越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

メキシコシティは、ほんま寒い! 

2010年07月30日 | 音楽、踊り、祭り
きのうから、メキシコシティにきています。

ティファナで、テクニカルチェックのため(航空会社のいいぶん)の途中待機があり、15時間ぐらいでメキシコシティに到着。

アエロメヒコ航空に載っているのは、メキシコ人を含むラテンアメリカの人たちや中国人がほとんとで、日本人は少なかったです。

スペイン語が飛び交っていて、欧米に向かう飛行機にはないリラックスした雰囲気です。

ぼくの隣の席にすわった人も、メキシコの大学生でした。友達と中国や香港や日本を18日かけて旅したと言っていました。

なんといってもメキシコ直行便です。

これまでカナダ・トロント経由(エアーカナダ)でキューバに向かっていましたが、これからは、こちらにします。

スペイン語も耳に慣れないといけないし、メキシコだけでなく、メキシコ経由で他の中南米各地へ向かう人には、値段も安いので、おすすめです。


メキシコシティに夕方着きましたが、土砂降りの雨で、とても寒いです。

いまが夏なのを忘れてしまいそうです。まるで、ここが南半球みたいに感じられる陽気です。

皆、冬の服装をしています。

話はとびますが、


テレビのニュースによれば、メキシコ西部のシナロア州のドラッグカルテルの親分(Ignacio Villareal)が軍の攻撃に遭って死んだということです。

数年前にティファナ・カルテルの親分がFBIに捕まったので、残るはフアレスとユカタンの親分らしいです。


それはともかく、

ベニト・フアレス国際空港が様変わりしていて、驚きました。

恐ろしくきれいになっていました。

メキシコの税関員は、いつもとても気さくで助かります。

最初に、外国人が出会う人だから、その国の印象を担っているといっても過言ではないのに。

なぜか世界の税関員には、横柄な人間が多いように感じられます。

とりわけ、米国では自分たちが警察と思っているのか、取り調べといった感じです。

だから、ブッシュ大統領のときから、しばらく行っていません。


きょう、国立人類博物館に行きがてら、町を歩いてみましたが、メキシコの景気はよさそうです。

結構、若者がipodとかウォークマンやっていますし。

一方で、地下鉄では、構内でも車内でも、おなじみの物売りがいて、

一個5ペソ(45円ぐらい)のお菓子とかメモ帳とか、20ペソぐらいのCDを売っていたりするので、経済格差は確実にあります。

地下鉄は一回3ペソに値上がりしていました。前は2ペソでした。それにしても、一枚買えば、どこまでも乗っていけるので、これは便利です。

ラッシュアワーだけは、構内や車内でスリにねらわれるので、えらく緊張します。

隣の人が全員スリに見えてきて(笑)。

明日、ハバナに向かいます。

しばらくパソコンが使えません。

申し訳ありませんが、このブログは9月まで休止させていただきます。






ラテンアメリカ映画

2010年07月30日 | 映画
アルゼンチンの映画『瞳の奥の秘密』を見ました。

インフレの時代をバックに、階級を超えた恋愛を殺人事件を絡ませてミステリータッチで扱ったものです。

とりわけ、最後のほうは、予測がつきませんでした。

どう階級の壁を乗り越えるか問うた、すぐれたボーダー映画ですが、一番階級の低い下級の官吏(ペドロというアル中の男)が重要な役を与えられているところに脚本のよさが見えました。

日本では、この夏公開される予定です。

おすすめです。 Marysol さんのブログにも載っています。http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/archive1-201003.html






辺野古(5)

