アマプラで「フェイブルマンズ」を100円レンタルしていたので見てみました。
「フェイブルマンズ」(スティーブン・スピルバーグ監督 2022年)
この映画は、スティーブン・スピルバーグ監督の自伝的な作品だと言われています。彼自身の子ども時代にインスパイアを受けて制作されたのだとか。
まさに円熟の域に達した監督の、円熟とは何かを教えてくれる作品で、本当に面白かったし堪能しました。
こんな風に映画を堪能できるのだ、ということも教えてくれました。
スピルバーグは言わずとしれた映画界の巨匠で、今も活躍中です。
主人公はサミー・フェイブルマン(スピルバーグ自身)。ユダヤ人の一家の長男として、アリゾナで生まれ育ちます。
父はエンジニア、母はピアニスト。妹が3人います。
彼の人生は幼い頃から映画と共に始まります。最初に彼が見た映画が列車の激突シーンで、これがまた印象深く描かれています。
スピルバーグが注目を浴びた「激突!」がこれにインスパイアされたのは明白ですね。
そんな彼の少年時代のエピソードの幾つかが紹介されているのですが、
特に印象的なシーンは二つ。
(以下ネタバレ)
一つは、彼が撮影した家族のピクニック映像の中に、彼の母親と父の親友ベニーとの親密なシーンが思いがけず映りこんでしまい、それを彼が発見する場面。
映画というのは撮影者本人も気づかないところで現実を映し出すものだ、ということに彼が気づく場面です。
もう一つは後半のシーンで、彼が高校のビーチでのイベントを撮影した際に、彼をいじめたローガンを英雄のように撮ってしまい、皆の喝采を浴びるも、ローガン自身がサミーに詰め寄るシーンです。
「おれが速く走れるのは訓練したからだ。その俺が画面では安っぽいインチキ野郎に見えた。お前はそういう男を創り上げ、それが俺だと皆に見せた。あれは俺じゃない、あれは・・」
といってローガンは泣き崩れるのです。
サミーは驚いて、
「君がそんな風に思うなんて、僕は全然・・」といって呆然とします。
「ローガン、カメラは見たままを撮る」とサミーは言いますが、カメラは見たままを撮るわけではない、ということに彼は気づきます。
映画には撮影者本人も意識していない何ものかが入り込み、それが映像の世界(虚像)を創り上げる、ということに気づくわけです。
ここは圧巻だった。
また、最後のシーン。当時の映画界の巨匠ジョン・フォードに会いにいくシーンも圧巻で、
映画好きにはたまらない映画に仕上がっています。
それぞれのシーンも実に美しく、いくつかの悲劇はあるけれどそれらも遠景のように美しい。
そして、この映画を作ったスピルバーグ自身が背後にいて、
「これもまた映像のマジックなのだよ」
と言っている気がします。
いやあ、円熟というものをとことん見せてつけてくれた映画です。
これ、比較するのは酷だとは思うけど、宮崎駿の「君たちはどう生きるか」とつい比べてしまいました。
同じように長年映画を創り続けてきて、円熟の域に達した二人の監督のこの差は一体どこから来るのだろうか、もう少し考えてみたいと思います。
もしかすると、地平線の位置の違いなのかも・・
(映画の中に出てきます)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます