「地下生活者」のユーモアをスパイスに
映画『ルイーサ』
越川芳明
ブエノスアイレスを舞台にした映画だけど、アルベルト・ヒナステラのクラシックやアストル・ピアソラのアルゼンチン・タンゴはちっとも出てこない。
ギターやバイオリンやカホンなどからなる混成バンドがサウンドトラックを担当し、カホンがリズムを刻むアップテンポのコンテンポラリーな音楽が流れる。
そこに懐古的で感傷的なメンタリティに陥ることをよしとしない、この映画の決然とした主張が隠れている。
冒頭のシーンに注目しよう。夫と娘を失い、猫のティノだけを伴侶とするルイーサは、毎日決まった時刻に起きて、いつも通りに紺のスーツに白いタートルネックを着る。
寝ているときにも、腕時計を外さないその姿は、几帳面な性格というより、決まったレールからいったん外れたら、そのまま自堕落な生活を送ることになってしまうかもしれない、といった彼女の不安を浮き彫りにしている。
彼女は猫と軽い朝食を摂ったあと、いつもの定刻にバスに乗り、勤め先である霊園のオフィスに行く。
ギターの暗いマイナー調のメロディーが彼女の内面を表現する。
彼女は、自分がおかれている状況と向き合うことを恐れているようだ。
精神的には死んだも同然で、毎朝乗る黒い四角いバスは、まるで彼女を墓場まで運ぶ巨大な棺桶のようだ。
この映画のすばらしさは、そんな死んだ人間が生き返る奇跡のプロセスを描いたところにある。
奇跡の物語とはいえ、ただのファンタジーではない。
映画の背後には、絶えず経済的に不安的な社会を作り出すアルゼンチン政府への隠れた風刺が窺われる。
死んだ愛猫を「火葬」するための費用が三百ペソもかかるというのに、ルイーサは三十年近く勤めた霊園を突然クビになり、賃金も不払いで、退職金もたったの二十ペソしかもらえない。
九〇年代、メネム政権が採用した民営化・自由主義路線は、インフレに悩まされていたアルゼンチン経済を安定させたものの、外貨(ドル)に依存する体質が蔓延。
結局、アルゼンチンは国際的な経済危機の波をもろにかぶり、ふたたびインフレに襲われる。
新世紀に入っても事態は好転せず、二〇〇二年半ばに失業率は二十五パーセントにも達し、また賃金も戦後最低を記録する。
そんな中でしたたかに生きる底辺の人々へのまなざしがこの映画に流れている。
ルイーサが生まれて初めて地下鉄に乗るとき、人生の転機が訪れる。
彼女にとって地下鉄は恐ろしい異世界だ。
だが、地下の通路でさまざまな物売りに出くわすと、彼女の顔は好奇に満ちて、まるで初めてお祭りの夜店に連れていってもらった子供のように、みるみる輝いてくる。
ルイーサを演じたレオノール・マンソの演技は見事というほかない。
車両の中でも、物売りや物乞いに出会い、たくましく金を稼いでいる庶民の姿を発見する。
霊園の二代目社長マリアティは、携帯電話にかかってきた外国人の商談相手にぺらぺらと英語でしゃべる。
ルイーサに対しても、「近代化をはかる」だの「ブランドを刷新する」だの「ノーハウが必要」だのといった御託を並べた上で、微々たる退職金でクビを宣告する。
政府の市場開放政策に乗っかることができる「勝ち組」だ。
また、ルイーサが霊園の仕事を終えてから、秘書として仕える元女優のクリスティーナ・ゴンサレスも、地上の「勝ち組」だ。
しかし、この映画は、地下にもそれとは別の意味の「勝ち組」が存在することを知らしめる。
文字通り「地下生活者」というべきオラシオと会って、初めてルイーサはそのことに気づく。
彼は片足を失った身体障害者であり、毎朝地下鉄の駅の決まった通路で物乞いをしている。
だが、彼には健常者に施しの機会を提供してやるんだという発想がある。彼は通行人に向かって、金をよこせ!と怒鳴る。
そして、ルイーサに金を稼ぐ秘訣を披露する。
「ここは最低の場所だ。誰もこんな悲惨な姿なんか見たがらない。だから、見せてやるんだ。罪悪感から金を出す負け犬どもに!」
老人の孤独や死、不況など、映画の主題は暗く重たい。
七回ほど挿入されるシュールな夢のシーンについても、亡くなった夫や娘が出てくる楽しい夢は一回限りで、あとはゴシップ好きの隣の老女、霊園の社長などが登場し、夫や娘が出てきても、彼女を問いつめる悪夢のシーンだ。
