長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ホビット 決戦のゆくえ』

2019-09-27 | 映画レビュー(ほ)

映画の世界にはしばしば“if”が存在する。もしホドロフスキーが『Dune』を撮っていたら。もしギリアムが『ドン・キホーテ』を撮り上げていたら(後に2018年に完成)…前人未到のプロジェクトと言われた『ロード・オブ・ザ・リング』『ホビット』6部作が完結した今、僕の頭にも“if”がよぎった。もし“ホビット3部作”が予定通り2部作で完結していたら。もしギレルモ・デルトロが降板していなかったら。本作はそんな夢想がしばしば頭をよぎる虚しい145分であった。

巻頭こそ完結編として大いに盛り上がる。怒りに燃える邪竜スマウグと迎え撃つバルドの一騎打ち。矢が尽きたバルドは我が子に伝説の黒い矢をつがえ、起死回生の一矢を放つ。ここまでで約10分。もっと、もっとこんな大胆な描写を見たかった。しかし、“ホビットシリーズ”最後の見せ場となる“五軍の戦い”が描かれた本作は『王の帰還』の栄光を前にすると重量感、そしてエモーショナルに乏しい。この“ヌケない”もどかしさはCGで味気なく塗りたくられた『スターウォーズ』エピソード1~3見ていた時のもどかしさ、失望感に近い。CG技術と製作費の魔力に憑りつかれた監督ピーター・ジャクソンはさながら指輪の魔力に憑りつかれたゴラムのようだ。

後に指輪の魔力に魅せられたビルボの姿を知るだけに、金に狂ったトーリンは合わせ鏡として映る。彼の物語として完結するこの第3部はもっとこの葛藤を掘り下げなくてはならなかった。剛腕でいて繊細なジャクソンの演出手腕はいったいどこへ行ってしまったのか。また凛々しく美しいエヴァンジェリン・リリーを起用したオリジナルキャラ、タウリエルのエピソードが収束しなかった脚色にもらしくなさが目立つ。

しばしば僕達は映画はじめ芸術作品の辻褄ばかりに目を向けがちだが、作家の意志や熱意のこもった筆致にも注目すべきである。しかし、何一つ不自由のない創作というのは何と味気ないものか。実現する事のなかったデルトロ版『ホビット』2部作とはいったいどんな映画だったのだろう(仮に実現していたらオスカー作品賞に輝く『シェイプ・オブ・ウォーター』は生まれなかったかもしれないが)。悲喜こもごもにifを夢想するのも映画ファンの楽しみの1つである。


『ホビット 決戦のゆくえ』14・米
監督 ピーター・ジャクソン
出演 マーティン・フリーマン、リチャード・アーミテージ、イアン・マッケラン、エヴァンジェリン・リリー、リー・ペイス、ルーク・エヴァンス、ベネディクト・カンバーバッチ、ケイト・ブランシェット、クリストファー・リー、イアン・ホルム、ヒューゴー・ウィービング、オーランド・ブルーム
 

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