ねこ吉のよしなしごと

どうでもいい事ばかり書いていますが・・・。すっかり備忘録になってます。

写経、それから思い出

2022-12-19 22:41:28 | 思い出


まぁ、昨日に続いて、今日も寒い日だった。

上の写真は、ダイソーで買った「写経練習帳」
いつ頃買ったかはっきり覚えてないけど、多分たぬ吉の前立腺ガンの手術前後、愚弟の救急搬送入院の頃に買ったんだと思う。
たぬ吉入院中にやろうと思ったけど、結局全く開きもせず。



裏表紙。こんなに宣伝が載ってる辺りが100均である所以だろうな。
何か、仮に写経をしてもあまり有難味を感じない。

今日、本立てから出てきたので、何気なく開いて見た。
「本書の特徴と使い方」「写経の心得」を読んで、少々うんざりしてしまった。

まず、部屋を片付けなダメだって!無理!



最初のページに「懺悔文」があった。
ねこ吉は、懺悔などしたくない。懺悔するべき人は、他に一杯いる。

そんな訳で、「写経練習帳」は、本立てに戻って行った。

ねこ吉は、もう全く筆で字が書けない。
小学校、中学校と書道を習っていたにもかかわらず・・・。
頭でっかち寸足らず。字は体を表す?
自分の書く字にウンザリしてる。



書道で思い出した事を書いておく。

ねこ吉は高校に入学して、芸術科目を選択することになった。
絵も描けないけど、美術を選択したかった。
しかし、何故かねこ吉のクラスは音楽か書道を選ばなくてなならなかった。
歌を歌うのは好きだった。
しかし、楽器の演奏が全くダメ。
譜も読めない。

先生が、「成績がつくのだから、一番自分が出来そうなものを選べ。」と言ったので、泣く泣く習ったことがある書道を選んだ。
先生は補導係の怖い男の先生だった。

しかし、成績は「5」をもらった。

かな文字も習ったし、実用的な「お歳暮」「お中元」「お香典」「粗品」「寸志」なども練習した。
そして、高2の冬休み、湘南いるかさんと、ニチイという衣料スーパーにアルバイトに行った。
1日目は、レジを打った品物を袋に入れる係に回された。
2日目は、何故かサービスカウンターに回された。

そこは、お客さんが買った物をギフト用に包装したり、迷子がいたら放送で親を探すなどいろいろな仕事があった。
斜め包み」という包み方の特訓を受けて、何とか包めるようになり、カーテンで仕切られた所で、ハンカチやタオル、その他のギフトを箱に入れ、リボンをかけたり、熨斗を付けたりして包んだ。

冬だから、熨斗に「お歳暮」と書くことが多かった。
「お歳暮」と書くのは、岡山出身だった主任さんが書いていた。
字をかけるのが一人なので、たくさん頼まれると主任さんは忙しい。

何となくねこ吉も書けそうということで、忙しい時はねこ吉も「お歳暮」と書くことになった。
今なら、プリンタで一発なのにね。

リボンを切るハサミを首にかけ、時には「お歳暮」「粗品」と書き、ねこ吉は頑張った。
その時は「書道」を選択して正解だったと思ったわ。

とにかく忙しかった。猫の手も足りたいくらいなサービスカウンターだったので、ねこ吉の手でも役立った。
1968年の冬。まさに高度成長期。
商店街は、賑やかに抽選会をしている声、年末の買物をする人たちで溢れてた。

今、尼崎に行っても、当時の賑わいは無い。
ニチイ」はイオンに吸収合併されたのかもう無い。跡地がどうなったのかも知らない。

ニチイの近くには、たこ焼きや、三笠焼(関東ではどら焼きかな?)を売る店があって、サービスカウンターのカーテンで仕切った中で、おやつと称して、ねこ吉も色々な食べ物をもらって食べていた。

ねこ吉は、親戚の間でもぼんやりして気が利かん子と言われていたので、心配した母がアルバイト先で迷惑を掛けてないかと、確か三笠焼の差し入れを持って主任さんに挨拶に来た。

お母さん、心配しただろうけど、あの時のねこ吉は確実に役に立ってたよ。

そんなことも思い出させた「写経練習帳」だった。

今、ねこ吉は、一切熨斗に字が書けない。

筆ペンが使えない。
持っていた一生分の能力を、あの冬休みのアルバイトで使い切ったようだ。


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