越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

Donde esta Mezklah? メスクラは、いまどこに? 

2015年04月13日 | 音楽、踊り、祭り

Cuando pienso mis dias en Mexico, siempre recuento mi viaje en Oaxaca y Mexico DF con la banda musica "Mezclah,"-- Angel Garcia y Greg Hernandes.

Nombre de la banda significa "mezcla," y su musica magnifica y inovadora(ademas, su cuerpo pintura y danza)reflejandose y poniendo mucho enfasis en multiculturalismo de Los Angeles y otras areas metropolitanas de Estados Unidos.  Pero donde estan ellos ?  Quiero saber donde. 

Whenever I look back the days in Mexico, I remember my travel in Oaxaca and Mexico City with Mezklah, Angel Garcia and Greg Hernandes. 

The name of the band means "mixture, " and their great and innovative music (as well as their body painting and dance) reflects and stresses on multiculturalism in LA and other metropolitan places of US.   But Where are they now ?  I want to know where they are.

   

メキシコで過ごした日々を振り返ると、オアハカやメキシコシティで、メスクラというバンド(アンヘル・ガルシアとグレッグ・ヘルナンデス)と一緒に旅したことを思い出す。バンドの「メスクラ」という名前は、混淆という意味のスペイン語「mezcla」を少しもじったもので、彼らの素晴らしく革新的な音楽(ボディペインティングと踊りも)は、ロサンジェルスや他のアメリカの都市部の「多文化主義」を反映しつつ、強調していた。だが、いま彼らはどこにいるのだろう?  

 


トーマス・トランストロンメル

2011年10月12日 | 音楽、踊り、祭り

今年のノーベル賞を受賞した詩人の日本語で読める

唯一の詩集が思潮社から出ている。

『悲しみのゴンドラ』という。

「毎日新聞」の佐藤由紀さんがきのう(10月11日)の夕刊で、

地元ジャーナリスの寄稿エッセイを翻訳し、詩人を紹介している。

エッセイでは、こんな感じで親しみが沸いてくる。

「すべてが夢のようだった。興奮の渦の中に立ちながら、ストックホルムで同じ高校に通ったトーマスを思い出していた。私たちは60年来の友人なのだ」

一方、佐藤さんの紹介記事に引用されている詩の一部が心に残った。

ある埋葬式だった

そして わたしは その死者がわたしの想いを

読みとっている気がしたのだ

わたし自身にもまして

(「1990年7月より」)

 

 

 

 

 

 

 

 


ノーベル文学賞(2011年)

2011年10月07日 | 音楽、踊り、祭り

今年のノーベル文学賞は、スウェーデンの詩人、トマス・トランストロンメル(80歳)に決まった。

どんな詩人なのか。読んだことがないのでわからない。

一説によると、俳句みたいな詩を書く人だとも。

イギリスの賭け会社のオッズでは、12対1だった。1000円賭けて、1万2000円。

悪くない配当だった。

 

 


ノーベル文学賞(2011年)の賭け

2011年10月06日 | 音楽、踊り、祭り

今年も秋のお祭りがやってきた。

イギリスのブックメーカー(Ladbrokes)が2011年のノーベル文学賞の賭けオッズを公表している。

日本をふくむ世界中から(米国をのぞく)、ネットでギャンブルできるようになっている。

密かに、カナダのマーガレット・アトウッドだと思っているのだが、オッズは40−1と低い。だが、去年も、あっと驚く40ー1のバルガス=リョサだった。

ちなみに、噂では、シリアの詩人アドニスが有力らしい。

オッズは以下のとおり。10月6日現在。発表は日本時間で、きょうの夜8時。

Bob Dylan 5-1

Haruki Murakami 6-1

Adonis 7-1

Peter Nadas 10-1

Assia Djebar 10-1

Tomas Transtromer 12-1

Ko Un 16-1

Les Murray 16-1

Philip Roth 16-1

Nuruddin Farah 16-1

Thomas Pynchon 20-1

Cormac McCarthy 20-1

Amos Oz 25-1

以下省略。








 

 


死者のいる風景第三回(その2)