にもかかわらず、この映画は見る者を暗い気持ちにさせない。
人生ですべてを失ったと愚痴をいうルイーサに「まだ足が残っている」とあっさり応じるオラシオと同様、この映画が、絶望的な状況を笑いのめすユーモアを備えているからだ。
パタゴニア産の牛肉と偽ってビニールに包んだ猫の死骸を管理人の冷凍庫に入れさせてもらったり、元女優のマンションのテラスにあるゴミ焼却機で愛猫を「火葬」したりするといったシーンに漂うグロテスクなユーモアもある。
だが、こうしたユーモアは、ルイーサのように貧困や孤独で希望を失っている人々に生きる勇気を与える、この映画の良きスパイスなのである。
(『すばる』2010年10月号308-309頁)
配給元のアクション・インクのHP(ラテン、ラテン)には、以下のようなメーセージがありました。
みなさま、ご無沙汰してしましました。
いやはや、色々な楽しいことを考えようと、
皆さま、巻き込み、東奔西走。
そして、ついに!決定しました。
ドン底から立ち上がる「ルイーサ」公開記念
食べて、飲んで、語り合う
ラテンなガールズ・ナイト!
参加資格:20歳以上のラテンなガールズ(って、私が言うなよ!)
日時:2010年10月13日(水)19:00 オープン
19:30 - 21:30
場所:西麻布COHIBA ATOMOSPHERE(コイーバ・アトモスフィア)
料金:ご予約(先着60名様)2,500円 当日 3,000円
アルゼンチンおつまみプレート+デザート
アルゼンチンワイン1杯付き
ご予約: luisa@action-inc.co.jp
(メールのみですみません!締め切り10/11 19:00)
トークゲスト:(実はラテンな)東ちづるさんほか
ただ今、企画中(詳細決定次第お知らせします=)
パリーリャ(アルゼンチン式炭焼きBBQ)ひと皿500円とか
アルゼンチンワイン、マテ茶の試飲即売などなど
ひとりで参加できるパーティ目指して、
おひとり様、大歓迎!
映画『ルイーサ』
越川芳明
ブエノスアイレスを舞台にした映画だけど、アルベルト・ヒナステラのクラシックやアストル・ピアソラのアルゼンチン・タンゴはちっとも出てこない。
ギターやバイオリンやカホンなどからなる混成バンドがサウンドトラックを担当し、カホンがリズムを刻むアップテンポのコンテンポラリーな音楽が流れる。
そこに懐古的で感傷的なメンタリティに陥ることをよしとしない、この映画の決然とした主張が隠れている。
冒頭のシーンに注目しよう。夫と娘を失い、猫のティノだけを伴侶とするルイーサは、毎日決まった時刻に起きて、いつも通りに紺のスーツに白いタートルネックを着る。
寝ているときにも、腕時計を外さないその姿は、几帳面な性格というより、決まったレールからいったん外れたら、そのまま自堕落な生活を送ることになってしまうかもしれない、といった彼女の不安を浮き彫りにしている。
彼女は猫と軽い朝食を摂ったあと、いつもの定刻にバスに乗り、勤め先である霊園のオフィスに行く。
ギターの暗いマイナー調のメロディーが彼女の内面を表現する。
彼女は、自分がおかれている状況と向き合うことを恐れているようだ。
精神的には死んだも同然で、毎朝乗る黒い四角いバスは、まるで彼女を墓場まで運ぶ巨大な棺桶のようだ。
この映画のすばらしさは、そんな死んだ人間が生き返る奇跡のプロセスを描いたところにある。
奇跡の物語とはいえ、ただのファンタジーではない。
映画の背後には、絶えず経済的に不安的な社会を作り出すアルゼンチン政府への隠れた風刺が窺われる。
死んだ愛猫を「火葬」するための費用が三百ペソもかかるというのに、ルイーサは三十年近く勤めた霊園を突然クビになり、賃金も不払いで、退職金もたったの二十ペソしかもらえない。
九〇年代、メネム政権が採用した民営化・自由主義路線は、インフレに悩まされていたアルゼンチン経済を安定させたものの、外貨(ドル)に依存する体質が蔓延。
結局、アルゼンチンは国際的な経済危機の波をもろにかぶり、ふたたびインフレに襲われる。
