中高年は エネルギッシュで明るい
歌声は大きく お世辞でなく若い
笑顔 笑顔に溢れる
こんな元気な笑顔を多くの方にお裾分け
多分 見ているだけでも 元気が貰えると思う
素晴らしい大合唱も お聞かせしたいが 雰囲気で感じて欲しい
しばらくぶりの土曜の午後 少し人数を心配したが みんな集ってくる
ここへ来れば 新しい方も 楽しかったと言うほど 心のふれあいがある
みんな仲間 全員仲間 80名の参加者 私の自慢できる仲間たちだ
90歳の男性も 今回は娘さんと一緒に来て 力強く私の手を握る
リクエストは 蘇州夜曲 楽しそうに歌っていた
鎌倉から毎回参加の男性は 先月約1ヶ月ジャワを巡っていた リクエストはブンガワンソロ
練馬区から男性が見えるが この方をはじめ 結構 男性の姿が多い
13年 私が代表者をした 童謡唱歌うたう会からも 毎回何人も来てくれて嬉しい
墨田のうたごえの仲間 ボランティアの仲間 そして ここで知り合った仲間が大勢居る
9月には うたごえのバスツアーを企画して募集したら これも満席になってしまった
バスの中で歌いながら行くツアーは まるで学生のように盛り上がる
今回は わたらせ渓谷沿いを行く 星野富弘美術館をメーンに周辺を巡るツアーだ
とにかく皆さん元気だ
15分の休憩を入れるが 2時間歌いまくる
そして 私のトークでも どっと笑ってくれる これが他所に無いあたたかファミリームード
歌を歌っていれば 心身 活性化される
ストレスは解消して 病気への免疫体も強化される
そして この仲間と言う連帯感が 何よりの心の触れ合いである
今日は 参院選の投票日 国民としての権利を行使して来よう
少しは景気も緩やかに上っている気配はする
福祉は 生活はと課題も多いが 何より自分の身体を健康に保つことが大切である
某テレビ局の参院選電話アンケートが来た
録音に質問に応える形だ
投票に必ず行くという方は1を 行かないという方は2を押してください
不在者投票に行ったか 投票する候補者は決まっているか 誰に投票するか
政党はどこを支持するか こんな具合に1から9まで設問される
ジャンボ宝くじを買うか 必ず買うよ このやろう あのコマーシャルを思い出した
一昨年は やはり某テレビ局の 投票出口調査に協力した
投票を済ませて出て来ると 近くに待機している調査員が寄って来た
こういう積み重ねで 開票時間になると かなりの確度で当選予測が的中する
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中高年の女性が集れば 話題はいつの間にか 病気 介護 お墓の話になってくる
それも順番に 最初は病気の話 次いで介護の話へ 最後はお墓の話になってきてお開き
なんだか きみまろさんの笑いのネタと似ている
今が健康であっても いつか訪れる そのいつかが だんだん近く感じてくる今日この頃だ
それだけ不安 心配の要素が大きく占めているのである
ガンや 認知症 名前を聞くだけで いつか自分がなると そればかり思う人が要る
確かに今は無病息災の私でも 蓄えが無い 看病する人も介護する人も思い浮かばない
まあ 何とかなるさ 元気なうちは ボランティアでも出かけて 自分の心身にも役立てたい
そんなに永くないこれからの人生だ もう少し明るくのびのび生きて行きたいものだ
実態は 自分の家族に身内に 介護の方が現れると 生活も一変する
それは本人も辛いことだろうが 家族なども心労に襲われるだろう
それでも 明るく生きている方がいる 双方 考え方で多少は救われる
話題も明日るい方へ導きながら 相手を思い遣る
時には 介護も一休みして おしゃべりやランチやうたごえに出ることも大切だ
張り詰めた糸では 良い音も出ないし すぐ切れてしまう危険性がある
