放浪者(ノマド)の女性の物語
コラム・マッキャン『ゾリ』(栩木伸明訳、みすず書房)
越川芳明
本書は東欧のロマの女性を扱った読み応えのある小説だ。しかも、翻訳はまるでロマの金物細工みたいに、一言一句にまで心憎いほど技術が行き届いている。
作家はロマの血を引く者ではない。アイルランド人の作家である。当事者でない作家が書くマイノリティの物語は、往々にして紋切り型のステレオタイプをなぞった物語になりやすく、それゆえに逆に、世間一般の覗き趣味を満たすものとして好評を博したりする。
しかし、この小説は、その手のウケを狙ったものではない。ロマでない作家がロマについて書く難関を、語りの構造に工夫を凝らすことで巧みにくぐり抜けている。
たとえば、作家は視点人物や語りの人称に工夫をこらす。一つに、作家自身を投影したと思えるスロヴァキア人のジャーナリストが登場する章を挿入して、ロマの人々にカモられる非ロマの文筆家の姿を被虐的にコミカルに描く。そうすることで、作家はロマに対するお気楽な思い込みを巧みに回避する。
主人公の女性ゾリ(本名はマリエンカ・ボラ・ノヴォトナー)についても同様であり、ある章では一人称の「あたし」で、また別の章では三人称の「彼女」で語っている。
作家は女主人公の内面と、外なる歴史的背景の両方から語ることで、20世紀の歴史(ドイツナチスやファシストによるロマの虐殺や、東西冷戦下の東欧社会)という大きなコンテクストの中でマイノリティの女性の生き方をしめしている。逆に言えば、この小説はヨーロッパ史を語られざるロマ史から影絵のように切り取ろうとしたものだ。
この小説には、いかに飢餓に身を苛まれようとも時の体制がおしつける同化政策や定住政策などに屈しない気高いロマも、また平気でモノを盗んだり嘘をついたりするロマも出てくる。
主人公のゾリはその両方の特質を有し、読み書きを覚えてはならないという一族の掟を破って永久追放の裁きを受けた、いわば汚染(マリメ)を被った女性だ。しかし、幼い頃に家族をファシストによる虐殺で失った彼女がもっとも大事にしているのは、彼女とともに唯一生き延びた祖父の言葉だ。
「よく見てごらん、川の水は深く静かに流れてるだろう。川の流れは未来永劫変わらないんだ・・・そこにある水の流れは誰のものでもない。俺たちのものでさえないんだ」
スロヴァキアのロマでありながら自らの仲間の中では生きられず、戦後も放浪を重ねてついにイタリアのチロル地方の山奥に最終的な生き場を得たノマド(放浪者)のゾリ。
ロマと非ロマの二つの社会の狭間に生きることを余儀なくされた彼女の生き方は、今日、個人レベルでも国家レベルでも「川」を所有することに躍起になっている我々に鋭い問いを投げかけてくる。世界は誰のものなの、と。
(『エスクァイア日本版』2,009年1月号、29頁)
コラム・マッキャン『ゾリ』(栩木伸明訳、みすず書房)
越川芳明
本書は東欧のロマの女性を扱った読み応えのある小説だ。しかも、翻訳はまるでロマの金物細工みたいに、一言一句にまで心憎いほど技術が行き届いている。
作家はロマの血を引く者ではない。アイルランド人の作家である。当事者でない作家が書くマイノリティの物語は、往々にして紋切り型のステレオタイプをなぞった物語になりやすく、それゆえに逆に、世間一般の覗き趣味を満たすものとして好評を博したりする。
しかし、この小説は、その手のウケを狙ったものではない。ロマでない作家がロマについて書く難関を、語りの構造に工夫を凝らすことで巧みにくぐり抜けている。
たとえば、作家は視点人物や語りの人称に工夫をこらす。一つに、作家自身を投影したと思えるスロヴァキア人のジャーナリストが登場する章を挿入して、ロマの人々にカモられる非ロマの文筆家の姿を被虐的にコミカルに描く。そうすることで、作家はロマに対するお気楽な思い込みを巧みに回避する。
主人公の女性ゾリ(本名はマリエンカ・ボラ・ノヴォトナー)についても同様であり、ある章では一人称の「あたし」で、また別の章では三人称の「彼女」で語っている。
作家は女主人公の内面と、外なる歴史的背景の両方から語ることで、20世紀の歴史(ドイツナチスやファシストによるロマの虐殺や、東西冷戦下の東欧社会)という大きなコンテクストの中でマイノリティの女性の生き方をしめしている。逆に言えば、この小説はヨーロッパ史を語られざるロマ史から影絵のように切り取ろうとしたものだ。
この小説には、いかに飢餓に身を苛まれようとも時の体制がおしつける同化政策や定住政策などに屈しない気高いロマも、また平気でモノを盗んだり嘘をついたりするロマも出てくる。
主人公のゾリはその両方の特質を有し、読み書きを覚えてはならないという一族の掟を破って永久追放の裁きを受けた、いわば汚染(マリメ)を被った女性だ。しかし、幼い頃に家族をファシストによる虐殺で失った彼女がもっとも大事にしているのは、彼女とともに唯一生き延びた祖父の言葉だ。
「よく見てごらん、川の水は深く静かに流れてるだろう。川の流れは未来永劫変わらないんだ・・・そこにある水の流れは誰のものでもない。俺たちのものでさえないんだ」
スロヴァキアのロマでありながら自らの仲間の中では生きられず、戦後も放浪を重ねてついにイタリアのチロル地方の山奥に最終的な生き場を得たノマド(放浪者)のゾリ。
ロマと非ロマの二つの社会の狭間に生きることを余儀なくされた彼女の生き方は、今日、個人レベルでも国家レベルでも「川」を所有することに躍起になっている我々に鋭い問いを投げかけてくる。世界は誰のものなの、と。
(『エスクァイア日本版』2,009年1月号、29頁)