2011年04月20日 | 音楽、踊り、祭り
 僕は、正月のとても寒い時期に、愛知県と長野県の県境、天龍川沿いの山間の村で見た「花祭り」を思い出した。

 真夜中に、神社で神楽を披露し、いろいろと鬼が出てきて厄払いをする、とても古い行事だ。

 ロドリゴが言葉を続けた。

 「一六世紀にバスコ・デ・キロガというフラシスコ会派の司祭がやってきて、この地のタラスコ族の先住民人に、ごとに異なる工芸を教えて、彼らの想像力に火をつけたんだ。

 たとえば、ギターの得意なパラチョ、陶器の得意なツィンツィンツァン、銅製品や毛織物の得意なサンタ・クララ。

 仮面の製作は、パッツクアロから湖沿いに一二キロほどいったトクアロというが有名だよ。

 メキシコの仮面というのは、個人的な考えだけど、先住民たちによる多神教の世界観を表現する手立てじゃないか。

 ヨーロッパ人のカトリック教会は、善と悪をきっちり分けて考えていたけど、先住民はそうでなかった。

 <悪魔>の仮面でも、どこか憎めない。

 完全なる<悪>じゃない。

 難しいことを言えば、両義的だ」
 
 夜明け前の三時頃、僕はパッツクアロから十数キロほど離れた小雨の煙るツィンツィンツァンの墓地にいた。

 ロウソクや色鮮やかな花や供え物が豪勢に飾られた墓地は、真っ暗闇にそこだけ煌(きら)びやかに浮き上がる優美な御殿みたいだった。

 僕は、先祖の霊を迎えるために墓の前で酒を飲んで寝ずの晩をしていた陽気な若者に勧められて、寒さしのぎに酒をがぶ飲みした。

 翌朝、起きてびっくりした。

 靴は泥だらけだった。外に出てみると、レンタカーの前輪の一つがパンクしているではないか。

 タイヤのホイールもなくなっている。
 
 ひょっとして、あの世から帰ってきた死者に悪戯(いたずら)されたのだろうか。
 
 ロドリゴは人を信用するな、と僕に言った。

 人の中にまさか死者も入っているとは思わなかった。

(『Spectator』vol.23,Spring & Summer 2011, p.198)

死者のいる風景第三回(その1)

2011年04月18日 | 音楽、踊り、祭り
死者のいる風景(第三話)メキシコ・パッツクアロ
越川芳明

 ミチョアカン州パッツクアロに着いた日は、あいにくと雲行きが悪く、まるで雨神トラロックが機嫌を損(そこ)ねているみたいだった。

 いや、トラロックはメキシコの大地に恵みの雨をもたらす神様だから、むしろ僕を雨で歓迎しようとしていたのかもしれない。

 「死者の日」の祭りには、観光客がメキシコ国内だけでなく外国からもやってくる。

 ホテル探しが大変だ。

 あらかじめ宿を取っていない者は、まるでメキシコの牧童(チャロ)に追い立てられた馬みたいに、あちこち振りまわされることになる。

 僕は州都モレーリアで借りたレンタカーで、あらかじめ目星をつけておいたホテルをめざす。

 幸運なことに、とりあえず二泊分だけは確保できた。

 やはり雨神トラックは僕を歓迎してくれたのだ。

 翌日、僕がそう言うと、観光ガイドのロドリゴが応じた。

 「でも、『不信は安心の母(デ・ラ・デスコンフィアンサ・ナセ・ラ・セグリダー)』というメキシコの諺があるよ。

 いつも安心していたければ人を信用するな、という意味だ。

 でも、君はそういうタイプじゃなさそうだね」

 夕方、僕はロドリゴに連れられて、パッツクアロ湖の艀(はしけ)の近くまで行き、そこに設置された舞台で「老人の踊り(ダンサ・デ・ロス・ビエヒトス)」を見た。

 舞台に小学校の中学年ぐらいの男の子たちが五、六人登った。

 トウモロコシの穂先で作った頭髪や髭をつけて老人を装っている。

 一人だけ若い娘がいて、こちらは正真正銘のハイティーンの女の子だ。

 あでやかなビロードのロングスカートを両手でつまみ、まるですれっからしの娼婦が挑発するかのようにひらひらと揺らす。

 それを見た「老人たち」は、まるで奇種の蝶を追いかける老鱗翅(りんし)学者のように、その布の羽に誑(たぶら)かされて、身体をぎこちなく動かし娘を追いかける。

 そして、まるでメスの気を引こうと一気に羽を広げるオスのクジャクよろしく、虚勢を張って下駄で床を踏みならす。

 これ見よがしに「わしゃまだ若いぞ、どうだ」といわんばかりに、一種のタップダンスを踊る。

 老人を演じる少年たちはその身にはち切れんばかりのエネルギーを極力抑えている。

 それでも、女の子をナンパしようとして、空(から)元気の一つでも見せようとする。

 こういう芸能の中で、老いと死を意識せざるを得ない老人のエロティシズムを子供に演じさせるのは、なんとすぐれた先住民の知恵なのだろう。

 そういえば、『ゲゲゲの鬼太郎』の作者、水木しげるがメキシコの仮面の収集に凝っているという話を読んだことがある。(『幸福になるメキシコ』祥伝社、一九九九年)

