クェンティン・タランティーノの映画は数々の元ネタを事前に知っていればより楽しめる事がままある作りだが、中でも本作は事前の予習が必須だ。あなたはシャロン・テートを知っているだろうか?彼女は1960年代『サイレンサー 破壊部隊』等に出演していた新進女優であり、『ローズマリーの赤ちゃん』を世界的なヒットに導き、人気監督となっていたロマン・ポランスキーの妻である。そして1969年8月9日、妊娠中だった彼女はチャールズ・マンソン率いるカルト集団マンソンファミリーによって惨殺されてしまう。カウンターカルチャーの象徴的存在とも言えたヒッピーによる凶行は社会を震撼させ、反体制の時代は終焉。当時、ヨーロッパで新作準備中のため難を逃れたポランスキーの人生にはホロコースト体験に次ぐ、暗い影を落とす事になる。この事件はその後も本や小説等で度々取り扱われ、最近もデヴィッド・フィンチャー監督によるTVシリーズ『マインドハンター』の1エピソードに登場した(本作でマンソンを演じたデイモン・ヘリマンが再びマンソンに扮している)。
映画館へ行く前にぜひともこれらの概要を頭に入れておいて欲しい。単なる殺人事件に留まらず、時代を終わらせてしまったこの事件に対するタランティーノの想いがよくわかるハズだ。
映画は1960年代末のある3日間を描いていく。主人公は落ちぶれたTV俳優のリック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)と、その相棒であるスタントマンのクリフ・ブース(ブラッド・ピット)。タランティーノはほとんどCGを使わずに当時のハリウッドの街並みを再現し、カーステレオからはラジオをガンガン流して執拗なまでにディテールにこだわるが、リックとクリフの2人は架空の人物だ。物語と言えるストーリーラインをほとんど放棄し、この2人にハリウッドを歩かせる事でかつてあった夢の都を僕達に追体験させるのである(それはある種、デヴィッド・リンチの『マルホランドドライブ』にも似た夢見心地である)。シャロン・テート(マーゴット・ロビー)は映画館で観客と共に『サイレンサー』を見て歓声を上げ、リックは天才子役に励まされて演技の高みに達する(面白い事に「カット」の声がかかるまで撮影スタッフ、カメラが一切映らない)。そしてクリフがのらりくらりとハリウッドを周遊すれば、ヒッピー娘(キュートなマーガレット・クアリー)が先導する先にはマンソンファミリーが根城とした牧場が現れ、映画には緊張感が出始める。
俳優陣はいつも通り皆、好演だ。オスカーを獲ってようやく肩の荷が下りたディカプリオがコメディ演技で笑わせ、マーゴット・ロビーは短い出番ながらも映画のスピリットを体現する“激マブ”の輝きである。そしてブラピはこれまでにない儲け役だ。訛りがある三枚目路線のキャラクターだがいつものような照れ隠しのやり過ぎには陥らず、一本気で頼りになる男を飄々と好演し、ほとんど守護天使のようである。今年はやはりオスカー候補の呼び声が高い『アド・アストラ』が待機しており、当たり年となった。
『イングロリアス・バスターズ』『ジャンゴ 繋がれざる者』とこれまでのタランティーノ作品による“歴史改善”を見ていれば本作のクライマックスは概ね想像がつくだろう。ユーモアたっぷりのバイオレンスに爆笑し、映画の力を信じたタランティーノの優しさに泣いた。ちなみに僕の妄想ではこの事件をきっかけにリックはポランスキーの目に止まり、『チャイナタウン』に主演って事になってるんだけど、どうだろうか?(最近のディカプリオはジャック・ニコルソンに似てきたのよ)。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』19・米
監督 クェンティン・タランティーノ
出演 レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー、マーガレット・クアリー、エミール・ハーシュ、ティモシー・オリファント、ダコタ・ファニング、ブルース・ダーン、アル・パチーノ