Cuba Baseball Season Opens Nov. 27 - Havana http://t.co/YMPxK4i9 http://t.co/qWPDWS3C via @havanatimes
キューバじゃ日程すらも入手ままならない。カナダの空港で、調べた。
by roberto410 on Twitter
キューバに行って、調べ物や書き物をするので、すみません。しばらくこのブログはお休みです。
ネットはいまだに電話回線なので、
ランケーブルを持って行ってもつながらない。
WFiはハバナの高級ホテルに行けば、1時間1000円ぐらいで
できるのですが、
こちらの泊まる民宿にはそんなものはないのです。
地方にいったら、さらに状況はわるくなる。
というわけで・・・・。
でも、状況が許せば、ときどきアップいたしますので、よろしくお願いします。
出発前に、いろいろと短い原稿を書きました。
『新潮』1月号には、中村文則の新作『王国』の書評。
『すばる』1月号には、アルゼンチン映画の評。
『ブルータス』1月号には、初心者へのSFのすすめ。
などなどです。
私の中では、まずかったなという気持ちと
いい映像が撮れたという気持ちが相半ばしていた。
その日、宿に戻ると、
カメラの中のメモリーカードに保存した画像や動画を
ノートパソコンに移し替える
作業をした。
なぜか、ビデオで撮ったあの最後の儀式のシーンだけは取り込めない。
その後も、
毎日のようにメモリーカードの画像や映像をパソコンの中に取り込んだが、
そのシーンだけは取り込めなかった。
あるとき、私はカメラに保存してあったその動画をうっかり削除してしまった。
私は、非常に落胆した。目の前が真っ暗になった。
翌日、私は自分自身に言った。
やっぱり保存してはいけないものだった、
人に見せびらかすものではなかったのだ、と。
後日、ホルヘが私にぼそっと言った。
「こういうキューバの諺を知ってるかい。
『オオカミと一緒に歩く者、吼え方を学ぶ(エル・ケ・コン・ロボ・アンダ・アプレンデ・ア・アウリャール)』って」
私は、時間をかけて、ホルヘたちからその「吼え方」を学ぶことにした。
(『Spectator』2011年秋・冬号)
私はホルヘに写真を撮る許可をもらって、
この最後の儀式のところだけはビデオに撮った。ホルヘは最初から写真を
撮っても構わないと言ってくれていたのだが、
それまでは観察だけして、カメラはバッグの中にしまっておいたのだった。
神がかりというのは、まさしくオリチャ(守護神)が
人間に乗り移ったわけだから、
すでに人間でない神聖な存在になっている。
それを映像に撮ることは許されない。
私は、強烈な目の輝きを見せる老婆に、
なぜ撮ったのだ! と恫喝された。
「ホルヘが・・・」と、私は言い淀んだ。
ホルヘがすぐに気づき、間を取り持ってくれた。
(つづく)
パティオの一角に穴が掘ってあり、
そこに人々が集まり、
生贄(いけにえ)に使った雄鶏の内臓や羽根を長老の司祭の指示で、
順序よく埋めていく。
その間も、太鼓と人々の歌はつづく。
すると、一人の男が身体を震わせて、明らかに何かが乗り移った様子だ。
身体がずりずりと穴の下に降りていき、
まるで生贄と一緒にあの世に戻っていきたがっているかのようだ。
若い男が後ろから羽交い締めにして、それを必死に防ぐ。
大声でこの世に連れ戻そうとする。
と、もう一人の男にも何かが乗り移り、近くにある木の幹を右手で叩く。
何か呪文のような言葉をつぶやいている。
(つづく)
「見るかい?」と、青年は誘った。
「見る見る。グラシアス」と、私は答えた。
「おれ、ホルヘだよ」
「ロベルトだよ。何やってるの?」
「ベンベイさ」と、ホルヘと名乗る男は、人のよい笑顔を見せて言った。
家の垣根を通り、脇にある細い道を通って奥のパティオに出る。
そこに、タンボールと呼ばれる太鼓三台が並び、太鼓のリズムに合わせて、
大勢の人が歌いながら踊っていた。
聞けば、きのうの夜十時頃からずっとこんな感じで歌って踊っているという。
そろそろクライマックスらしい。
(つづく)
私は教会の門の前のコンクリートに腰をおろし、
道を挟んだ向こうの家の中から聞こえてくる歌声と
太鼓と鉦の音に耳を傾けていた。
音だけでも収録したくなり、バッグからデジカメを取りだし、
ヴィデオモードにして茶色いトタン屋根の家を撮った。
ふと気づいた。
音楽は家の中からではなく、その向こうから聞こえてくるのではないか、と。