 わざわざオアハカ、ゲレーロ、ミチョアカンなど先住民の多い州まで出向いて、大量の仮面を購入している。

 それらの仮面は、メキシコ特有の鮮やかな原色による色使いもさることながら、人間の顔にウジ虫やバッタや蛇などが巧みに配置されて意表をつく。

 どこか間抜けでコミカルな表情をたたえている悪魔(ディアブロ)の仮面もあれば、ジャガー、山羊、フクロウなどの動物の仮面もあるし、賢そうな老人の仮面もある。

 メキシコ人はどうして仮面が好きなのだろうか。

 ルチャ・リブレと呼ばれるプロレスでも、みな仮面(マスカラ)をつけている。

 そのことをロドリゴに訊いてみると――

 「仮面はメキシコ人にかぎらず、だれでも好きだろ」と、前置きをして。

 「仮面というのは、自分の素性を隠すためもあるけど、その一方、自分以外の何者かになるための道具でもある。

 たとえば、君の言う<悪魔>の仮面でもそう。

 <悪魔>っていっても、普段は目に見えないけど、お祭りの儀式で仮面をかぶった人に<悪魔>がとり憑(つ)いて、私たちはその目の前の<悪魔>を相手に、災いが起こらないように、厄払いをおこなうってわけさ」

(つづく)


 

旅の醍醐味

2010年09月14日 | 音楽、踊り、祭り
きょう、ハバナを朝6時にたち、メキシコシティに来ました。

朝の3時にハバナ空港に行き、4時にチェックインし、クバナ航空で二時間半、快適な旅です。

しかし、メキシコシティで乗り換える成田行きの便は、夜の11時55分。まる一日あります。

地下鉄で市内見物したいところですが、ほとんど寝ていないので、やめました。

空港の中で、WFでネットをやったり、仕事をしたりしています。

本当は、二日前にメキシコシティにやってくる予定でした。

メヒカーナ空港が突然、すべての便をキャンセルしたため、前日に、ハバナーメキシコ間の便を急遽さがして、航空権を購入しなければならなくなりました。

ハバナのランパにあるいくつもの航空会社まで行って、予約をしました。

それから、セントロのパルケ・ナソナール・ホテルに行って両替をしたり、メキシコのホテルのキャンセルをしたり。。。

まる一日つぶれました。これが旅の醍醐味というものでしょうか。

けっこうこういうことを経験していると、あまり慌てなくなります。

今回の旅では、いろいろと困難に直面しました。キューバの友達が助けてくれました。

キューバのことわざに、「友達がいる者は、大金持ち」というものがあります。正確には、「友達がいる者は、砂糖工場を持っている」El que tiene un amigo tiene central. というものです。

キューバ社会のある一面を物語っています。

人の信用を大事にする社会では、よかれあしかれ、人の「紹介」というものが物をいうようです。





メキシコシティは、ほんま寒い! 

