アスガー・ファルハディ監督作『英雄の証明』、レオス・カラックスの『アネット』、そして濱口竜介による『ドライブ・マイ・カー』と例年になく力作が並んだ2021年のカンヌ映画祭で、最高賞パルムドールを受賞したのが長編第2作目となるジュリア・デュクルノー監督の『TITANE チタン』だ。暴力、殺人、異物愛、人体変容、愛と憎悪、体液と粘膜という恐れ知らずのモチーフが並ぶこの映画は、どちらかと言えばミッドナイト・マッドネスで熱狂を呼ぶであろう異形作だ。眉をひそめ、嫌悪を示す人も少なくないだろうが、しかしここには108分間の未知なる衝撃がある。
車が大好きな少女アレクシアは交通事故によって右のこめかみに金属製プレート(TITANE)を埋め込まれる。数年後、成長した彼女は車上でエロチックに舞うダンサーとしてアンダーグラウンドな人気を集めていた。その頃、世間では残虐な連続殺人が起きていて…。この映画において文字で紹介された粗筋はほとんど意味がない。映画は次々と予想を覆すショックと変化を繰り返していく。
親に愛されずに育ったであろうアレクシアにとって、男女を問わず他者は無意味な存在だ。性的に搾取しようとする男どもには鉄製の髪留めを躊躇なく脳髄に突き刺し、女に対して覚えた性的欲求は暴力衝動へと結びつく。本能のままに衝き動かされる彼女が、乱交パーティー中の邸宅で次から次へと凶行に及んでいく場面は一周回って笑いすらこみ上げる。
そんな折、アレクシアは車が激しく呼びかけてくる声に気づく。これは比喩ではない。本当に車が唸り、猛り、アレクシアの欲情を誘ってなんと1人と1台は激しくまぐわうのだ。ジュリア・デュクルノーがデヴィッド・クローネンバーグから強い影響を受けているのは間違いないだろう。クローネンバーグにはかつて交通事故によってエクスタシーを獲得する人々を描いた傑作『クラッシュ』があり、そして肉体および精神の変容(メタモルフォーゼ)こそクローネンバーグのテーマである。アレクシアによって命を奪われた者たちの身は破壊されて変容し、そして車とファックしたアレクシアの腹は急激な勢いで膨らみ始め、身体からは黒い体液がにじみ始める。アレクシアは行方不明の少年に成り済まして逃亡すべく、髪を剃り上げ、鼻をひしゃげさせ、腹と乳房をテーピングで抑え込むと、少年の父親である消防士ヴァンサンの元に転がり込む。
アレクシアが我が家を焼き払うシーン以後、烈火のイメージが何度も登場し、まるで熱によって金属が溶解するように映画は1つのジャンルに留まることなく変容していく。幼い我が子が失踪して数年、ヴァンサンは老いた身体に日々ステロイドを注入し、筋トレを繰り返して老いの変化を拒絶した究極のマチズモ、父権として殺人鬼アレクシアを圧倒し、彼女の逃亡と反抗を許さない。そしてアレクシアが我が子どころか女であると知ってもなお、自分の子供として許容していく。その強靭なまでの愛は異様ながら、しかしアレクシアがこれまで与えられてこなかった愛情でもある。性別も血縁も、そして人類すらも超越していくクライマックスはグロテスクでいて荘厳、清々しくすらある。“Je t'aime"の果に生まれる『イレイザーヘッド』以来の赤子を見逃してはならない。人間はあらゆる既成概念を超越し、変容できる可能性に満ちているのだ。
『TITANE チタン』21・仏、ベルギー
監督 ジュリア・デュクルノー
出演 ヴァンサン・ランドン、アガト・ルセル
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