男性だったら 今までのプライドを棄てることも必要だろう
ともすると わがまま 頑固 見栄 これが周囲と溶け込めない
施設の中でも見かける実態だが やはり 愛されて 笑顔の人柄が生き方を変える
お墓の話になると さらに深刻だ
散骨などと気軽に言うが なかなか難しく 仕様が無いから 連れ合いの墓に行く
永い人生 一緒に歩いてきたが お墓だけは貴方と別よ という女性も増えてきている
そうして お墓の数が増え やがて 日本中 墓地だらけになる
お墓なんて子供や孫までは お参りに来るが それから先は 無縁仏に等しい
昔の先祖代々の墓 考えてみたら ここに集約できる 何と合理化だろうか
と 少しマイナーなことを書いたが 昨夜 ある食事会の話題だった
中高年三人寄れば 病気 介護 お墓 笑いながら話していて 実際もこんな話になった
共通する話題だし 課題だから 責められるものではない
まだ 若い頃は ピンコロリなどと言ったら あははと大笑いしていたものだ
だから年寄りは何て 少し バカにしていた発言も聞かれたものである
ポックリ寺お参りツアーもあった 添乗員でも行ったが 笑えない歳である
会津にころり三観音があり 代表的である
野口英世の母がお参りしていた 中田観音をはじめ三つの寺を巡る
会津の柳津虚空像尊も有名である 愛知の知多半島にも ピンコロリ祈願の寺がある
私も願わくば ピンコロリが願いでもある
そして いつ来るかわからない怖れに毎日送るより 明るく同じ時を過ごしたいものだ
くちびるに歌を 笑顔を忘れず 大切な仲間と 大切な時間を過ごすことだ
さあ 今日は 下町のうたごえ いつものメンバーが集ってくる
新しい顔ぶれも見えるだろう
うたごえに溢れると ピアノを弾く私も 身体全体でリズムを取り 喜びを集中できる
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私たちの生まれる前辺り ラジオもネツトも何も無い中で 雑誌などは社会を知る手段である
そして 当時の方々が どんなものを求め 糧にしてきたか垣間見ることができる
人として 社会の中に生きる そのあり方は 現在でも不変の生き方でもあろう
家族の絆 師弟の絆 そして義理や人情 道徳などは 現在より深い
歳を重ねると 挙げられている一つ一つが 肯定され反省させられるものがある
新妻のたしなみ 抜粋
いつも気持ちよく送り迎えして 主人の気持ちを外らさぬ奥様
朝から不機嫌だったり 喧嘩したりして会社へ行くほど虚しいものは無い
そして それを他人に当たったり 仕事の失敗になって行きそうだ
愚痴をこぼさずに いつも笑顔で 却って夫を発奮させる奥様
愚痴を言っても何も変わらない 変えられないものもある
これでは二人の関係にも溝が深まる むしろ少しくらい褒めて発奮させる方が良いだろう
主婦の心得 抜粋
牛肉を軟らかに煮るには
硬い牛肉ほど美味しくありません これを軟らかに煮るには すき焼き鍋に大豆か黒豆を
4.5粒 肉とともに入れて煮ると軟らかくなるばかりでなく 悪い匂いも消え美味しくなります
また小魚を煮る時にも 大豆を2.30粒入れて煮ると軟らかになり 骨ごと食べられます
私は料理に関しては無知に等しい
でも 親が牛肉は食べられない時代 こんな風に小魚を煮た微かな記憶が蘇る
多分 こうした教えが 戦後の数年までは続いていただろう
主婦の心得いろは歌 昨日の続き 抜粋
ろ 労しても 効なきなどとこぼすのは これ 小人(しょうじん)の心なりけり
は 春苦味 夏は酢のもの 秋辛味 冬は脂肪と心得て食え
た 大根を 茹でるに米を 5.6粒 入れれば苦味 とれて味良し
ゐ 居間よりも お座敷よりも 台所 清潔にせよ 常に忘れず