2010年07月30日 | 音楽、踊り、祭り
きのうから、メキシコシティにきています。

ティファナで、テクニカルチェックのため(航空会社のいいぶん)の途中待機があり、15時間ぐらいでメキシコシティに到着。

アエロメヒコ航空に載っているのは、メキシコ人を含むラテンアメリカの人たちや中国人がほとんとで、日本人は少なかったです。

スペイン語が飛び交っていて、欧米に向かう飛行機にはないリラックスした雰囲気です。

ぼくの隣の席にすわった人も、メキシコの大学生でした。友達と中国や香港や日本を18日かけて旅したと言っていました。

なんといってもメキシコ直行便です。

これまでカナダ・トロント経由(エアーカナダ)でキューバに向かっていましたが、これからは、こちらにします。

スペイン語も耳に慣れないといけないし、メキシコだけでなく、メキシコ経由で他の中南米各地へ向かう人には、値段も安いので、おすすめです。


メキシコシティに夕方着きましたが、土砂降りの雨で、とても寒いです。

いまが夏なのを忘れてしまいそうです。まるで、ここが南半球みたいに感じられる陽気です。

皆、冬の服装をしています。

話はとびますが、


テレビのニュースによれば、メキシコ西部のシナロア州のドラッグカルテルの親分(Ignacio Villareal)が軍の攻撃に遭って死んだということです。

数年前にティファナ・カルテルの親分がFBIに捕まったので、残るはフアレスとユカタンの親分らしいです。


それはともかく、

ベニト・フアレス国際空港が様変わりしていて、驚きました。

恐ろしくきれいになっていました。

メキシコの税関員は、いつもとても気さくで助かります。

最初に、外国人が出会う人だから、その国の印象を担っているといっても過言ではないのに。

なぜか世界の税関員には、横柄な人間が多いように感じられます。

とりわけ、米国では自分たちが警察と思っているのか、取り調べといった感じです。

だから、ブッシュ大統領のときから、しばらく行っていません。


きょう、国立人類博物館に行きがてら、町を歩いてみましたが、メキシコの景気はよさそうです。

結構、若者がipodとかウォークマンやっていますし。

一方で、地下鉄では、構内でも車内でも、おなじみの物売りがいて、

一個5ペソ(45円ぐらい)のお菓子とかメモ帳とか、20ペソぐらいのCDを売っていたりするので、経済格差は確実にあります。

地下鉄は一回3ペソに値上がりしていました。前は2ペソでした。それにしても、一枚買えば、どこまでも乗っていけるので、これは便利です。

ラッシュアワーだけは、構内や車内でスリにねらわれるので、えらく緊張します。

隣の人が全員スリに見えてきて(笑)。

明日、ハバナに向かいます。

しばらくパソコンが使えません。

申し訳ありませんが、このブログは9月まで休止させていただきます。






死者のいる風景(第二話)2

2010年07月22日 | 音楽、踊り、祭り
 十月三十一日の夜から二夜にわたって、メキシコでは「死者の日」の祭りを祝う。

 十六世紀のはじめ、エルナン・コルテスに率いられたスペイン軍がやってきて、そこから土着の先住民たちのカトリックへの改宗がはじまったが、圧倒的に異なる二つの信仰のぶつかり合いの中から生まれたものがメキシコの「死者の日」。

 七世紀からあったといわれるローマカトリック教会の万霊節(煉獄にいる死者の罪を浄めるお祭り)と、新大陸の土着の先住民たちの先祖信仰(ご先祖様が神様という発想)が合わさった、きわめてハイブリッドなイヴェントだ。

 「死者の日」には、ちょうど日本のお盆のように、先祖の霊が現世に戻ってくるので、お墓でお迎えするのである。

 パッツクアロ湖の中にぽかりと浮かぶ小さな島がハニツィオという先住民百パーセントの島だ。フェリーに乗って二十分足らずで、その島に着いてしまう。

 乗り合わせたメキシコ人の若者たち(とりわけ、女の子)が手拍子を取りながら、陽気な歌を歌って、祭りの気分は、嫌がおうにも盛り上がる。

 桟橋から墓地へとつづく狭い坂道の両側に、食堂や土産物屋が並んでいた。

 食堂に入り、そこの名物である魚の唐揚げをつまみにビールを飲んだ。

 蝶の羽の形をした漁網を使った先住民独特の漁法で捕らえられた、チャラレスという名のワカサギに似た魚だった。
 
 しかし、評判のハニツィオ島の墓地は崖っぷちにあって、意外と小さい。

 しかも、墓地に集う住民も、観光客ずれしていて、カメラを向けると、金をねだられる。

 でも、それも仕方ないかもしれない。彼らにとっては、年に一度の現金収入獲得の大チャンスなのだから。
 
 ハニツィオ島に比べて、真夜中の二時頃に行ったパカンダ島は、意外な穴場だった。

 墓地の入り口では、お年寄りたちが訪問客に酒やお茶を振る舞っていた。

 土葬の墓もただ石を置いただけの質素なものだった。

 飾り付けもロウソクとわずかな花だけで、まるで怪奇映画の一シーンを見ているかのように、幻想的な雰囲気があたり一面に漂っていた。

 昼の間に、ロドリゴに連れられてフェリーの艀のあたりを歩いていると、季節はずれの蝶々が舞っていた。

 「俺たちにとって、蝶は先祖の魂なんだよ」と、ロドリゴが言った。

 それから、黄色いマリゴールドで飾りづけた得体の知れない四角いやぐらを指さした。「その飾りつけも、帰ってくる先祖たちのための目印なんだ」
(『Spectator』2010年7月21日 )

辺野古(3)