2010年07月30日 | 小説
雨が止む気配はありません。

夕方5時半から、那覇で比嘉豊光さんのシンポジウムがあります。

ゆっくりできません。

このまま帰るか、「テント村」に寄っていくか。

自動販売機で、サンピン茶のロング缶を二本買いました。

「テント村」に行って、サンピン茶を差し入れしてから、帰ろう。


「テント村」には、女性が2人しかいませんでした。

サンピン茶を差し入れです、どうぞ。

ビラなどが載っている背の低いテーブルの上に置くと、あら~、と手前にいた年上の女性が応えてくれました。


「テント村」といっても、村ではありません。ただのテントがふたつ並んでいるだけです。運動会のようなテントです。

ただ雨が吹き込まないように、背後にも雨よけがあります。

その手前に、米軍基地の写真などが展示してありました。



女性の一人、篠原孝子さんがチラシをくれて、説明を始めました。

普天間基地と辺野古案がまったく関係であること、

米軍はすでにグアム統合案を実行に移しているので、辺野古の滑走路を真剣に必要とはしていないこと、

民主党の提案しているV字型滑走路を一番喜んでいるのは自衛隊であること、

座り込みをはじめて丸6年経つこと、

地元の住民は近所付き合いの上から、声高に反対を叫びにくいこと、

そういったことを丁寧に説明していただいた。

詳しくは、ウェブでも。→「辺野古浜通信」http://henoko.ti-da.net/


その後、もう一人の女性、顔が真っ黒で、いかにもダイバーといった感じの「みっちゃん」と少し話しました。

その間にも、雨はやまず、かえって本降りになってきました。

と、「みっちゃん」がボート乗ります? と聞いてきました。湾内から米軍基地を見てみますか、と聞いているのだと解釈しました。

時間がないからね、と一度は断りました。でも、少し考えてーー

せっかくだから、お願いします、でも、5時半には那覇に帰らなきゃならないのでちょっとだけ、と念を押しました。

「みっちゃん」は、僕のために別の小屋にカッパを取りにいき、戻ってきました。

それから、雨で滑る岩場を歩いて、テント村から100メートルほど離れたところにつないであるボートまで先導しました。

ボートに乗ると、ドックの中も外もまったく波がなく平穏そのものでした。

ドックを出て行くとき、さっき見えた神社の森のそばを通りました。

沿岸沿いを走らせながら、みっちゃんが説明してくれたのは、

V字型滑走路を作る前に、すでに米兵の新しい宿舎が作られているということでした。

遠くからでも、大型のクレーンが見えました。

国や国際政治という怪物のような圧倒的な力に対して、住民の力は虫けらのような印象を受けるかもしれません。

でも、イナゴの大集団には、さすがの人間もかなわないように、虫でも負けないことがあります。

そんなこと感じながら、那覇に向かって50CCを走らせました。




ジム・クレイス『隔離小屋』

2010年07月28日 | 小説
楽天的なディストピア小説
ジム・クレイス『隔離小屋』渡辺佐智江訳(白水社)
越川芳明

 
 最初の数ページを読んだとき、ただちにコーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』(原作は、二〇〇六年刊)を思い出した。
 
 父子が核によって廃墟と化した厳冬の「アメリカ」を南に向かって旅する物語である。

 この小説では、登場人物に名前がつけられていなかった。

 無名性の物語によって、マッカーシーはこの小説を万人に当てはまる寓話となるよう発想したのだ。
 
 一方、イギリス作家ジム・クレイスの九作目になる『隔離小屋』(原作は、二〇〇七年刊)もまた、荒廃した「アメリカ」を舞台にした「ディストピア小説」だ。

 だが、主人公には名前がつけられている。

 マーガレット(なぜかファミリーネームは不明)とフランクリン・ロペスである。

 ディストピア小説は、近未来SFの装いをとりながらも、現実の政治・社会的な要素を取り入れて、あるメッセージを伝えようとする。

 この小説の場合、それは裸の王様である「アメリカ」への警告ではないか。
 
 マーガレットとフランクリンは、終末論的な風景の中をーー人々が飢饉ゆえに故郷を離れざるを得なかったり地殻変動による毒ガスに襲われたりするだけでなく、旅の途中で盗賊団に狙われて、金品のものを奪われたり人身売買のために囚虜となったりするような悪夢的な世界をーー旅する。
 
 とはいえ、この悪夢はあまり怖くない。

 作者が舞台や主人公たちに距離をおいて書いているからだ。

 言い換えれば、「アイロニー」がこの作品の隠し味となっている。

 作者は、まるでシェフが料理の味を複雑にするかのように、秘伝の「アイロニー」のスパイスをふんだんにまぶす。
 
「ここはかつてアメリカだった。・・・それはかつて、地上で最も安全な場所だった」(10)と、作者はプロローグで宣言する。

  いま「アメリカ」は、外套を手縫いで作ったり、弓と矢による狩猟で肉を確保したりしなければならない中世のような荒野に逆戻りしている。

 人々がそこからの脱出に「希望」を見いだすといった設定からして、米国への風刺が明らかだ 。
 
 かつて米国がよそ者に差し出していたのは、「温暖な気候、肥沃な土地、健康によい空気と水、豊富な食料、高い賃金、親切な隣人、整備された法律、自由主義の政府、暖かいもてなし」(41)だった。

 だが、いまそれらはなく、「夢の国」などではない。
 
 他人に不幸をもたらすといわれる赤毛の持ち主のマーガレットは、伝染病の疑いをかけられて、丘の上の「隔離小屋(ペストハウス)」に幽閉される。

 その間に、湖の底が激しく震動して毒ガスが発生。それが風に乗って彼女の住む街「フェリータウン」を襲う。

 街の中心から離れた場所に排除・隔離されたマーガレットだけが唯一命拾いし、伝染病を逃れようとした住民たちのほうが予期もしなかった別の脅威にさらされるという皮肉が見られる。
 
