコア、そして映画館の闇が醸成する瞑想的空間に五感を研ぎ澄ませてほしい。あるいは半覚醒レベルにチューニングし、これは夢か現かと酩酊するのもいいだろう。この世を去ることができず永遠の時を揺蕩う幽霊の視点から人類史まで垣間見た『ア・ゴースト・ストーリー』を経て、ロウリーは14世紀に詠まれ、後に『ロード・オブ・ザ・リング』の原作者トールキンによって翻訳された『サー・ガウェインと緑の騎士』の伝説を幻視する。『グリーン・ナイト』は映画館に現出した幻だ。
緑の騎士の呪いを解くべく出立したガウェインの冒険はすなわち死出の旅である。野盗に身ぐるみを剥がれて打ち捨てられればカメラが360度回る頃には骸骨へと朽ち果て、一夜をしのごうと廃屋に入ってみればそこには乙女の亡霊が自らの首を求めて彷徨っている。人生とは死の恐怖に打ち勝つことなのか?いいや、『グリーン・ナイト』はそんな古今東西の英雄譚が描いてきたマチズモを否定する。いざ緑の騎士に首を差し出したガウェインは後に訪れる自らの破滅を幻視する。人は死に抗うのではなく、受け容れることによって成長できるのではないか。そんな現代的解釈がまるで伝承本来のアイロニーにも見えるところがロウリーの語りの巧みさだ。
ロウリーの美意識は当然キャスティングにも貫かれており、無垢と淫靡の二面を演じ分けるアリシア・ヴィカンダーに目を奪われ、アーサー王役のショーン・ハリス、緑の騎士役ラルフ・アイネソンら通俗では測れない個性ある声の持ち主である彼らの起用にもロウリーの非凡を垣間見た。そんな彼の新作は再びディズニーへ戻っての『ピーター・パン&ウェンディ』だ。現代アメリカ映画界屈指の幻想作家としての資質も手に入れたロウリーがメインストリームを如何に歩むのか。かつてロバート・レッドフォードは『さらば愛しきアウトロー』に主演し、ロウリーの手腕にアメリカ映画の未来を感じて引退を決意したという。新たな夜明けはもうすぐそこに来ている。
『グリーン・ナイト』21・米、加、アイルランド
監督 デヴィッド・ロウリー
出演 デヴ・パテル、アリシア・ヴィカンダー、ジョエル・エドガートン、サリタ・チョウドリー、ショーン・ハリス、ケイト・ディッキー、バリー・コーガン、ラルフ・アイネソン、エリン・ケリーマン
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