2010年07月12日 | 音楽、踊り、祭り
 先月、辺野古へ行ってきましたが、沖縄行きの本当の目的は他にありました。

 6月23日の「慰霊の日」の夕方に、那覇市の県立博物館でおこなわれたシンポジウム「骨からの戦世」を聞くためでした。

 今年は戦後65年ですが、目取真俊の『沖縄戦後ゼロ年』(NHKブックス)にならっていえば、沖縄では、基地問題をはじめとして、「戦争」は終わっていません。

 沖縄戦をめぐって、比嘉豊光さん(写真家)の撮った骨の写真や動画を見たい、さらに、詩人の高良勉さんをはじめとする沖縄人の論客の語る言葉を聞きたい、と思ったのです。

 最近、那覇の近郊から出てきた骨というのは、沖縄人のそれではなく、日本兵の骨だということが分かりました。

 本土からやってきた日本兵は、米軍が侵攻してきて、いざというときに沖縄人を守りませんでした。

 一般の沖縄人は、洞窟(ガマ)に逃げ込み、米兵に捕まるとレイプされたり殺されするから自害(集団自決)するように示唆していました。

 あるいは、家族や親戚を日本兵によって「スパイ」扱いを受けて殺された沖縄人がいました。

 だから、日本兵の骨に対しては、沖縄戦で犠牲になった沖縄の住民の骨とは違った、微妙で複雑な感慨が沖縄人のあいだにあるはずです。

 それでは、本土に住む日本人である僕たちは、その骨に対して、どういう感慨を抱くのか。

 今秋、明治大学(お茶の水)で、比嘉豊光さんを呼び、映像と講演、シンポジウムを行なおうと思っています。

 具体的なプログラムはのちほどお知らせします。

 沖縄では、宜野湾の佐喜眞美術館で、「骨からの戦世ー65年目の沖縄戦 比嘉豊光展」(8月11日~23日まで)が開かれるようです。

 また同会場で、講演とシンポジウム「「骨」をめぐる思考」(8月15日14時より)、土屋誠一、豊島重之、北村毅、西谷修、屋嘉比収などの講師によって、おこなわれるようです。

 

 

管啓次郎さんとの対談

2010年05月31日 | 音楽、踊り、祭り
青山ブックストア(表参道)でおこなった管啓次郎さんとのトーク「旅と翻訳」が「図書新聞」(2010年5月29日号と6月5日号)に載りました。これは、第1回分です。

『図書新聞』2010年5月29日
○翻訳者たちは昇天する
越川 英語で「翻訳」というのはtranslate(トランスレイト)、翻訳者というのはtranslator(トランスレイター)ですが、それらは、ラテン語からきていて、「移す」という意味のtransという語と「運ぶ」という意味のlateという語の合成語です。それに似た単語でtranscribe(トランスクライブ)というのがあります。scribeは「書く」行為をしめす動詞ですが、名詞はscript(スクリプト)、皆様もご存知のとおり、「台本」です。
 で、transcribeというのは、今僕がこういうふうに喋っていたりする言葉、皆さんの耳に響いている言葉を、目で読む「活字」に直すという行為をいいます。いわゆる「テープ起こし」ですね。楽器で弾いた音を五線譜上に記号に写すこともその動詞で表現します。
 面白いのは、もうすたれてしまったのだけれど、translateに昇天するって意味があるんですよね。昇天、トリップする人。だからその意味からいうと、translatorというのは技術を磨く職人というよりは、才能ですね。ナチュラル・ハイになれる者、というのでしょうか。こじつけめいてはいますけど、そういう人かなという気がするんですよね。

管 さすが越川さん、英文科の先生ですね(笑)。Translationには数学用語で平行移動という意味もあるようですが、言語から言語へと横滑りするうちに、地上を離れて空に飛び出すみたいな動きが入ってくるのでしょうか。

越川 今回僕が訳したエリクソンの新刊『エクスタシーの湖』ですが、原題は、『Our Ecstatic Days』といいまして、これは直訳すると「われわれが恍惚となる日々」くらいになるんですね。それではちょっとまだるっこしい。今回はロサンゼルスが街ごと水浸しになって湖が出現する、そんな話です。「エクスタシーの湖」という、わかったようななわからないような、ちょっと詩的なタイトルをつけてみました。主人公の女性には幼い息子がいるんですが、その子が湖でいなくなって、彼女が潜って探しにいったら、もうひとつの湖に出てしまう、っていう話なんですね。

管 読もうと思って、申し訳ないことにまだ半分も読んでいないのですが。すごく複雑な小説ですよね。

越川 いや、あんまり複雑じゃないですよ(会場笑)。いろいろな話が出てくるので、それをひとつにまとめよう、ジグソーパズルを完成しようとすると、とても苦労します。でもそんなことは忘れて、細部を楽しめればいいんだと思うんですね。全体がどうなっているかは、正直なところ一回読んだだけではわからないですから。三十回くらい読むとばっちりジグソーパズルのピースがはまるかもしれないですが。