 もう一人の主人公フランクリン・ロペスは兄ジャクソンと一緒に、「フェリータウン」よりずっと西の故郷に母親だけを残し、新天地に向かう船に乗るべく東海岸をめざす。

 六十日以上もかかってようやく「フェリータウン」にたどり着つくが、そこで兄とはぐれて、マーガレットが幽閉されている小屋を発見する。

 彼もまた毒ガスによる死を免れる。

 皮肉なのは、勇敢であることがアダになる兄と違って、フランクリンは大柄なのに臆病で、恥ずかしがり屋とくる。足腰もそれほど強くない。

 彼の「足首から太腿にかけての肉は、足を踏み出すたびに、腸詰めのように、ぐにゃりとなった」(13)
 
 大胆なマーガレットと臆病なフランクリンは一見不釣り合いなカップルだが、通常は弱点とされる互いの性格で互いを補いあって逆境を生き延びることができる。
 
 二〇世紀アメリカ作家のジョン・スタインベックは、十六世紀に到来したヨーロッパ人が新大陸の帝国(メキシコのアステカ)を滅ぼすさいに三つの武器を持っていたと語ったことがある。

 すなわち、「銃器」と「天然痘」と「宗教」だ。
 
 この小説の舞台でも、「天然痘」ではないが、「フラックス」と呼ばれる新しい伝染病が蔓延している。

 「宗教」にかんしても、フィンガー・バプテストというキリスト教原理主義のカルト集団が出てくる。

 マーガレットをはじめとする旅人たちは、「聖なる箱船(アーク)」と名づけられたこのカルト集団のコミューンで、自らの労働と引き替えに住居と食料を与えられる。

 集団の思想の根幹には、鉄への嫌悪があり、鉄がこの世に不幸をもたらすという信念がある。

 手を使った工芸、芸術、料理なども、鉄と同様に「悪」であり、十一人の「無力な紳士」と呼ばれる高潔の士たちは、「水や空気のように生きる」ことを「善」として、手をつかうことすらも忌避して、労働者たちに食事から自慰行為まですべて面倒を見てもらう。

 この小説は、9/11以後の「アメリカの崩壊」(ギンズバーグ)を題材にした寓話だ。

 『ザ・ロード』には救いはなかった。絶望的なまでに荒んだ風景の中を旅する父子にあるのは明日への夢ではなかった。

 むしろ、今を生き抜くという、ある意味で動物本能的な意志だった。

 だが、他の移民の流れに逆らって故郷に舞い戻ろうとする『隔離小屋』の男女には、なぜか明日に対する妙に楽天的な希望がある。
 
 もっとも、その希望がどこから湧いてくるのか、読者には知らされないのだが・・・。

(『週刊読書人』2010年7月23日)


ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』

2010年07月27日 | 小説
放浪詩人の書いた「21世紀文学」
ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』
越川芳明


 今年の春、ふらっと立ち寄ったトロントの書店で購入したのがロベルト・ボラーニョのスーパー・メガノベル『2666』の英訳本ペーパーバック(2009年刊)だった。

 著者紹介の欄を覗いてみれば、2003年に50才の若さで亡くなっているが、すでに何冊もの英訳本が出ているではないか。

 このたび見事な日本語訳が出た『野生の探偵たち』は、ガルシア=マルケスやコルタサルなど、中南米の一流の作家たちに贈られるロムロ・ガジェゴス賞を受賞している。日本語版は、上下二巻で900頁を超す大作だ。

 ボラーニョは1953年に南米のチリで生まれた。思春期に家族と共にメキシコに移住し、世界各地を放浪したあと、居を定めたスペインのバルセロナ郊外で亡くなっている。そうした遍歴から窺われるのは、「根なし草」の放浪癖だ。

 放浪は何かを発見するための手段というより、それ自体が人生の目的と化している。ボラーニョにとって、放浪とは詩であり、詩は放浪である。
 
 『野生の探偵たち』にも、放浪詩人ランボーに端を発し、1920年代にメキシコで起こったシュールレアリスムの前衛詩運動に愚直なまでに入れ込むグループ<はらわたリアリスト>が登場する。いわば、メキシコの「ビート世代」(アレン・ギンズバーグ、ゲーリー・スナイダー、ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズなど)ともいうべき若者たちだ。
 
 なかでも、アルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマの二人はその中心をなす。作家ボラーニョの分身ともいうべきベラーノは彼と同じチリ出身で、70年に誕生したアジェンデ民主政権を支持すべく、メキシコから自発的に革命家として赴くが、ピノチェトの軍事クーデターに遭い警察に逮捕される。たまたまピノチェトの体制に入っていたかつての級友の手引き九死に一生を得る。その後も、メキシコ北部からヨーロッパ、アフリカ各地を放浪し、ドラッグや無頼の生活のせいで、すい臓炎をはじめいくつもの内臓を患いながら、最後はアフリカで消息を絶つ。
 
