あまり人生を振り返ることはしない 今日明日の大切な時があるから
深刻に暗い時代を思い出すのではなく そんな時代があったのか♫
最近 思い出した 小学校5年の転校生の頃 色あせた古いフイルム
微かな記憶は 終戦前の1.2年 東京浅草小島町 私の生まれた地
疎開は茨城の予科練のあった荒川沖 空襲があり防空壕で機銃掃射の音
乾いた音 虚しく叫び飛び出した男性が討たれるのを中から見ていた
諏訪湖畔の岡谷へ 多分 半年くらいのこと 坂道のある地だけ記憶
そして親戚のある伊那の山奥 ここで林の一画を借り 親が開墾
藁屋根のある家に住む 電気 ガス 水道も無い 食べ物も無を
冬が厳しい 大根の葉っぱだけ食べる 大根飯なんて食べられない
雪も食べた 痩せ衰えて 出稼ぎの父が 私と会うのは最後かもと
あとで聞いた話 小学校の健康診断 いつも 栄養失調 意味が不明
別に哀しいとも思わない 今でも そんな時代があったっけと思う
街への遠足では お弁当が持てない みんなが食べている時は離れる
先生が気の毒にと 弁当を分けて食べさせてくれた飢餓の時代・・
5年生の時に 東京は千住の近くに転居 変わらず生活は苦しい
父は 日雇い人夫で稼いだり 鉄くずを拾って何がしかの金に換えた
信州の山奥から 都会の小学校 到底ついていけないと普通は思う
ところが教育水準は信州の方が高かった ほぼ一年は復習の感じだ
だから 納豆売りをして休んだり 父の鉄くず拾いを助けで休む
運動会は出たことが無い 遠足は自ら断った
ある日 いたずらっ子が教室で悪さをした 男性教師が怒る
男子生徒を2列に対面させ 共同責任 誰彼関係なく対面の子を殴れ
仕方なく相手の子を殴る子もいたが 私は出来ない 理不尽な指示!
殴らない私 教師に殴られ往復ビンタ 今なら今なら大変な事件だ
夏のある日 数人の子たちに誘われた 荒川で泳ぐらしい
常磐線の鉄橋近くに着ているものを脱いで 鉄橋に向かう
工事用通路があり そこを歩き鉄橋の川の中心くらいまで歩いた
そこから荒川に飛び込むのである みんな次々と飛び込んで行く
私は水泳は出来ない 信州にはプールも無い 広くて1mの水路だけ
あまり恐怖は感じず飛び込んだ 飛び込み方を知らない 深く潜る
水面より深いところは夏でも冷たかったと記憶がある もがいて水面へ
服の置いてある地より 反対側の下流に流された それでも助かった
また鉄橋を歩いて戻り 服の置いてあった場所 誰も居なかった
そうかぁ あれもいじめだったんだなぁと 今頃思い出している
良く助かったもんだ 他人事のように見ている私は どこか楽観人生