あ 揚げ物の そばに青菜は 消火器よ 火が入ったら すぐに投げ込め
こうした教えが この時代の主婦にどんなに役に立ったろうとかと思う
おばあちゃんの智恵に似て 永年の経験から生み出された教訓でもある
そういえば 主婦の友という雑誌は 戦後まで 女性の必須のアイテムだった
好かれる女 抜粋続き
弟や妹の面倒をよく見る親切な娘さん
お母さんの手助けを 手まめによくする娘さん
他人の注意を良く聞き入れる女
いつもきちんとした身だしなみをして感じの良い女
嫌われる女 抜粋続き
子供が火のつくように泣いていても 一向平気で ほったらかしている無神経な女
人の好き嫌いの激しい女 こういう女に限って人間の全てを敵か味方かどっちかに
定めぬと承知できない険難な女
自分だけが偉そうにツンと澄まして 人を見下げる傲慢な女 美人ぶる女もこの種類
中には思わず頷いて あるある こんな人居るなんて思う
別に八方美人になる必要は無い 媚を売ることも無い
人としてこうありたい この努力は続けて行きたいものだ
どんなに良い人でも 良しとしない人も居る
気にせず 前向きに 笑顔を浮かべて 自分の道を進む
こうした教訓 戒めなどは 素直に受け容れ生かして行きたいものだ
さあ 今日は 墨田のうたごえ「カチューシャ」
明るく 気立ての良い ビューティな生き方の女性たちが60名ほど集る
笑顔が素晴らしい 墨田のAKBである
そして明日は私が主催する 「下町のうたごえ」
2年が過ぎて 定着して 大勢の方が見えて 大きな声 若い声で歌う
うたごえは いつも青春だ
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先日行った 下町風俗資料館から貰った冊子にある記事が私の興味を惹いた
そうか 私の生まれる前の時代に 現代に共通する女性の常識や理想像があったのだと
単に女性のみに求めるものでなく 私たち男性にも当てはまるものがある
好かれる 嫌われる これは育ってきた永年の生き方で人柄となって表れる
あわせて 親や学校での 教え方や躾にも多少は影響されるだろう
好かれる女 (抜粋)
程よい愛嬌 しかも無邪気な娘 お行儀の良い言葉遣いの上品な淑やかな女
年寄りを大切にする思い遣りの深い女 他人の陰口などは決してきかぬ慎み深い女
何ごとにも 感謝の念の篤い純情な女 秘密には錠前掛けて 必ず守る口数の少ない女
嫌われる女 (抜粋)
あら 違うわよと利巧ぶって何ごとにもでしゃばる女 その癖本人は いい加減なことばかり
誰にでも片っ端からケチを付けたがる女 ご飯よりも陰口の好きな女
欲ばかり深くて 他人の迷惑などは一切構わぬ女
機嫌はいつも晴れたり曇ったり まるで当てにならぬ天気予報みたいな女
遠慮が過ぎて尻込みばかりして 何を言ってもハキハキしない じれったい女
これ以外にも いろいとあったが こういう人居るなと 肯定しながら 時には笑いそうだ
昭和初期で 社会が現在とは大きく違うのに 言われることは すべてなるほどと感銘した
女性のあるべき姿 これは男性にも通じるものがある
もう一つ 主婦の心得いろは歌が紹介されていた
こちらも昭和12年発行で 私が生まれる少し前の時代である
それは 調理法や 作法など教えと ばあちゃんの智恵などの集積である
いろは歌抜粋
い いつまでも親の目からは子供なり 子供心になるが孝行
に 肉食えば 野菜を好かぬ人となり くすりくすりと頼む可笑しさ
へ へりくだり 凡て物事高ぶらず 下をいたわる心忘るな
り 悋気など するは女の恥と知れ 焼かば精々 狐色まで (悋気=やきもち)
れ 良薬は 口には苦きものぞかし 姑の小言 悪く聴くなよ
な 夏の頃 酢を買ったなら塩少し 混ぜておかぬと 早く腐らん
