秋の暮大魚の骨を海が引く 三鬼
昭和三十五年六十歳の作で、句集『変身』に発表された。晩年に、三鬼の住んだ葉山周辺の海岸に題材を得た句。中年意識も遠ざかり死を意識する年齢となり、少し痩せた自身の境涯を重ねて感慨深い句となった。
その状況を想像してみよう。波打ち際をみていると魚の骨を波が洗っている。その骨は段々大きくなってゆき、三鬼は思わず自分が波に曳かれ攫われてゆくような錯覚に陥った。三鬼はいつの間にか身も心もそれだけ軽くなっていたのだ。季節は秋。三鬼の一生も移ろいつつ確実に秋から冬に向かっていた。
しかし句心は俳句を始めた三十代に戻ったような瑞々しさを彷彿させるような印象を与える。三鬼が好んでモチーフにした、「魚」「海」が見事に一句をなし、この句で三鬼らしさを回帰できたようだ。〈五月の海へ手垂れ足垂れ誕生日〉〈海から誕生光る水着に肉つまり〉などがあるが、これらは、三鬼の本領発揮と言ってよい句である。
平畑静塔はこの〈秋の暮〉の句に対して、「俳句」昭和三十七年五月号で「これは既に腹中に癌の卵が発生しつつあったとおぼしい時の作品だ。確かに葉山人種が食膳に上した魚骨ではない。前世紀の巨大魚族の風化骨だ。それを海そのものが『来いよ来いよ』とさそいこむのだから天地創世記時代の詩だし、原始人間となった三鬼の描いた一つのスペクタクルである」と述べている。「天地創世記時代の詩」など過大表現ぎみだが参考になろう。
また飴山實は「この句は、実存の追及によって遂に原始にかえり、そこから抽象へ飛躍した」とするが、眼前の魚は骨ばかりの実在だ。骨になった魚はすでに死を超越した存在で、肉体は海に同化し新たな生命の誕生の微粒子と化した。そうした意味で死は生への新たな出発である。三鬼は死を意識しながらも膿に自己再生の夢を見たのかも知れない。この句作の二年後の春、三鬼の肉体は喪失したが、女好きで、ニヒルでダンディな魂は依然天国の渚で揺籃を楽しんでいるようだ。
俳誌『鴎座』2016年6月号より転載
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