(訳注:エスチューリン『ビルダーバーグ倶楽部』からの引用のつづきです)
オルダス・ハックスリー登場
「英国のアヘン戦争の最高司祭は、オルダス・ハックスリー[英国の小説家]だった。
彼の祖父は、トマス・H・ハックスリーといい、「ローズ円卓」グループの創設者であり、進化論を展開するチャールズ・ダーウィンを手助けした著名な生物学者でもあった。
オックスフォード大学出身の[経済学者、アーノルド]・トインビー(英国の経済学者)は、1919年にパリで開かれた平和会議の英国代表だった。
『トインビーのオックスフォード大学でのチューター(個人教授)は、H・G・ウェルズ[英国の小説家]であり、ウェルズは第一次世界大戦時の英国情報局の局長であり、<水瓶座の陰謀> を生んだ、いわば「精神な父親」だった。
オルダス・ハックリーは英国の円卓エリートの子女たちが作ったディオニオス的なカルトである<太陽の子供たち>の新入会員だった。
ハックスリーの最も著名な小説『素晴らしい新世界』は、唯一の政府のもとで営まれる正当な社会主義的世界の(数名の世界評議員によって命じられた)青写真である。
あるいは、「ファビアン協会」[1884年創設。革命によらない、斬新的な社会主義を唱える]の恩師H・G・ウェルズの言葉を借りれば、ウェルズ自身の人気のある小説の一つに使われたタイトルを借りれば、「新世界秩序」(1940年刊)の青写真だった。
『素晴らしい新世界』で、ハックスリーは、すべての国民をほぼ永遠の服従の状態におき、少数のエリートの外側で隷属を愛する科学的方法論に焦点を当てている。
こうした状態を作りだす主な道具は、脳機能を変えるワクチンであり、国家が国民に対して飲むことを強要する薬物である。
ウェルズに言わせれば、これは陰謀ではなく、むしろ『精神警察として機能する世界頭脳』なのだ。
1937年に、ハックスリーはカリフォルニアに移住してロサンジェルスの縁故(こね)の一人ジェイコブ・ザイトリンのおかげで、ハリウッド(MGM、ワーナー・ブラザーズ、ウォルト・ディズニー社など)で脚本家として働いた。(中略)
「メイヤー・ランスキー[<ギャンブル帝国>の創始者]によるマフィア組織の米西海岸におけるボス、バッグズビー・シーゲルは、ワーナー・ブラザーズやMGM社と長期にわたる絆を築いていた」。
事実、ショービジネス(製作、配給、マーケティング、広告)などは、組織犯罪の連合やウォールストリートの高級詐欺師たちからなるマフィアの支配下にある。
もっとも、それも、究極的には、全能のビルダーバーグの支配下におかれているのだが。
ショービジネスは、ビルダーバーグとその手下によるその他の『商売』と同じように営まれる
ハックスリーの仕事
ハックスリーは、1954年に『近くの扉』と題された、幻覚剤メスカリンを用いた意識拡張について影響力のある研究書を発表した。
サイケデリックなドラッグ文化の最初のマニフェストだ。
1958年に、ハックスリーは『ニューズデイ』に書き続けていたエッセイを、『素晴らしい新世界再訪記』というタイトルのもとにまとめた。
その中で、彼は「支配層の主たる目的が、被支配層が問題を作りだすことを何としても回避することである」社会を描き出している。
ハックスリーは、民主主義がその本質を変えるだろうと予告した。
旧弊な奇妙な伝統――選挙、国会、最高裁判所などは残るが、その下の基層は、非暴力の全体主義になるだろう。
すなわち、少数の独裁政治家と熟練のエリート兵士や警察、思想形成者、精神操縦者などが思いのままに世界を冷静に統率するというのだ。
実際、このハックスリーの描いた構図は、現在の状況に完璧にマッチしている。
1960年9月、ハックスリーは、ボストンにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)の創立百周年カーネギー招聘教授に任命された。
彼は一学期だけ教えただけで、その後、解雇された。
「ボストンにいるあいだに、ハックスリーはハーヴァード大学でサークルを作った」