新世紀に入っても事態は好転せず、二〇〇二年半ばに失業率は二十五パーセントにも達し、また賃金も戦後最低を記録する。
そんな中でしたたかに生きる底辺の人々へのまなざしがこの映画に流れている。
ルイーサが生まれて初めて地下鉄に乗るとき、人生の転機が訪れる。
彼女にとって地下鉄は恐ろしい異世界だ。
だが、地下の通路でさまざまな物売りに出くわすと、彼女の顔は好奇に満ちて、まるで初めてお祭りの夜店に連れていってもらった子供のように、みるみる輝いてくる。
ルイーサを演じたレオノール・マンソの演技は見事というほかない。
車両の中でも、物売りや物乞いに出会い、たくましく金を稼いでいる庶民の姿を発見する。
霊園の二代目社長マリアティは、携帯電話にかかってきた外国人の商談相手にぺらぺらと英語でしゃべる。
ルイーサに対しても、「近代化をはかる」だの「ブランドを刷新する」だの「ノーハウが必要」だのといった御託を並べた上で、微々たる退職金でクビを宣告する。
政府の市場開放政策に乗っかることができる「勝ち組」だ。
また、ルイーサが霊園の仕事を終えてから、秘書として仕える元女優のクリスティーナ・ゴンサレスも、地上の「勝ち組」だ。
しかし、この映画は、地下にもそれとは別の意味の「勝ち組」が存在することを知らしめる。
文字通り「地下生活者」というべきオラシオと会って、初めてルイーサはそのことに気づく。
彼は片足を失った身体障害者であり、毎朝地下鉄の駅の決まった通路で物乞いをしている。
だが、彼には健常者に施しの機会を提供してやるんだという発想がある。彼は通行人に向かって、金をよこせ!と怒鳴る。
そして、ルイーサに金を稼ぐ秘訣を披露する。
「ここは最低の場所だ。誰もこんな悲惨な姿なんか見たがらない。だから、見せてやるんだ。罪悪感から金を出す負け犬どもに!」
老人の孤独や死、不況など、映画の主題は暗く重たい。
七回ほど挿入されるシュールな夢のシーンについても、亡くなった夫や娘が出てくる楽しい夢は一回限りで、あとはゴシップ好きの隣の老女、霊園の社長などが登場し、夫や娘が出てきても、彼女を問いつめる悪夢のシーンだ。
にもかかわらず、この映画は見る者を暗い気持ちにさせない。
人生ですべてを失ったと愚痴をいうルイーサに「まだ足が残っている」とあっさり応じるオラシオと同様、この映画が、絶望的な状況を笑いのめすユーモアを備えているからだ。
パタゴニア産の牛肉と偽ってビニールに包んだ猫の死骸を管理人の冷凍庫に入れさせてもらったり、元女優のマンションのテラスにあるゴミ焼却機で愛猫を「火葬」したりするといったシーンに漂うグロテスクなユーモアもある。
だが、こうしたユーモアは、ルイーサのように貧困や孤独で希望を失っている人々に生きる勇気を与える、この映画の良きスパイスなのである。
(『すばる』2010年10月号308-309頁)
配給元のアクション・インクのHP(ラテン、ラテン)には、以下のようなメーセージがありました。
みなさま、ご無沙汰してしましました。
いやはや、色々な楽しいことを考えようと、
皆さま、巻き込み、東奔西走。
そして、ついに!決定しました。
ドン底から立ち上がる「ルイーサ」公開記念
食べて、飲んで、語り合う
ラテンなガールズ・ナイト!
参加資格:20歳以上のラテンなガールズ(って、私が言うなよ!)
日時:2010年10月13日(水)19:00 オープン
19:30 - 21:30
場所:西麻布COHIBA ATOMOSPHERE(コイーバ・アトモスフィア)
料金:ご予約(先着60名様)2,500円 当日 3,000円
アルゼンチンおつまみプレート+デザート
アルゼンチンワイン1杯付き
ご予約: luisa@action-inc.co.jp
(メールのみですみません!締め切り10/11 19:00)
トークゲスト:(実はラテンな)東ちづるさんほか
ただ今、企画中(詳細決定次第お知らせします=)
パリーリャ(アルゼンチン式炭焼きBBQ)ひと皿500円とか
アルゼンチンワイン、マテ茶の試飲即売などなど
ひとりで参加できるパーティ目指して、
おひとり様、大歓迎!