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尾崎放哉の句鑑賞《うしろから煙がでだした》    高橋透水

2014年10月06日 | 俳句・短歌・評論・俳句誌・俳句の歴史
春の山のうしろから煙がでだした    放哉

 枕頭の紙切れに書かれていた最後の句という。いわば「絶句」に当る。
 あれほど海に憧れ、海に近い「南郷庵」を終の栖にと小豆島に辿りついた放哉だったが、胸の奥にあった情景が「春の山」であった。
 これは死を迎え、夢うつつに見た懐かしい故郷の山々ではなかったろうか。放哉は鳥取県邑美郡吉方町に生まれている。煙は少年時代に仲間とした野焼きの「けむり」を思い出したのか。さらに放哉には春の山に思い入れがあるようだ。十六歳頃の文があるので、紹介したい。
  「山、と云ふと、僕はすぐに春の山、と云ふ連想を起すのである。『春の山重なりあひて皆まるく』と云ふ子規の句がある、がすべてかわいらしい、やさしい、おだやかな、等の平和的の文字文句は、皆此春の山にそゝがれて居るではないか、(中略)山と云ふと僕はすぐ春の山を思ひだすのである、春の山ありて山がないのである、嗚呼春の山春の山」
 完成した文とはいえないが、放哉の「春の山」への拘りが伝わってくる。死を願いつつも、小年時代にいつも見、遊んで過ごした故郷の山々が脳裏から離れなかったのだろう。
 この句作の数日後の大正15年の四月七日、放哉は合併症湿性気管支加答児で、この世を去った。享年四十一歳だった。家族を捨て死だけを願った放哉に、暖かく接してくれた小豆島の人々がいた。それは放哉にとって、故郷の「春の山」以上にやさしく、おだやかで、暖かいものだったろう。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-08-14 17:55:48
5年以上も前の投稿に対してすみません。

>いわば「絶句」に当る。
私の知っている絶句は漢詩なのですが、俳句だとどういうものが絶句になるのですか?
返信する
俳句の絶句とは (高橋透水)
2020-08-15 09:18:16
尾崎放哉の絶句について
俳句における絶句とは、漢詩の絶句とは全く異なります。絶筆という言葉がありますが、それに近いものでしょうか。辞世句とも違います。
ちちなみに
正岡子規の絶筆三句は       
  糸瓜咲て痰のつまりし佛かな
  痰一斗糸瓜の水も間に合はず
  をとゝひのへちまの水も取らざりき

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