長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ウルフウォーカー』

2020-12-26 | 映画レビュー(う)

 宮崎駿が『もののけ姫』で「共に生きよう」とアシタカに言わせてから20余年。スタジオジブリの熱烈なフォロアーでもあるアイルランドのアニメーションスタジオ“カートゥーン・サルーン”が新たに自然と人間の対立を描く『ウルフウォーカー』は、より深刻さを増した現在の環境問題が強く反映されている。舞台は13世紀頃と思しきアイルランド。イングランドの侵略によって狼たちの住む古代の森が切り拓かれようとしていた。狩人の父と共にイングランドからやってきた主人公ロビンは、森の奥深くで謎の少女メーヴと出会う。彼女は治癒能力を持ち、眠ると狼に姿を変える“ウルフウォーカー”だった。

 宮崎御大が(常に)ボーイ・ミーツ・ガールを通じて自然と人類の共生を描いてきたのに対し、『ウルフウォーカー』ではガールズフッドを通じて自然との同化が描かれる。ウルフウォーカーによって咬まれたロビンは自らも狼に変身する力を得る。父のような狩人になることは叶わず、女だからと家事を押し付けられ、誰一人理解を示してくれない人間社会よりも、野を駆ける狼でいてこそ性別を超えた真の自由があるのではないか。

 カートゥーン・サルーンのストーリーテリングはいつにないテンションを帯びている。ロビンの父親役は『ゲーム・オブ・スローンズ』のエダード・スタークことショーン・ビーン。狼といえばスターク家のシンボルである。終盤、メーヴの母親が大衆にさらされる場面は『ゲーム・オブ・スローンズ』における重大局面、シーズン1第9話『ベイラー大聖堂』を彷彿とさせ、高まる悲劇の予兆に手に汗握ってしまった。スターク家の家訓「孤狼は1匹では生きていけず、群狼は立ち上がる」まで登場し、まさに現代ポップカルチャーの基礎教養としての『ゲーム・オブ・スローンズ』である。

 終幕、ついに父親もウルフウォーカーとなり、ロビンとメーヴは新たな家族となって森の奥へと消えていく。「共に生きよう」という共生ではなく、人間を捨てた自然そのものへの同化。この過激とも言えるエンディングは、より環境問題が切迫性を増した現在だからこそ生まれ得たものだろう。同時代的なテーマ設定、演出の気迫とカートゥーン・サルーンのベスト作となった。


『ウルフウォーカー』20・米、アイルランド、ルクセンブルク
監督 トム・ムーア、ロス・スチュワート
出演 オナー・ニーフシー、レヴァ・ウィテッカー、ショーン・ビーン

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