 一方、相棒のウリセス・リマも、パリ、ウィーン、バルセロナ、イスラエルを放浪しているが、面白いのは、ニカラグアにメキシコ詩人の使節団の一員として出かけたときに失踪したエピソード。メキシコと中央アメリカをつなぐ川を端から端まで歩いていたらしい。彼はそのとき数え切れないほどの島を見つけたが、中でも二つの島が印象的だったという。一つは「過去の島」で、そこは退屈そのもので、想像の重みで沈みそうだった。もう一つは「未来の島」で、島人たちは攻撃的で、共食いしていた。ボラーニョの小説では、ブルース・チャトウィンを思い起こさせるそうした放浪者による<世界ヴィジョン>が、まるで熟練の手品師の妙技のように、惜しげもなく披露される。
 
 この小説は、語りの構造に特徴がある。単純に言ってしまえば、ABAのサンドイッチ形式だ。パンの部分にあたるAは「青春小説」、中身にあたるBは「政治小説」とも読める「青春小説」。二種類の小説が解け合うポストモダンのハイブリッド性が、21世紀文学の先端をゆくこの小説の妙味だ。
 
 具体的には、第一部と第三部は、フアン・ガルシア=マデーロという十七才の大学生一年生の日記形式。1975年の12月から翌年の1月の約2ヶ月にわたって、大学をサボってのメキシコ・シティの喫茶店めぐりや性のイニシエーションなどが語られるが、いわば、メキシコ版『キャッチャー・イン・ザ・ライ』ともいえる様相を呈する。
 
 貧乏学生フアンが古本屋めぐりをして、世界の文学作品を万引きするくだりが出てくる。面白いのは、盲目の女性店主に、万引きはだめよ、と釘を刺されたり、また別の店では、金がないので古本屋をまわって万引きをしていると正直に告げると、同性愛者の老店主に詩集を贈られたりする。このようなエピソードが示唆するように、ボラーニョはおそらく独学で、広範な文学的教養を獲得したのだ。
 
 一方、第二部では50人を超す証言者が登場し、それぞれの観点から自分の身の上を絡めて、二人の詩人ベラーノとリマについての情報を語る。ここの部分がこの小説の白眉だが、1976年から約20年にわたって、メキシコ、カリフォルニア、ヨーロッパ(フランス、スペイン)、中東、アフリカなどで、さまざまな階層の、さまざまな思想の持ち主による証言がなされる。オクタビオ・パスやレイナルド・アレナスをはじめ、実在・架空の詩人や作家が実名や偽名で大勢登場する。ソル・フアナを師と仰ぐフェミニスト詩人たちがマッチョな<はらわたリアリスト>に冷水を浴びせる。自己満足のロマン主義に陥らないそうしたパロディの才能が、まるで真っ暗な闇に輝く星の光のように、まぶしくきらめく。
 
 同時に、チリやニカラグアなど中南米へのアメリカ合衆国の軍事介入とか、独裁政権によって抹殺される知識人たちといったラテンアメリカ特有の問題とか、1968年のメキシコ警察・軍隊による弾圧事件(トラテルコ事件)の中で、大学のトイレに閉じこもったウルグアイ人の女性詩人のエピソードなど、中南米の「政治」のモチーフがちりばめられている。
 
 ロベルト・ボラーニョは、オクタビオ・パスなどに象徴される「権威」からは意識的に距離をおいていたので欲しがったかどうか分からないが、もし生きていれば、ノーベル文学賞の最有力候補間違いなしの文学者だ。
 
 本書は、遺作『2666』(2002年)と共に、移民が常態と化し、国境がゆらぐ21世紀の現状を扱うこれからの若い日本の作家たちが目指さねばならない作品である。村上春樹の『1Q84』などで大衆を煽ってマスターべーションをしている日本の御用学者たちが読んだら、世界の水準を知ったほうがいい。

(『図書新聞』2010年7月31日)

死者のいる風景(第二話)2

2010年07月22日 | 音楽、踊り、祭り
 十月三十一日の夜から二夜にわたって、メキシコでは「死者の日」の祭りを祝う。

 十六世紀のはじめ、エルナン・コルテスに率いられたスペイン軍がやってきて、そこから土着の先住民たちのカトリックへの改宗がはじまったが、圧倒的に異なる二つの信仰のぶつかり合いの中から生まれたものがメキシコの「死者の日」。

 七世紀からあったといわれるローマカトリック教会の万霊節(煉獄にいる死者の罪を浄めるお祭り)と、新大陸の土着の先住民たちの先祖信仰(ご先祖様が神様という発想)が合わさった、きわめてハイブリッドなイヴェントだ。

