ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

「その裁きは死」

2020-10-11 13:55:30 | 

ついに出ました!

アンソニー・ホロヴィッツのダニエル・ホーソーン・シリーズ第二弾。

「その裁きは死」(創元推理文庫 2020年)

本屋で見つけて即購入、二日で読了しました。

やっぱ、アンソニー・ホロヴィッツ、すごい!

そもそもの始まりはTVシリーズ「刑事フォイル」でした。

これが面白くてね、毎回楽しみにしていたのですが(友人にDVDに焼いてもらってた)これを書いた脚本家なら絶対面白いにちがいない、と思って読んだのが、

「カササギ殺人事件」(創元推理文庫 2018年)

で、めっちゃ面白かった。というわけで「絹の家」を読み(これは、まあまあかな)、ホーソーン・シリーズの第一作目である、

「メインテーマは殺人」(創元推理文庫 2019年)

を読んだのが、いつだっけ、そうそう、去年の12月(12月19日の記事参照)。

あれから一年足らずでまたこんなミステリーが読めるなんて、本当に幸せです。

昔はミステリー作家になりたいと思ってたのだけど、ミステリーはやっぱり書くより読むほうが絶対楽しい。映画も作るより見る方が絶対楽しい、と思う。

何にしろ、創作活動っていうのは体力いるし、しんどいからね。

人生もそろそろ店じまいの季節に入ってきたので、これからはただひたすら楽しませてもらおうじゃないの、と思っています。

ミステリーなのでネタバレは避けたいと思いますが、さわりの部分だけ。

二件の殺人事件(一件は事故かもしれない)が立て続けに起きます。

その背景には離婚訴訟だの、6年前の洞窟探検事故だのがからんでいるらしい・・

日本人のアキラ・アンノという作家も登場し、彼女のつくる俳句が鍵になったりして、なかなかエキサイティングです。

今回も伏線とその回収が見事。最後にきっちり回収されて、そうだったのね、ああ面白かった、と惜しみながら本を閉じる、そういう作品です。ミステリーに限らず本を読む醍醐味ってそこだよね。

ただ、今回の作品、前半はちょっと冗長です。登場人物が多くて、しかもチャーリー(時々チャールズになる)にリチャードと紛らわしい名前が多く(翻訳ものではいつも苦労する)、登場人物の関係図を作りながら読みました。

(最近理解が遅くなってきたのよ)

「メインテーマは殺人」にはふんだんに映画ネタが盛り込まれていて息継ぐ間もないほどで、夕飯抜きで読了したのに比べると少し冗長かな。

でも、後半に怒涛の展開が待っています。しかも、どんでん返しにつぐどんでん返し。アンソニー・ホロヴィッツの頭の中ってどうなってるんだろうかと、覗いてみたくなります。

なにしろ、理路整然とした謎解きが提示され、これで解決ね、と思ったとたん、それが崩されて、また別の理路整然とした謎解きが提示されるのだから、その多彩さにはあきれかえるほど。

「182」の謎、「もう遅いのに」の謎・・

それぞれ別の光を当てることによって、まったく違って見えてくる、という離れ業をみせてくれます。これ以上書くとネタバレになるのでやめますが(ここまでは最後の解説にも書いてあるので大丈夫よね)。

しかも、ホロヴィッツによると、ホーソーン・シリーズは10巻まで出る予定らしいので、まだこれから8冊も出版されるのですよ。生きてる間に全部読めるかしら?

そういえば、読みかけのミステリーを最後まで読み終えてから死んでいく主人公の登場する物語があったと思うのだけど、何だったっけ?

知っている人はぜひ教えて下さい。

季節柄、秋の夜長はやっぱりミステリーよね、と思わせてくれる一冊です。

(Have fun!)