管 なるほど。苦行ですね、それは(笑)。

越川 だからそれはですね、SM的な愛情しかありえないんじゃないかな(笑)。苦行って思っちゃうと読めなくなっちゃうので。ただ、中で展開されるイメージや場面は凄いものがありますよ。詩を読むように、読めばいいのかも。
 さっき言った主人公の女性が見失った子どもは、実は別の場所で成長しているんですね。この子が家の「病気」…シック・ハウスっていうと何だか違うものみたいですが(笑)、病んだ家を診る女医と一緒に行動しているんです。そんなシーンの中で、「十三の喪失の部屋」という場面があります。「記憶の喪失の部屋」とか「家族の喪失の部屋」とか、ダンテの『神曲』の地獄篇のような、人間の心の闇を映し出すような旅ですね。このシーンなんかは、訳していてもちょっと震えました。個人的にはあれが一番すごい場面かなと思うんだけど。そういうふうにして読んでいけば全然不条理じゃないんですけどね。あら筋で成り立っている村上春樹の小説を期待するときついのかもしれないけど、物語のコアな塊というか、そういうのを感じて読んでいけば全然難しくない。

管 訳していて震えるって、いいですね。

越川 うん。僕は基本的に英語できないんですけど(笑)。ただ僕は、エリクソンと個人的につきあっていて、彼がしゃべっているのを実際聞いているから、彼の本を読んでいても彼がしゃべってくれているような感じで読めるんですよね。単語は聞けばわかりますし。英文解釈じゃないですから、一言一言正確でなくてもいいわけですし。

管 越川さん、訳しながら泣いたことありますか?

越川 難しすぎて泣くことはありますけど(笑)。

管 僕はよくありますよ。エイミー・ベンダーの短編なんか、訳しながらあまりに感動して。作者も書き終えたとき泣いただろうと思ったりして。

越川 それは本当に、失われた意味でのtranslatorですね。「昇天する人」。

管 まあ、バカですから。『エクスタシーの湖』は、タイポグラフィックな冒険というか、さまざまな工夫がなされていますね。

越川 翻訳本は佐々木暁さんというアートディレクターの作品ですが、やっぱりデザインが凄いですね。しかも二段組だから、原本をそのまま写しただけでは駄目なので、佐々木さんなりのアレンジが加わっています。
 一番難しいのは、ダブル・ナレーションというか、普通のナレーションに、物語の途中から一行だけのナレーションが加わって、最後に二つのナレーションがばっちり重なり合うんですよ。それをどうやって日本語訳の本に移植するか。普通、英語を日本語に翻訳すると、圧倒的に活字の量が増えてしまうので、一行のナレーションの部分をどうやって最後にぴったり合わせるかというのは、技術的な意味でとても難しかったですね。人づてに聞いた話ですが、豊崎由美さんがウラ技というか、この小説を読むための攻略法を編み出してくれたそうです。それによれば、最初に、この一行だけのナレーションを読んでしまうというのです。そうすると、「苦行」が「快楽」に変わるらしいですよ(笑)。

○ニューメキシコという場所
越川 エリクソンの作品にはニューメキシコもよく出てきますね。最近はニューメキシコのプエブロもしょっちゅう出てきます。エリクソンには「インディアン」の血も混ざっていることもあって。北欧と「インディアン」の異なる血が混在している。彼の風貌なんかそういう感じがしますね。内的な他者として、先住民ということは意識していると思いますね。

管 確かに、エリクソンは北欧系の名前。

越川 僕のニューメキシコ体験はもう五~六年くらい前ですね。初めてアルバカーキに行くことになって、管さんにどこに行ったらいいかアドバイスを求めたら、アコマを薦められた。それでレンタカーを飛ばして行ってみたんです。アコマには「スカイ・シティ」の別名がありますが、いいところでしたね。
 いいところ、というのは、先ほどの翻訳のことにひきつけて言うなら、翻訳も旅も、やっぱり日常から外れていくってことだと思うのね。日常と同じ体験ではないことをする、自分ではない自分がひょっとしたらいるかもしれないというか。そういう体験ができれば一番いいんですよね。で、アコマに行ったときは「何だこれ」というような----(笑)、強烈な体験をしました。

管 そもそもなぜ、ニューメキシコに行かれたんでしたっけ?

