いやあ、今年も残すところあとわずか。
毎年同じこと言ってるけど、時間のたつのが速いですねえ。
ちょいと旅行に出かけてたもんで、ご無沙汰でした。
軽井沢高原教会のクリスマスイルミネーションなど見てきました。
幻想的で美しかった。
天気もよく、ほどよい寒さで、混雑もなく、観光客は適度にいて賑わっていました。
なにより食べ物が美味しかった。
冬の軽井沢もいいです。
ただし、美術館は軒並み閉館で、ただ一つだけ開館していた千住博美術館でゆっくり過ごしました。ここもよかったよお。
さて、今日の映画はちょっと古い映画ですが、
「ハロルドとモード/少年は虹を渡る」(ハル・アシュビー監督 コリン・ヒギンス脚本 1971年)
この作品にはちょっとした思い出があります。
昔、定時制高校に勤めていた頃に知りあった生徒の一人Sさんがすっかりこの映画にハマり、一緒に演劇版の「ハロルドとモード」まで観に行ったのでした。かれこれ半世紀も前の話。
古い映画だけどカルト的な人気があるそうで、今回改めて見てみてそうだよなあ、と再認識しました。いい映画です。
今見ても全然古くない。
19歳の少年ハロルドと79歳のモードとの恋愛物語、というとエッと思われるかもしれないけれど、ハロルドにとっては純愛、そしてモードにとっても人生最後の愛。
(以下少しネタバレ)
ハロルド少年は金持ちの息子だけど人生に意味を見いだせないでいます。
だから毎日のように自殺ごっこをしては母親を驚かせようとするのですが、母親はもう慣れっこになっていてハロルドが首吊りしようが血まみれになろうが焼身自殺を演じようが、全然驚きません。
ハロルドったらまたやってるのね、という感じで
「夕食は8時からよ」
と言って去って行きます。
ハロルドは母親の気を引くためにやっているのだけど、母親は気づかない。
自殺ごっこの他に彼が好きなのは他人のお葬式に参列すること。
ある日、やはり彼のように他人のお葬式に参列している老婆のモードと知り合います。
モードは古い電車に住んでいて、かなり変わった老人。老女だけどヒッピー。
モードはハロルドに言います。
毎日何か新しいことをしなさい、そのための人生だから。
実際、モードはかなり破天荒です。
他人の車を平気で盗み、街路樹を森に返すのだといって引っこ抜いて、あろうことか他人のトラックでそれを運ぼうとして警察に追われ、しかも警官の隙をついて警官のバイクを盗む、といったお転婆ぶり。
ハロルドは金持ちのボンボンで何不自由なく暮らしているマザコン少年で、そこから抜け出すことができないでいるのですが、モードと出会うことにより新しい世界が開けていき、どんどん自由になっていく、というストーリーです。
全部同じに見える花も同じではない、とモードは言います。小さいのもあれば太いのもある、伸びる方向もまちまち。よく観察すると全部違うのよ。
いいこと、ハロルド。世の中の不幸は、この花のような人がもたらす。他人と同様に扱われても何とも思わない人々が。
(同じに見えてもそれぞれ違う。だから同様に扱われることに慣れてはいけない、他人も同様に扱うことになるから・・)
モードの言葉には深い人生の真実が含まれています。
なぜなら、一瞬だけちらりとモードの過去がわかるシーンがあって、彼女の腕にはナチスの収容所のナンバーが刻印されていたのです。
モードはナチスから命からがら逃げ出してアメリカに渡ってきたのですね。
だからこそ、ある限りの命を生きようとしていたのです。
モードはハロルドの対極にいる人で、ハロルドがモードに出会ったことは、何という幸運だろう。
ハロルドはモードと結婚したいと申し出ます。もちろん誰にも受け入れられない。それでも若いハロルドは真剣そのもの。
けれども、モードは最期の時を知っていました。自分の人生をどのように受け入れ、楽しみ、そして去っていくか・・
この映画は深い示唆に満ちています。
そして何より人生って楽しい、もっと破天荒に生きて楽しもうよ、と言ってくれている気がします。
ちなみに監督のハル・アシュビーはヒッピーだったそうです。
古い時代の話だけど、現代にも十分通じるものがあります。
あの頃、Sさんがこの物語にハマったわけがよくわかります。
教えてくれてありがとう!
半世紀もたっちゃったけど、あらためてSさんにそう言いたいです。