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500ページの夢の束

2020-10-07 20:15:46 | 映画

アマゾンプライムで何気なく見た映画、

「500ページの夢の束」(ベン・リューイン監督 2018年)

これ、すごくいいかというとかなり微妙で、万人にお勧めするほどではないのだけど、主人公が自閉症の作家志望の若い女性、ということで、私はけっこう気に入っています。

なにしろ、主人公を演じるのがダコタ・ファニングなんだもの。そして彼女が入っている施設のソーシャルワーカーが前回の「もう終わりにしよう。」にも登場したトニ・コレットなんだもの。今回のトニ・コレットは極めて普通のいい人。

ダコタ・ファニングが演じるのはウェンディという自閉症の女性。母親が亡くなり唯一の家族である姉が結婚して子どもが生まれるので、ウェンディの世話までできなくなり、ウェンディは施設に入れられます。

ウェンディはシナボンというベーカリーショップでアルバイトもしている比較的軽度の自閉症ですが、人とのコミュニケーションは苦手です。
(ちなみにシナボンはアメリカでは有名なチェーン店で「ベター・コール・ソウル」にも登場しますね)

彼女は大の「スター・トレック」ファンで、「スター・トレック」の脚本コンテストの広告を見て、応募するため脚本の執筆を始めます。

ところが締め切りに間に合わなくなり、ウェンディは施設を抜け出してロサンゼルスにあるパラマウント・ピクチャーズに直接原稿を届けるべく、数百キロの道のりを一人で出かけます。これはその道中のロードムービー。

映画としては凡庸で、ストーリーはほぼ予想通り。大きなサプライズもない。

とはいえ、ダコタ・ファニングだもの。やっぱり引き込まれてしまう。自閉症特有の無表情に独特の執着、まっすぐ目的に向かうその姿・・
世の中の常識に無知であるためにバスから放り出され、出会った人には裏切られ、散々な目にあいながらもひたすらロサンゼルスを目指す彼女の姿は、痛々しくも雄々しく勇敢です。

途中でさしはさまれる「スター・トレック」のエピソードは、「スター・トレック」ファンにはたまらないだろうけど、残念ながら、私は「スター・ウォーズ」ファンで、「スター・トレック」はそれほどでもない。

でも、スポックというユニークなキャラクターは知っています。スポックはバルカン人と地球人のハーフで、地球人から見ると自閉症的な性格の持ち主。

ウェンディの脚本の中で、スポックはウェンディが時折陥るような感情の爆発を覚え、そのコントロールに苦しむようです。

最後はお約束通りハッピーエンド。めでたしめでたしで終わるのだけど、一つだけ気になったのは、バスに同乗した親切なおばあさんはどうなったんだろうか・・

ものすごく魅力的なストーリーとは言い難いのですが、何度もいうけどダコタ・ファニングがいい。

ちょうどこれを見る直前に「宇宙戦争」(スピルバーグ監督。2005年)の冒頭部分を見ていたので(大好きな映画なので何度も見る)、ダコタ・ファニング、成長したなあ、と感慨深いものがありました。

最後の方で「スター・トレック」ファンの警官とウェンディが互いにクリンゴン語で話す場面があり、これなども「スター・トレック」ファンにはたまらないんだろうなあ。

(ちなみに、タイトルがイマイチ。ウェンディが書いた脚本は500ページではなく427ページ。原題は「Please Stand By」これは「スター・トレック」で使われる「そのまま待機せよ」という意味の言葉で、ウェディはパニックに襲われそうになると自分に向かって「Please stand by」と繰り返します)

ダコタ・ファニングが好きな人、自閉症に関心のある人、「スター・トレック」が好きな人にお勧めです。

 

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もう終わりにしよう。

2020-10-04 10:20:33 | 映画

 

Netflixで見た話題の映画、

「もう終わりにしよう。」(チャーリー・カウフマン監督 2020年)