越川 ジミー・サンティアゴ・バカという詩人がいるのですが、彼に会いに出かけたんです。そしたら彼、本当のバカでね!(笑)いい詩人なんですよ。彼は僕と同じ年なんですけど、ニューヨリカンのピニェロと同じ監獄詩人で、二十歳くらいまでは文字を知らなかったんです。ドラッグ売買の容疑か何かで逮捕されて、五年くらい牢獄に入っていたときにはじめて字を習った。アメリカの刑務所って、中に学校があるらしいんですね。そこで詩を教えてもらって、あるとき自分の書いた詩を文芸誌に送ってみたら、小切手で二十ドルが送られてきた。そしたら「こんなので二十ドル貰えるんなら、俺いくらでも稼げるじゃん!」と思ったらしい(笑)。それから自分の人生を題材に詩を書いていったら、一杯できちゃったらしいのね。今ではアメリカの一流詩人ですけど。管さんも訳されていますね。

管 僕もニューメキシコとの出会いははっきりしているんですよ。むかしハワイ大学で人類学を勉強していたのですが、そこであるとき地理学教室の前を通ったら、ニューメキシコの白黒の風景写真が貼ってあったんです。それがすごかった。茫然とした。山があって原野がずっとひろがってという単なる風景写真だったんですが、雲の影が映っている。それがよかった。空気が乾燥して、澄み切っているのがわかる。雲の影が異常に濃い。影が山の山腹を走っている感じで。山も木なんか全然生えていなくて、砂と岩ばかり。その強烈な風景写真に頭が感光したみたいになって、これは行かなくてはと思った。二十数年前の話ですけれど。

越川 エドワード・アビーという作家が『砂の楽園』というノンフィクションを書いています。また、コーマック・マッカーシーは八〇年代以降、このへんの砂漠を舞台にした小説ばかり書いていますが、最近翻訳が出た『ブラッド・メリディアン』もいいですね。あとは映画で、ギジェルモ・アリアーガのBurning Plainという映画があります。『ある日、欲望の大地で』という邦題にされてしまっていますが(笑)、南西部および国境地帯を舞台にした、とてもいい映画です。ここの環境はアメリカの中でも東部とはずいぶん違う、ひとつのユニークな文化を形成しているんだなと思いますね。よそ者である画家のオキーフや、作家のローレンスが惹かれたのがよくわかる。

○旅する書き手たちとの出会い
越川 ハワイからニューメキシコに行かれたというお話でしたが、誰か旅をしている書き手の中で、お手本のような人はいらっしゃいますか?

管 書き手というか、人生の中で一番「この人に会ってなかったら今こうはなってなかったな」と思う人は、文化人類学者の西江雅之先生ですね。西江さんという人は変わった人で、文化人類学者・言語学者・アフリカ研究者のすべてを兼ね備えている。そして歩くのがとても速い。
 西江さんはもともとスワヒリ語を勉強していて、二十歳くらいのときに日本で最初のスワヒリ語の辞書を作りました。その後、サハラ砂漠を徒歩で縦断して。アフリカではマサイ族の遊牧民たちと一緒に暮らしていたんだけれども、彼らに「お前は歩くのが速すぎる」って文句を言われたらしいです(笑)。いろいろな伝説の持ち主ですね、三十ヶ国語くらい喋るとか。お風呂は一年に一回くらいしか入らない。泳ぐのも大嫌いで、海なんかハワイに行っても絶対入らない。高校生のころは体操選手だったそうですが、なんかそんな身体性と知識のスタイルが、完全に一致している。

越川 僕も西江さんのお宅に伺う機会があったのですが、ガマ屋敷というあだ名がついた家に住んでいますね。大きいヘビの抜け殻からマサイ族のペニスケースまで、本当にいろいろなものが置いてありました。 

管 あそこは最高におもしろい場所です。アフリカ研究や言語学の本のコレクションだけじゃなくて、個人博物館にしてもいいくらい、本当にいろいろなものが置いてありますね。さりげなく置いてある写真が、マン・レイが撮影したマックス・エルンストの生写真だったりします。『西江雅之の驚異の部屋(ルビ=ヴンダーカマー)』みたいな本を作りたい。
 僕は学生のころ文学にも言語学・人類学にも興味があったのですが、当時、西江先生がカリブ海の人々が話すクレオル言語のフィールド調査をしていて、その話を授業でうかがって、クレオル言語の世界を知ったんです。1980年ごろのこと。それでまあ、よし、ぼくもカリブ海に行ってみようと。それから段々人生が熱帯化し、同時に貧困化も進んだ(笑)。

越川 でも、カリブ海でのご経験は『オムニフォン』っていう素晴らしい本に結実してるじゃないですか。僕は出たときに書評を書かせていただきましたけど、ちょっとこれはかなわないなと思いましたね。脱帽の一語に尽きます。



カリブのアフロ信仰

2010年05月29日 | 音楽、踊り、祭り
フォトジャーナリストの佐藤文則氏と一緒に、「カリブ海のアフロ信仰」をめぐる特別講義(学部間総合講座、一回のみ)をすることになりました。