 「死者の日」には、ちょうど日本のお盆のように、先祖の霊が現世に戻ってくるので、お墓でお迎えするのである。

 パッツクアロ湖の中にぽかりと浮かぶ小さな島がハニツィオという先住民百パーセントの島だ。フェリーに乗って二十分足らずで、その島に着いてしまう。

 乗り合わせたメキシコ人の若者たち(とりわけ、女の子)が手拍子を取りながら、陽気な歌を歌って、祭りの気分は、嫌がおうにも盛り上がる。

 桟橋から墓地へとつづく狭い坂道の両側に、食堂や土産物屋が並んでいた。

 食堂に入り、そこの名物である魚の唐揚げをつまみにビールを飲んだ。

 蝶の羽の形をした漁網を使った先住民独特の漁法で捕らえられた、チャラレスという名のワカサギに似た魚だった。
 
 しかし、評判のハニツィオ島の墓地は崖っぷちにあって、意外と小さい。

 しかも、墓地に集う住民も、観光客ずれしていて、カメラを向けると、金をねだられる。

 でも、それも仕方ないかもしれない。彼らにとっては、年に一度の現金収入獲得の大チャンスなのだから。
 
 ハニツィオ島に比べて、真夜中の二時頃に行ったパカンダ島は、意外な穴場だった。

 墓地の入り口では、お年寄りたちが訪問客に酒やお茶を振る舞っていた。

 土葬の墓もただ石を置いただけの質素なものだった。

 飾り付けもロウソクとわずかな花だけで、まるで怪奇映画の一シーンを見ているかのように、幻想的な雰囲気があたり一面に漂っていた。

 昼の間に、ロドリゴに連れられてフェリーの艀のあたりを歩いていると、季節はずれの蝶々が舞っていた。

 「俺たちにとって、蝶は先祖の魂なんだよ」と、ロドリゴが言った。

 それから、黄色いマリゴールドで飾りづけた得体の知れない四角いやぐらを指さした。「その飾りつけも、帰ってくる先祖たちのための目印なんだ」
(『Spectator』2010年7月21日 )

「死者」のいる風景(第二話)

2010年07月21日 | 小説
「死者」のいる風景(第二話)メキシコ・パッツクアロ
越川芳明   

 メキシコシティから北西に長距離バスで七、八時間ほどいったミチョアカン州に、おびただしい数の蝶が冬の寒い時期に木にへばりついて越冬するする森があるという。

 渡り鳥ではない、蝶である。

 帝王(モナーク)と名付けられたマダラ蝶たちは、毎年春になると、中央メキシコの森の中から旅立ち、国境地帯のサンディエゴの上空を通りすぎて、北のカナダのほうまで何千キロにもわたって旅をする。

 彼らの寿命はたったの三、四週間と短い。だから、旅をしながら空中で交尾して、葉の上に卵を産む。

 生をうけた子供たちは陸上競技のリレー選手のように、血族のバトンをつないで旅をつづける。

 秋になると、今度は三、四世代若い蝶たちが祖先の越冬した森の木のもとへと戻ってくる。
 
 そんな渡り蝶たちの故郷の近くに、パッツクアロという小さな町がある。

 両脇にぎっしりと小さな家がたち並び、車が一台通れるかどうかの狭い坂道が迷路のように入り組んでいる。

 丘の頂上に修道院を改造したホテルがあり、レストランの大きな窓から下のほうを見ると、家々の日干しレンガ造りの屋根が、まるでイタリアのフィレンツェのそれのように、鮮やかなピンク色に栄える。

 僕は、ある夏に訪れて、町の素朴な雰囲気が気に入った。

 その町で知り合ったプロの観光ガイドのロドリゴが、秋風の吹く頃に祝うと教えてくれた「死者の日」の祭りにも出かけてみた。(つづく)
 
 

辺野古(4)

2010年07月17日 | 小説
辺野古崎につくと、ドックの近くにバイクを停めました。

ドックには、ちいさな漁船が数艘、まるで飼い犬みたいにおとなしく、つないでありました。

漁船のわきで、祝日で学校が休みの少年たちが、まるで曲芸師みたいに巧みに水の中に飛び込んでいました。

その向こうに、座り込みのテント村が見えましたが、なぜか怖じ気づいてしまいました。

ただの「観光客」が物見遊山で、訪ねていいものかどうか。

逡巡しました。



反対側を見ると、ドックを囲っている遠くのコンクリート壁の先端に、海の神様をまつった神社が見えました。

船が出ていくたびに、それを見守る位置にあります。

そちらのほうにも、別の少年の一団が歩いて行きます。

神社の裏のほうにも、きっとダイブに格好の場所があるに違いありません。

そのうち、雨が強くなってきました。



漁協の建物の空洞になった一階部分に逃げ込んで、雨宿りをすることにしました。

自動販売機でジュースを買って、乾いたのどを潤しました。

考えていましたーーー。

テント村に行っては失礼なのではないか。



その場には、ビーチカウチに座って海を眺めている老人が一人いました。

天気悪いですね。そう話しかけました、が・・・

会話が弾むような返事はありません。









辺野古(3)

