「お母さんごめんなさい、ごめんなさい!」アリ・アスター監督の『ヘレディタリー』がまさに恐怖の絶頂に達しようとする瞬間、息子は恐ろしい秘密が隠された屋根裏部屋で泣き叫ぶ。監督第3作目『ボーはおそれている』にはこれと全く同じシーンが登場する。いや、『ヘレディタリー』からの引用だけではない。母親との宿縁に疲れた主人公ボーは、まるで『ミッドサマー』のホルガ村のようなコミュニティに漂泊する。『ボーはおそれている』はアリ・アスターの集大成、グレイテストヒッツなのか?いや、彼は『ヘレディタリー』も『ミッドサマー』も家族に起きたパーソナルな出来事を基にしていると言っている。本作を見れば屋根裏部屋も、首のない死体も、母親との呪いとも言うべき関係も、アリ・アスターの具体的な体験から成るモチーフが存在することがわかるだろう。
アスターは人生に蓄積された呪詛を映画にすることで発散してきたものとばかり思っていたが、彼が抱き続ける恐怖には一向に終わりがなく、『ボーは恐れている』でついに3時間にも膨れ上がってしまった。そんなアスターに同調できる俳優はホアキン・フェニックスをおいて他にいないだろう。大都市の片隅にある薄汚れたビルで暮らすボーは、外に出ることが怖くてこわくて堪らない。外界には世間を賑わす連続通り魔がいて、自分に追いすがる全身タトゥーの浮浪者がいて、路上では自動小銃が売られ、向こうのビルの屋上には今にも飛び降りようとする誰かがいて、道行く人はそれをスマホで撮影している。世界を恐れる男の主観から描かれた前半部は、恐怖と笑いが混在する不条理世界。デヴィッド・リンチやチャーリー・カウフマンを思わせ、緻密な音響設計も含めて、映画館の暗闇に耽溺して見るべき“スペクタクル”でもある。
両親、兄妹との確執は3時間の上映時間中、何度も反復、増幅されていく。極めつけは母親との関係だ。生まれた瞬間から愛憎関係にあったとも言える2人。母はボーに多大な愛情を注ぐが、支配的とも言える保護はボーの精神を蝕み、それは母のメンタルヘルスに跳ね返るという悪循環に陥っている。『ヘレディタリー』の再演とも言うべき第4幕を見れば、あの映画でトニ・コレットが漏らした「あんたなんか産まなきゃ良かった」の出どころは大いに想像が付くというものだ。
それにしてもA24はいささか寛容すぎやしないか。母親に応えることができなかったボーの罪悪感を徹底的にこき下ろす最終章は、観客にとって2時間59分の果てにある悪夢としか言いようがない。作家主義、と言うにはあまりに放任すぎるA24の製作体制は本作の興行、批評的失敗により大きく見直しを迫られ、今後はより商業主義的な映画製作も目指すと言われている。ともかく、これでアリ・アスターの呪いは晴れたのか?いいや、彼は生きている限りこの世が怖くて恐くてたまらないのだろう。その恐怖はおそらく、決して晴れることはないのだ。
『ボーはおそれている』23・米
監督 アリ・アスター
出演 ホアキン・フェニックス、スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン、エイミー・ライアン、ネイサン・レイン、パティ・ルボーン、パーカー・ポージー
2024年2月16日(金)より全国劇場公開
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