そのサークルというかセミナーの公開トピックは、宗教とその現代世界における意義というものだった。
(中略)1974年4月発行の『キャンペイナー(運動家)』誌で、マイケル・ミニチーノはこう述べている。
「ハーヴァード大学にいたころ、ハックスリーはサンドズ社の社長と接触したが、この社長はCIAの依頼を受けて大量のLSDや、MKウルトラ計画のためのサイロサイビン(メキシコのキノコから作られた幻覚剤)を作った。
MKウルトラ計画とは、化学兵器をめぐるCIAの公開実験だった」。
それはLSDを使用したしばしば死にいたる実験であり、人類をモルモットとして使っていた。
(中略)さらには、ビルダーバーグと結びついた高等教育機関カナダのモントリオール市のマッギル大学も、タヴィストック出身の退廃的なファシスト、ジョン・リーズが発起したMKウルトラ計画の中で、国立孤児院の子供たちを被験者として使って、拷問をおこなったり、LSDを服用させていた。
(中略)「情報の自由」法案のおかげで、最近CIAが機密種別からはずした文書によれば、アレン・ダレス(当時CIA長官だった)は、1億錠ものLSDを購入していたという。
ミニチーノの上記の記事によれば、
「その多くが1960年末に、合衆国の街中に流れたという。
(中略)何千人もの大学生がモルモットになった。学生たちは直ちに自分たちの「アシッド」を合成し始めた。
ヴェトナム戦争の状況に怒りを覚えて戦争反対のデモを行なった大多数の者は、SDS[民主的な社会をもとめる学生]の組織に入った。
だが、若者たちがひとたびタヴィストック研究所の心理戦争専門家によって作りだされた環境に囚われ、享楽主義と国防が「非道徳な」戦争の正当な代替物であるというメッセージが巷にあふれると、若者たちの価値観と創造力は、ハシシの煙の中に消え散った」
そう著者ミニチーノは述べる。
オルダス・ハックスリー登場
「英国のアヘン戦争の最高司祭は、オルダス・ハックスリー[英国の小説家]だった。
彼の祖父は、トマス・H・ハックスリーといい、「ローズ円卓」グループの創設者であり、進化論を展開するチャールズ・ダーウィンを手助けした著名な生物学者でもあった。
オックスフォード大学出身の[経済学者、アーノルド]・トインビー(英国の経済学者)は、1919年にパリで開かれた平和会議の英国代表だった。
『トインビーのオックスフォード大学でのチューター(個人教授)は、H・G・ウェルズ[英国の小説家]であり、ウェルズは第一次世界大戦時の英国情報局の局長であり、<水瓶座の陰謀> を生んだ、いわば「精神な父親」だった。
オルダス・ハックリーは英国の円卓エリートの子女たちが作ったディオニオス的なカルトである<太陽の子供たち>の新入会員だった。
ハックスリーの最も著名な小説『素晴らしい新世界』は、唯一の政府のもとで営まれる正当な社会主義的世界の(数名の世界評議員によって命じられた)青写真である。
あるいは、「ファビアン協会」[1884年創設。革命によらない、斬新的な社会主義を唱える]の恩師H・G・ウェルズの言葉を借りれば、ウェルズ自身の人気のある小説の一つに使われたタイトルを借りれば、「新世界秩序」(1940年刊)の青写真だった。
『素晴らしい新世界』で、ハックスリーは、すべての国民をほぼ永遠の服従の状態におき、少数のエリートの外側で隷属を愛する科学的方法論に焦点を当てている。
こうした状態を作りだす主な道具は、脳機能を変えるワクチンであり、国家が国民に対して飲むことを強要する薬物である。
ウェルズに言わせれば、これは陰謀ではなく、むしろ『精神警察として機能する世界頭脳』なのだ。
1937年に、ハックスリーはカリフォルニアに移住してロサンジェルスの縁故(こね)の一人ジェイコブ・ザイトリンのおかげで、ハリウッド(MGM、ワーナー・ブラザーズ、ウォルト・ディズニー社など)で脚本家として働いた。(中略)
「メイヤー・ランスキー[<ギャンブル帝国>の創始者]によるマフィア組織の米西海岸におけるボス、バッグズビー・シーゲルは、ワーナー・ブラザーズやMGM社と長期にわたる絆を築いていた」。