2010年07月12日 | 音楽、踊り、祭り
 先月、辺野古へ行ってきましたが、沖縄行きの本当の目的は他にありました。

 6月23日の「慰霊の日」の夕方に、那覇市の県立博物館でおこなわれたシンポジウム「骨からの戦世」を聞くためでした。

 今年は戦後65年ですが、目取真俊の『沖縄戦後ゼロ年』(NHKブックス)にならっていえば、沖縄では、基地問題をはじめとして、「戦争」は終わっていません。

 沖縄戦をめぐって、比嘉豊光さん(写真家)の撮った骨の写真や動画を見たい、さらに、詩人の高良勉さんをはじめとする沖縄人の論客の語る言葉を聞きたい、と思ったのです。

 最近、那覇の近郊から出てきた骨というのは、沖縄人のそれではなく、日本兵の骨だということが分かりました。

 本土からやってきた日本兵は、米軍が侵攻してきて、いざというときに沖縄人を守りませんでした。

 一般の沖縄人は、洞窟(ガマ)に逃げ込み、米兵に捕まるとレイプされたり殺されするから自害(集団自決)するように示唆していました。

 あるいは、家族や親戚を日本兵によって「スパイ」扱いを受けて殺された沖縄人がいました。

 だから、日本兵の骨に対しては、沖縄戦で犠牲になった沖縄の住民の骨とは違った、微妙で複雑な感慨が沖縄人のあいだにあるはずです。

 それでは、本土に住む日本人である僕たちは、その骨に対して、どういう感慨を抱くのか。

 今秋、明治大学(お茶の水)で、比嘉豊光さんを呼び、映像と講演、シンポジウムを行なおうと思っています。

 具体的なプログラムはのちほどお知らせします。

 沖縄では、宜野湾の佐喜眞美術館で、「骨からの戦世ー65年目の沖縄戦 比嘉豊光展」(8月11日~23日まで)が開かれるようです。

 また同会場で、講演とシンポジウム「「骨」をめぐる思考」(8月15日14時より)、土屋誠一、豊島重之、北村毅、西谷修、屋嘉比収などの講師によって、おこなわれるようです。

 

 

田中慎弥『実験』

2010年07月11日 | 小説
「海峡の街」のグロテスクな寓話
 田中慎弥『実験』
越川芳明     


 三編の中・短編からなるこの作品集は、三島由紀夫賞を受賞した作品集『切れた鎖』と同様、海峡の街を舞台にしている。

 小説の中の海峡は、両義的に描かれている。住民を閉じ込める檻のような装置であると同時に、解放への道にもなりうるというように。
 
 表題作「実験」は、三十代後半の、ややマンネリに陥っている「小説家」を語り手にした一人称小説。

「赤間関」という「海峡の街」は、丘によって南北に仕切られ、その間にトンネルがある。

 丘の南側の「海辺の街」のほうは明るく、戦前から漁業と海運業が盛んだったが、いまは下火で人口も減る一方だ。

「私」は、こちら側に住んでいる。

 一方、トンネルをくぐった丘の北側は、いわば新興住宅地だが、「私」にとって、「なんとなく息苦しくなる」ところである。

 「人間が暮しているという理由で暗く沈み込んでゆくかのような風景に、いつまでも違和感がある」(22)

 事件は「赤茶色の屋根瓦」に象徴される新興住宅地で起きる。

 「事件」といっても、家庭内のことだから、他人にはなかなか分からない。

 それを、この小説は追求している。

 「私」には、小学生の頃から、母親同士が親しいということで、ただ惰性で付き合ってきた三田春男という二歳年下の男がいたが、先頃、この男がうつ病で精神科に通院するようになり、面会に行ってほしい、と頼まれる。

 春男は小さい頃から図体が大きく、「巨大なコロッケを首に突き刺した感じ」であり、彼の両親は、めんどうを押しつける「怪物」に映る。

 これは、まるでお化け屋敷にある凹凸がゆがんだ鏡みたいに、微細な部分を過度に誇張して大きくふくらました「グロテスクなユーモア」の一例だ。
 
 春男が両親の性の営みを見てしまったと打ち明けるシーンも何やら怪しい。

 春男によれば、彼が階段を下りてきたとき、外から選挙カーで、立候補者が(舞台が山口県なので地元長州の先人)吉田松陰や高杉晋作の名前を連呼しているのが聞こえ、また一階の居間からは「豚の鳴き声」が聞こえてきたという。

