長内那由多のMovie Note

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『エリザベート1878』

2023-08-29 | 映画レビュー(え)

 1898年にイタリア人無政府主義者の凶刃に倒れたオーストリア皇后エリザベート。ヨーロッパ随一の美貌と謳われ、悲劇的な運命を辿った彼女は今なお多くの人を魅了して止まず、ウィーン発の人気ミュージカルは1996年の宝塚初演に始まり、日本では今や東宝の定番演目の1つだ。『ファントム・スレッド』で名を馳せたルクセンブルク出身の女優ヴィッキー・クリープスもまたエリザベートに魅せられた1人だった様子で、主演・エグゼクティブプロデューサーを兼任する彼女は本作の企画を自ら監督マリー・クロイツァーに持ち込んだという。『エリザベート1878』は非業の死に先駆けること20年前、40歳のエリザベートの1878年をスケッチし、彼女の知られざる内面を解き明かそうとする。

 一見するとエリザベートは容易に感情移入できない人物だが、日本では日比谷のTOHOシネマズシャンテがメイン館、原題“Cosage”に対してエリザベートの名を冠した邦題といい、配給会社が主要ターゲットとなる観客の予備知識を当てにしているのは明らかだろう。本作の舞台となる1878年はミュージカル版で言うと2幕冒頭、第一子を亡くし、待望の皇位継承者である第三子ルドルフもまた姑ゾフィー大后に事実上の養育権を奪われた失意の時期であることは知っておいてもいい。乗馬を愛した活発な少女は皇帝フランツ・ヨーゼフに見初められたばかりに暗く陰湿な王室に囚われ、その心を折られてしまったのだ(ミュージカル版に登場する黄泉の国の帝王トートはそんな彼女の心の闇から生まれたのかも知れない)。

 ヴィッキー・クリープスはエリザベートの深刻なうつ状態を体現し、ミュージカル版でも言及されていない中年期のメンタルヘルスから伝説を補完していく。それはしばしば比較される英国のダイアナ元妃の悲劇も思わせ、クリステン・スチュワートの『スペンサー』とも呼応。クリープスとクロイツァーはエリザベートの悲劇に酔いしれることなく、彼女の心の彷徨を通じてせめて映画の中だけではと救済をもたらしている。2人の才媛による敬意に満ちた評人伝だ。


『エリザベート1878』22・オーストリア、ルクセンブルク、独、仏
監督 マリー・クロイツァー
出演 ヴィッキー・クリープス、フロリアン・タイヒトマスター、カタリーナ・ローレンツ、アルマ・ハスーン、マヌエル・ルバイ、フィネガン・オールドフィールド 

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