私はそちらを目指して、手前の道を迂回するように歩いていく。
角をまがると、音はますます大きくなる。
と、一人の大きな黒人の青年がぬっと私の前に現われた。
(つづく)
十分ほど、蛇行する坂道を歩いてゆくと、丘の頂上に教会と門が見えてくる。
白塗りの立派な教会だ。
さすがキューバの守護神が祀られているだけのことはある。
ふと右手のトタン屋根の家の中から、太鼓と鉦のリズムに合わせて、
アフリカの歌声が聞こえてくる。
何かの集会、お祈りか厄除けをやっているにちがいない。
(つづく)
エル・コブレのセントロ地区に着くと、大勢の人がそこで降りた。
ロウソクやひまわりの花飾りを売りつけようとする地元の若者が寄ってくる。
いらないと言うと、簡単に引き下がった。
モロッコなどで経験したアラブ人の物売りに比べると、
あっけないほどしつこくない。
ついでに、教会の方角を訊くと、手でそっちだと示す。
(つづく)
トラックの進行方向と逆向きに立っているので、
急ブレーキを掛けられたら荷台から投げだされかねない。
後方に飛び去る田園の緑が目に痛い。
こちらではプラタノと呼ばれる料理に使われる大きなバナナの房や、
フルータ・ボンバと呼ばれる緑色のパパイアいった果物以外にも、
名前を知らない熱帯の木々や雑草が鬱蒼と繁っている。
やがて後方から太陽が出てくる。これほど美しい夜明けは見たことがない。
(つづく)
革命広場よりずっと手前のバスターミナルの脇で、
カミオン(大型トラック)か、カミオネッタ(小型トラック)
を改造した乗り物を待ちなさい。
公共のバスは、一日に数本しかないから。
そう前夜、カサ・パルティクラルを呼ばれる民宿
のおばさんに指示された。
その日、私が乗ったのは、大型のカミオンだった。
乗客はまるで家畜みたいに荷台にぎっしり詰め込まれ、
私は最後尾に立つ。
左右の端に細長い木製のベンチが二列並んでいるが、
中央は立つしかない。
車掌の男に五ペソ払う。
片手に水の入った大きなペットボトルをもち、
もう片方の手で手長猿みたいに頭上の鉄棒をつかむ。
屋根のビニールシートを張るための鉄棒だ。
大型トラックは、カーヴの多い田舎道を猛スピードで飛ばし
右に左に大きく揺れる。
(つづく)
エル・コブレには、「慈悲の聖母」が祀られたカトリック教会がある。
混血の肌をした聖母は、
西アフリカのヨルバ族の信仰ルクミのオリチャ(精霊)の「オチュン」
と混淆している。
カトリックの「慈悲の聖母」もアフリカの川の女神「オチュン」も、
恋愛と子宝とお金を司ると言われている。
キューバ人であれば、出産や病気の恢復、さまざまな困難の克服やスポーツ競技で
の勝利などを感謝して、一度はお参りしたいとねがう。
(つづく)
エル・コブレの町は、
キューバ東部の都市サンティアゴから内陸に二十キロほど行ったところにある。
コブレというのは、スペイン語で「銅」という意味だ。
つまり、その町には銅山がある。
一五三〇年頃から奴隷制が廃止される十九世紀の後半まで三百年以上にわたって、
サンティアゴに君臨する総督の下で、アフリカから連れてこられた大勢の奴隷たち
がその銅山で働かされた。
奴隷たちによる反乱も頻繁にあった。また銅山から逃げるシマロン(逃亡奴隷)
もいた。
(つづく)
死者のいる風景(第四話)キューバ/エル・コブレ
越川芳明
ある日曜日の朝、まだ薄暗いひと気のないサンティアゴの街中を、私は天敵をさがすマングースみたいに小走りに革命広場に向かっていた。
オレンジ色の街灯がついた小さな公園のそばを通り過ぎると、街灯のない道路を穴に足を取られないように気をつける。前夜、頭に描いた通りの方角を目指す。
(つづく)
さらに、祭壇のあちこちに、カカリテと呼ばれる占いの木片やタロットカード、
アグア・ベンディタ(聖水)、チュケレ(マラカス)、マハセス(小ヘビ)のアルコール漬け、
サオコ(木の根を漬けた強精酒)といった、占い(チャバロンガ)に使われる道具、
そのほかに、エレチョと呼ばれるヒダ類の葉、トウモロコシの実、
エスピカ・デル・モンテ(ススキの束)、ベルベナやアルバカ、マラビスタなどの薬草などが並んでいる。
カトリック教会のシンボリズムとアフリカ信仰の実用性とを見事なまでにドッキングさせている。
というより、アフロ信仰の野生のエネルギーを
カトリシズムの抽象的な意味づけによって巧みに隠蔽しているというべきだろうか。
そこで私がめくるめく思いを覚えたのは、
ヨーロッパ風の装いや飾り付けではなく、まさにアフリカの息吹だった。(了)