 春男はいうーー
 「ドアを開けた。ソファーの上で吉田松陰と高杉晋作が重なってた。二人の体は複雑に絡まり合ってて、服は着たままだけど、手とか足とか頭が相手の体の奥までめり込んでる感じだった。下になってた高杉が先に気づいて、促された松陰も振り返った。豚の声はやんでた」(69)
 
 エドガー・アラン・ポーの短編「黒猫」みたいに、「私」自身が「信頼できない語り手」であるだけでなく、春男やその両親もそうなので、とくに会話の場面では、読者はそこら中にゆがんだ鏡を張りめぐらされた部屋にいるかのように、グロテスクな気味の悪さを楽しむことができる。
 
 しかし、本当に気味が悪いのは、「私」の創作への執着である。

 「手応え」のある小説を書くためには人間の生命を「殺めて」も仕方ないという、倒錯した「悪意」が見られる。

 うつ病の男を主人公にした新しい小説のために、春男を「実験」材料にする覚悟を決め、自殺をふせぐためにいってはいけない言葉をあえていうなど、「四肢を固定した鼠に通電する気分」(58)で、次々と実験を試みるのだ。
 
 

 もう一つの中編「週末の葬儀」もまた「赤間関」のニュータウンを舞台にしている。

 主人公の飯田公蔵は、長引く不況のせいでデパートの外商を五十五歳で辞めさせられ、一週間ほどぶらぶらしている。

 妻とは五年前に離婚していて、二人いる子供は妻が連れて行き、いま妻子は対岸の北九州に住む。ニュータウンは安らぎの場所ではない。

 「住んでみると、海といっても海峡だから、望洋とした眺めとはゆかなかった。海を挟んで北九州の海岸が、柵のようにめぐっていた」(126)
 
 これは、会社勤めを辞めて非日常的な生活をするようになって初めて、主人公がいままでの日常生活の異常さに気づき、精神に失調をきたしてくるという寓話だ。

 カフカふうの「グロテスクなユーモア」が、「海峡」の自然現象の描写によってしめされる。

 つまり、海風がすさまじく、雨は斜めに降る。とりわけ、砂と錆(塩分)に象徴される「外敵」によって、飯田公蔵の精神と生活は次第に崩壊しかける。
 
 朝に作ったおかずの中に砂のジャリッとした感触を感じたのがはじめだった。「一口一口用心しながら、砂がないかと恐れているのに、まるで砂を望んでいるみたいにじっくりと噛んでいった」(142)

 畳の部屋を掃除すれば、「埃と一緒に砂が、ホースの内側にパチパチとぶつかりながら吸い込まれた」(148)

 車を車庫から出そうとすれば、「砂粒のうちの大きいものが押し潰されたり弾き飛ばされたりする音がした。

 走り始めると、細かい砂粒の上をタイヤが転がってゆくめりめりという響きが続いた。砂埃が舞い上がった」(156)
 
 
 
 二年前に川端康成賞を受賞した「蛹」は、母の死骸に涙し、集団ですばしこく動く蟻や、地鳴りを起こしながら動く蛇にびくびくするかぶと虫の幼虫の視点で描かれたユニークな小説だったが、同様に異色なのは「汽笛」という短編である。
 
 この小説で、「海峡」は、どうやらこの世とあの世の狭間を意味している。

 「私」は、波止場に係留中の大きな貨物船に乗り込むが、それは亡くなった者たちをあの世へと運ぶための船である。

 「私」はマンションから飛び降りたようだが、他に、紫色のワンピースを着た、特急電車に飛び込んだという六十代の女性や、首つり自殺をしたという中学生ぐらいの女の子二人などが一緒に船に乗り込む。

 五十代ぐらいのスーツを着た男も搭乗しようとするが、生者なので断られる。「生者」から「死者」へ移行中の魂の浮遊を記述しようとした寓話だといえよう。
 
 田中慎弥は、大江健三郎の「森」や中上健次の「路地」のみならず、遠くガルシア=マルケスの「マコンドの村」やフォークナーの「ヨクナパトーファ郡」などに匹敵するような小説のトポスとしての「海峡の街」を、この作品集でさらに強靱に築きあげつつある。

 注目すべき作家だ。

(『文学界』2010年8月号234-235頁)

辺野古(2)

2010年07月07日 | 小説
(写真は、辺野古のちかく、299号線の路上に咲いていた黄色い「ハイビスカス」)