がすごく面白かったので紹介しようと思うのですが、

これがねえ、実に難解な映画でどう紹介すればいいか悩むところです。

チャーリー・カウフマンといえば「マルコヴィッチの穴」「エターナル・サンシャイン」といった、これまたよくわからない映画を作っている監督です。

わけのわからない映画を作るのが好きな人なんですね。

ちなみに原作はイアン・リードのミステリー。

でも、わけがわからないのだけど、なぜか最後まで見ずにはいられない、不思議な映画でもあります。映像もきれいだし。

基本的なストーリーはシンプル(中盤まで少しネタバレ)。

若い女性がボーイフレンドの両親に会いにいく、というよくあるパターンです。

雪が降りしきる中、彼の実家へ向かって走る車。その車内での二人の会話が延々と続きます。

彼女は秘かに「もう終わりにしよう」と思っています。彼との関係を終わりにしよう、と言う意味のようです。

ジェイクは悪い人ではないけれど、決して魅力的とはいえない。つい成り行きで恋人になってしまったけど、もう終わりにしよう・・

そう思いながら、彼女は彼の両親に会いにいく・・

そして、実家に着いてみれば、二階の窓から手を振っていた母親がなかなか降りてこない。

すっかり待ちくたびれた頃ようやく両親が二階から降りてきて二人を歓待するのですが、

この両親がまた一風変わっています。何しろ母親を演じているのがトニ・コレットなのでかなり怖いものがあります。父親は「ハリー・ポッター」にも出ていたデヴィッド・シューリス。

彼女は驚きますが、ジェイクはあまりしゃべりたがらない。

この家は一体どうなってるんだ、という疑問を観客に投げかけます。

しかもここに至るまでに、彼女の名前が何度か変わります。
ルーシーだったりルイーザだったり、最後の方ではルシアになり、またルイーザに戻るという具合。

それだけじゃなく、彼女の仕事も、絵描きで詩人で物理学者で老年学を学ぶ学生で、ジェイクの話では出会ったときはウェイトレスだった・・というように、ストーリーを追うごとに少しずつ変化していきます。

昔読んだ筒井康隆の小説「夢の木坂分岐点」を彷彿とさせます。
毎朝通勤電車が夢の木坂という分岐店を通過するたびに、主人公の名前が少しずつ変化していき、運命が変化していくという話で、あれと同じ感じといえばいいか。

しかも、ジェイクの家の中では時間さえ行き来します。突然父親と母親が年老いてしまったり、また若返ったり・・

一体どうなってるんだ?

疑問だらけの展開なのですが、なぜか目が離せない。

しかも一番不思議なのが、時折さしはさまれる学校のシーン。人気のない廊下をひたすら掃除する用務員のおじさん。

この人は一体だれなの? なぜこのシーンがはさまるの?

そして、後半になると物語はますます混沌としてきます。

これ以上書くとネタバレになるし、

この映画は何よりネタバレなしで見てほしいので、これ以上書けないのは残念ですが、

こんなにわけのわからない映画であるにも関わらず目が離せなくなる。

なぜかずっと見てしまう。

ほんと、不思議な映画です。

「もう終わりにしよう・・」

そう思っているのは彼女だけではなく、登場人物たちそれぞれがそう思っていて、随所にこの台詞がさしはさまれます。

一体何を終わりにしようというのか。

彼らは一体何者なのか・・

何を言ってるのかさっぱりわからないでしょ。でも、さっぱりわからない、そのわからなさを味わう映画でもあるようです。

じわじわと来る映画です。

実に巧みなストーリー展開です。

エンディングも見事。

一体どっちやねん、という観客まかせの終わり方なので、

ポジティブにとらえる人とネガティブにとらえる人とに分かれるようですが、原作はどっちかというとネガティブなのかも・・。

ぜひ最後まで見てから、ネタバレなり解説なりを見てほしいと思います。

わけのわからん映画が好きな人にお勧めです。

くれぐれも前知識なしに見てください。ミステリアスでスリリングな時間を味わえますよ。

 

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