佐藤文則「ハイチのヴードゥ」+越川芳明「キューバのサンテリア」(レアな映像によって、カリブ海の儀礼・占いと歌と踊りを楽しみます)

6月1日(火)午後4時20分~5時50分 
明治大学和泉キャンパス(京王線明大前)
メディア棟3階301教室




サンティアゴの地震

2010年03月31日 | 音楽、踊り、祭り
2月末のチリの地震から一ヶ月がたちました。

19日、キューバのサンティアゴにいたとき、50年ぶりという地震(M5.9)に遭遇しました。

地震があったのは、東部のグランマ県(プロビンス)とサンティアゴ県です。

めずらしい出来事に、町中大騒ぎでした。4時頃、出先から帰ってくると、泊まっていた宿のおばさんから、はやく公園に避難しよう、とせかされました。

公園に避難する家族(とりわけ、小さい子供たちを抱える人たち)と、家の戸口にだらだらととどまっている人たちがいて、まちまちでした。

逃げた人たちの頭には、当然、ハイチやチリの大災害がありました。

さすがに地震にはなれている僕でも、耐震構造でなく、おまけにおそろしく古いキューバの建物を見ると、近くにいないほうがいいか、と思って、おばさんの言う通りにしました。

夕食をすませたあと、ちょうどその週に行われていた<国際トローバ・フェスティバル>の会場に行ったのですが、皆がコンサート会場(教会を押収したもの)の頭上のガラスの被いを条件反射的に見上げていたのが、ちょっとおかしかった。

先日、TBSラジオで、多摩タウンの古くなった共同住宅を壊して建て替えるというニュースが流れていました。

1971年に建てられたそうで、まだ40年しかたっていない。それに比べると、59年の革命以後、建て替えていないキューバの建物は、ずいぶん持っているなあ、という感慨を抱きます。

でも、なかには、地震がこなくても、部分的に崩壊しているものも、とくにハバナのセントロ(中心地区)で見られます。相当にあぶないです。

いま、ハバナッ子はそれどころではありません。キューバ一の野球チームを決める最終決戦が先週から行われていて、ハバナのチーム「インドゥスリアレス」が、ビジャクララに対して2勝3敗と追い込まれているからです。

わがサンティアゴのチームは、ビジャクララにプレイオフで負けてしまい、サンティアゴの「プラサ・マルテ」にある野球狂たちの群がる一角も寂しいかぎりでした。

サンティアゴは、野球では負けるし、地震には襲われるし、泣きっ面に蜂でした。

でも、音楽(トローバ)は相変わらず元気でした。

デジブック 『santiago』










3月27日「多言語(オムニフォン)の饗宴」

2010年03月09日 | 音楽、踊り、祭り
まだ先のことですが、以下のイヴェントを明治大学で開催します。もちろん、無料です。気軽にお越しください。

「多言語(オムニフォン)の饗宴」
詩人ジェローム・ローゼンバーグさんを囲む会(参加自由、予約不要)

アメリカ先住民の歌を収集し、英語に翻訳した民俗学者であり詩人であるローゼンバークさんを招き、同じく詩人であり文化人類学者である今福龍太氏、管啓次郎氏を交えて、いろんな言語(方言を含む)で詩の朗読を行ないながら、翻訳や文学について考えたいと存じます。講義のあと、詩人を囲んでさらなる楽しい懇親会(飲み会、希望者一人3000円)を開催します。

日時:3月27日(土)16時~18時(開場は15時45分)
場所:明治大学駿河台キャンパスリバティタワー 19階119HI教室

司会:越川芳明
講師:管啓次郎
   今福龍太
   ジェローム・ローゼンバーグ

懇親会にご出席の方は、当日、会の始まりに人数を確認いたしますが、ぜひ参加したいという方は、あらかじめこのブログのコメントにその旨書き込みしていただけますと、大変が助かります。 幹事は、玉置君がボランティアでやってくれる予定です(←ありがたし)。

鶴橋のコリアタウン

2010年02月28日 | 音楽、踊り、祭り
大阪大正区につづいて、生野区鶴橋のコリアタウンを訪れました。

アーケード街にずらっとキムチ屋や八百屋や肉屋が並んでいて、市場としてそうとう楽しいです。もともと平安以前に百済系の人たちが移りすんでいたそうです。入口の御幸森神社の縁起にそう書いてありました。

「豊田商店」という韓国食品雑貨店で、強壮人参酒をつくるべく、オモニから「朝鮮人参」を安く仕入れました。(写真 左手ににぎった<ビニール袋>)

二個買っていったらといわれましたが、一個だけにしておきました(笑)。

商売の上手な、しかし嫌みのないすてきな女性でした。また、機会があれば行きたいところです。