事実、ショービジネス(製作、配給、マーケティング、広告)などは、組織犯罪の連合やウォールストリートの高級詐欺師たちからなるマフィアの支配下にある。
もっとも、それも、究極的には、全能のビルダーバーグの支配下におかれているのだが。
ショービジネスは、ビルダーバーグとその手下によるその他の『商売』と同じように営まれる
ハックスリーの仕事
ハックスリーは、1954年に『近くの扉』と題された、幻覚剤メスカリンを用いた意識拡張について影響力のある研究書を発表した。
サイケデリックなドラッグ文化の最初のマニフェストだ。
1958年に、ハックスリーは『ニューズデイ』に書き続けていたエッセイを、『素晴らしい新世界再訪記』というタイトルのもとにまとめた。
その中で、彼は「支配層の主たる目的が、被支配層が問題を作りだすことを何としても回避することである」社会を描き出している。
ハックスリーは、民主主義がその本質を変えるだろうと予告した。
旧弊な奇妙な伝統――選挙、国会、最高裁判所などは残るが、その下の基層は、非暴力の全体主義になるだろう。
すなわち、少数の独裁政治家と熟練のエリート兵士や警察、思想形成者、精神操縦者などが思いのままに世界を冷静に統率するというのだ。
実際、このハックスリーの描いた構図は、現在の状況に完璧にマッチしている。
1960年9月、ハックスリーは、ボストンにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)の創立百周年カーネギー招聘教授に任命された。
彼は一学期だけ教えただけで、その後、解雇された。
「ボストンにいるあいだに、ハックスリーはハーヴァード大学でサークルを作った」
そのサークルというかセミナーの公開トピックは、宗教とその現代世界における意義というものだった。
(中略)1974年4月発行の『キャンペイナー(運動家)』誌で、マイケル・ミニチーノはこう述べている。
「ハーヴァード大学にいたころ、ハックスリーはサンドズ社の社長と接触したが、この社長はCIAの依頼を受けて大量のLSDや、MKウルトラ計画のためのサイロサイビン(メキシコのキノコから作られた幻覚剤)を作った。
MKウルトラ計画とは、化学兵器をめぐるCIAの公開実験だった」。
それはLSDを使用したしばしば死にいたる実験であり、人類をモルモットとして使っていた。
(中略)さらには、ビルダーバーグと結びついた高等教育機関カナダのモントリオール市のマッギル大学も、タヴィストック出身の退廃的なファシスト、ジョン・リーズが発起したMKウルトラ計画の中で、国立孤児院の子供たちを被験者として使って、拷問をおこなったり、LSDを服用させていた。
(中略)「情報の自由」法案のおかげで、最近CIAが機密種別からはずした文書によれば、アレン・ダレス(当時CIA長官だった)は、1億錠ものLSDを購入していたという。
ミニチーノの上記の記事によれば、
「その多くが1960年末に、合衆国の街中に流れたという。
(中略)何千人もの大学生がモルモットになった。学生たちは直ちに自分たちの「アシッド」を合成し始めた。
ヴェトナム戦争の状況に怒りを覚えて戦争反対のデモを行なった大多数の者は、SDS[民主的な社会をもとめる学生]の組織に入った。
だが、若者たちがひとたびタヴィストック研究所の心理戦争専門家によって作りだされた環境に囚われ、享楽主義と国防が「非道徳な」戦争の正当な代替物であるというメッセージが巷にあふれると、若者たちの価値観と創造力は、ハシシの煙の中に消え散った」
そう著者ミニチーノは述べる。
http://ja.scribd.com/doc/13672123/The-True-Story-of-the-Bilderberg-Group-by-Daniel-Estulin-Sample-Pages
むしろ、こちらの要約みたいですね。
http://modernhistoryproject.org/mhp?Article=AquarianConspiracy
以上御礼がてらご報告まで。