6月23日の「慰霊の日」ですが、いつものことのように、那覇から南の糸満(ひめゆり記念館などがある)へ向かう道路は、朝から大渋滞だったようです。

僕は、午前中にホテルで締めきりの原稿(メキシコの作家の翻訳書について)を書いて、お昼前にバイクを借りて、辺野古まで北へぶっ飛ばしました。

・・・といっても、50CCなので、限界はありますが(笑)。。。


沖縄本島の西海岸に58号線が走っていますが、今回は、東海岸を行くことにしました。

普天間基地のちかく、北中城(きたなかぐすく)あたりの交差点で、先頭で信号待ちをしていると、もう一台、小さなバイクが僕の横につきました。


ヘルメットをかぶった顔をそちらに向けると、黒いシャツを着た、20代前半と思われる青年でした。

ちょっこと頭を下げて「こんにちは」と、笑顔で挨拶されました。

僕は「天気よくないね」と、語りかけました。

青年は僕を地元の人だと思ったらしく、「那覇からやってきました」



これから長旅であるような口ぶりでした。

僕は「気をつつけて!」と、父親(おやじ)みたいな気分になって言いました。

実際、そんな年の差でした。

「馬鹿みたいだけど、こんなバイクで名護まで行くんだよ」と、言おうと思いましたが、すでに信号は青になっていました。


沖縄市(コザ)を抜けてから、330号線から299号線に入り、石川、金武あたりを走っているときに、ちょっと空模様が怪しくなり、ぱらぱらと雨が降ってきました。

めがねに雨水をしたたらせながら、なんとか辺野古崎までたどり着きました。



最初、幹線道路をはずれて辺野古の村に迷いこんだとき、戦前の「昭和の世界」にワープしたような錯覚に陥りました。

住宅地に、廃れたような小さなスナックや飲み屋の建物が、まるで蜂の巣みたいに乱立していましたが、外には人っ子ひとりいませんでした。

そのとき、僕は廃墟をイメージしましたが、夜は米兵相手の不夜城なのでしょうか。

そこから、下の崖のほうを覗くと、小さな港が見えたので、ぐるりと迂回して、港まで降りていきました。








高橋源一郎『「悪」と戦う』

2010年07月05日 | 小説
「悪」って何だ?――追求される言葉の多義性 
 高橋源一郎『「悪」と戦う』
 
越川芳明

 「悪」と戦うのは、昔から「正義」に決まっている。西部劇だって、チャンバラ映画だって、お子様向けのアニメだって、「正義」が「悪」をやっつけるのだ。

  戦争好きだった前のアメリカ大統領だって、「アメリカにつくのか、それともテロリストにつくのか、いずれか決めよ」といって、自分は「正義」の顔をしていた。

 でも、「悪」って何だろう? ひょっとしたら、「正義」の人ために、「悪」が作られるのではないのか。

 「大人のための童話」ともいうべきこの作品の、タイトルが素晴らしい。高橋源一郎のセンスが出ている。

 「と」という語に、日本語独特の曖昧さが込められている。

 この「と」を英語に訳すとしたら、against the ‘Evil’ (「悪」と対決して)なのか、それとも with the ‘Evil’(「悪」と一緒に)なのか? 

 日本語の「と」は、まったく反対の意味を一度にしめすことができるのだ。
 
 それから、括弧つきの「悪」である。

 語り手「わたし」の上の息子、三歳児のランちゃんは、弟のキイちゃんや公園で一緒に遊ぶミアちゃんと一緒に、ある一線を越えて通常は行けそうにない領域に侵入し、そこで悪を括弧でくくらねばならなくなるような体験をする。

 夢か現か分からないある境界領域でランちゃんは中学生だったり高校生だったりするが、あるとき「殺し屋」をしている彼は、シロクマをはじめとして、いろいろな動物から、彼らを虐待してきた人類に対して「罰」を与えてほしいと依頼される。

 しかし、罪に見合うだけの罰を与えることはためらわれる。

 「ねえ、もしかしたら、「悪」の方が正しいじゃないかって、ちょっとだけぼくには思えたよ、マホさん。だったら、ぼくは、正しい「悪」をやっつけちゃったのかもしれない。じゃあ、ぼくの方が、ほんものの「悪」じゃん! 違うのかなあ、マホさん。」(270頁)
 
 ランちゃんはそこで、世界の奥行きを知る体験をして、本来いるべきところに帰還を果たす。

 世界の奥行きとは、語り手の「わたし」によれば、「この世の中には、わからないことがたくさんある――わたしにわかっているのは、それだけでした」(72)ということだ。
 
 政治の世界は、言葉で決めつける。それをプロパガンダという。

 文学の世界は言葉の多義性を追求する。それは、一見非政治的な行為に思えるかもしれないが、実は、「いずれかに決めよ」というプロパガンダの声に対峙する、きわめて「革命的な」行為なのだ。
(『すばる』2010年8月号、318頁)