私がなんとかピアノを弾けるようになったのが 40数年前 30歳内外である
会社の倉庫の隅に置かれた足踏みオルガン これを悪戦苦闘して弾いて見た
鍵盤に右手 左手 これが自分の指なのに上手くいかず 加えて足を踏んでいないと音が出ない
誰かに教えて貰うにも相手が居ない ピアノ教室が街にもあるが 他人に教わるのが嫌だ
パソコンも中国語も 自己流で覚えてきた ピアノなんて初心者は音階をただ弾くなんて面白くも無い
と言うことで どうやら曲になりつつあるとき 同じ会社の仲間に呼びかけてバンドを作った
現在のメンバーのギター 彼はすでにロックバンドで他でも活躍していた
同じくベースギター 彼はハワイアンバンドで当時はあの大きなウッドベースを弾いて居て格好が良かった
ドラムは私と同じ素人が来た ドラムセットも会社の隅に眠っていたのである
どうやらバンドらしくなった しかし ピアノでは無く オルガンとギター ベース ドラムの組み合わせだ
私の腕前は素人の域を出ず それでも 会社の中で飲み会などがあれば呼ばれて演奏した
どちらかと言うと 当時から 演歌が主流で 飲みながら歌うスタイルの伴奏であった
会社の文化部に入れば 補助金が下りる これに申請しよう
演歌の伴奏では格好が悪い 軽音楽部の名前で許可されて 部室まで手に入れた
どちらかと言うと ごり押しで 社内行事に参加するからと 確保したに過ぎない
この部室は会社内にあるため便利だった 仕事が終わればメンバーが集まってくる
歌を歌いたい仲間が大勢 バンドの後援会の名義で 集まり 生協より仕入れた酒とつまみで飲む
こうして 私の腕前も徐々に上がっていった
30数年前 八王子の老人ホームまで年に1度出掛けた
老人ホームの方たち 生バンドは当時は珍しく 生きていてよかったと大喜び
会社の協力も得て 月一回 金曜日パブ 飲み物つまみは生協担当
今では都市開発で当時の面影も無い 豊洲で夏は毎年数回のビアガーデン
健康ランドに出演 お客様は有料で歌う
中野区 鍋屋横丁夏祭りへ出演
クラツーの本社では 私の企画で 生バンドでうたごえ
一昨年 石川島工業高校同窓会での演奏
社内の活動だけでなく 街の要望があれば 夜や休日に出かけて演奏する
老人会や当時は介護施設は無いから 病院 老人ホーム 町内の納涼祭など どこへでも行く
全部 ボランティアだが 健康ランドだけは営業だから若干の出演料や軽飲食の提供も受けた
練習日や活動も含めるとかなりの日数をバンドで費やしていた
結成40年も越えたが 最近は 全員が定年を迎え なかなか会えない
そして メンバーも病気がちも出てきて 今では年に2回程度しか出演が無い
18年前 少しは若かった
音楽への情熱だけは失って居ない 会えば一気に昔に帰る
おい 新年会だけでもやろうよと呼びかけた
3月と11月に出演依頼があるが 飲み会だけならすぐ集まれる
今日は今年初の 下町のうたごえ
最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m