夕月夜乙女の歯の波寄する 欣一
font>乙女は沖縄の言葉では【みやらび】と読む。名護の海岸での句で、昭和四十九年『沖縄吟遊集』に収録された。欣一は復帰前の沖縄に赴き、約四十日間滞在して沖縄各地の名所旧跡や行事を見物した。句集を出すまで五年を要した労作である。
自解によれば、「海の白波は乙女の歯にたぐえられ、美人の形容になっている。健康な美的感覚。沖縄の月は明るい。月下の波の穂の鮮やかな白さ」とある。同収録に〈鎮魂へなぎさを素足にて歩み〉〈月光に魚泳ぐ見ゆ盆の海〉などがある。『沖縄吟遊集』は沖縄戦で亡くなった多くの沖縄の人々への鎮魂歌であり、また幾多の修羅場を潜り、戦い続けた人達への感銘と賛美でもあろう。
『沢木欣一の世界』山田春生著より概略を引用すると、
「昭和四十三年七月下旬より約一ヶ月間、沖縄夏季認定講習会の講師として文部省より派遣され、沖縄本島に滞在した。(中略)余暇を利用して本島の風物に触れることが出来た。本句集は、その間の印象を素材にしたものである。短い期間であったが、種々の沖縄は日本の縮図であり、故郷であるという念を強く抱いた。」
と述べ、また欣一の「沖縄には歴史的には日本文化の源流みたいなところもあるからね」という言葉を紹介している。
欣一は沖縄に関心を持ち、講師として派遣される前にかなり沖縄の歴史を勉強したようだ。更に句を紹介すると〈ことごく珊瑚砲火に亡びたり〉〈赤土(あかんちゃ)に夏草戦闘機の迷彩〉〈日盛りのコザ街ガムを踏んづけぬ〉などがある。
後日になるが、欣一は「かなりの句は即興であるが、フィクションが多い。幻想といってもよい。狭く貧しいものであろうとも、これは私の沖縄解釈の試みであった」と、俳誌『風』で述べている。『沖縄吟遊集』はまさに社会性俳句の真骨頂であった。
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