ま 前になり うしろになって 雛守る 鶴の心に習え母親
ゆ 油断すな 心にすきのある時を 悪魔は始終 ねらいおるなり
ん 運動は 体のためぞ のらくらと 遊ぶは病気 起こすもとなり
一つ一つ 今でも参考になりそうだ
こうして ばあちゃんから 娘へ そして孫へと 大切なものが教えられていった
現在では 何でもネット 親の言葉より安易に頼り ネツト信仰さえあるような気がする
にの項 を読んだら 思わず私も くすりと可笑しくなった
こうして 参考になること 教訓など 多くが私たちに与えられる貴重な教えになっている
親や教師や先輩は 子供や後輩 若い層へ こうして教育 躾 をする役目がある
人生の水飲み場まで案内するのが これからの生き方に多く影響するだろう
飲むか飲まないは自由だが それからの生き方 人柄 時には生死の分かれ目となる
興味深い 80年前の時代の紹介だった
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ちっちゃな ちっちゃな施設 昨日は3名の利用者さん
いつもと曜日が違うので 私と会うのが初めての方が居た
86歳の方だが 歌は好きと言う 確かに大きな声では無いが 大概の歌は歌える
軽い認知症だとは思うが どこにもそんな感じは出ていない
「夏の思い出」 あの~夏が来れば思い出すの歌は知っているかな
この方が一番若いけれど聞いてみた
知っているよ 3名とも歌えた
この歌はね 江間章子さんと言う方が 戦後の食糧難の時代に買出しに行った時のこと
大体 今の若い層に 買出しとか 疎開なんて 死語になっているよねと私が話す
その買出しに群馬県の片品村まで出かけたんだよ
ああ 片品村知っているよと 彼女が言う よく知っているねと私が応える
その村に疎開していたんだと嬉しそうに言う それじゃ知っているわけだ
実家か親戚がまだいるのと聞くとまだ居ると言う
いつまで居たか分らないけれど 自分の居た場所が話題になれば 誰でも嬉しいものだ
因みに片品村は 原発避難者を多く受け容れてくれて 村を上げて支援をしていた
江間さんの話に戻ると 買出しの途中でみた白い花が妙に気になり 後で水芭蕉と知った
尾瀬には沢山咲いていると話を聞いて この 夏の思い出の歌詞が出来た
ただ尾瀬には訪れたことはなく 季節的には 夏とはずれて 6月が花の見ごろである
私も若いころ尾瀬に3回ほど行ったよと話す
夜行列車に乗って 深夜の沼田駅で降りて バスに乗り換え鎌田でまた乗り換える
朝 しらじら明ける頃 大清水まで歩き出したり 鳩待ち峠までマイクロバスに乗った
この付近は 今でもトウモロコシが有名で 国道に沿って とうもろこし屋がかなり店を出す
煮たものもあるが 焼きとうもろこしが 匂いとあわせ 私たちを誘ってくる
今でもあり この付近は とうもろこし街道と言う
他の二人の出身地も聞く 大概の地名は私は分かる 観光地なら なお更だ
未知の人と親しくなる近道は その方の故郷を知ること 趣味を聞くことである
そして それに応えられれば 一気にその人との距離が縮まる
もう一人の方は 箕郷だという 知っているよ 今は芝桜で有名になった梅の産地でもある
近くには 水沢観音があり 水沢うどんが有名である
そんな話をすると 懐かしそうに会話になる
もう一人の方は 太平山の近くだと言う
そうか 桜で有名な場所だね 頂上の尾根から見ると 陸の松島が見え 本当に島の様だ
神社の急な坂道に 紫陽花もいっぱい咲いて 綺麗だね うんうんと頷く
これからは巨峰の季節でしょう
そして近くには栃木の蔵の町がある 船運で榮え あちこちに蔵が立ち並ぶ
昔は県庁が置かれたことがあるが 今は宇都宮に移り こちらは都会になった
37歳のイケメン独身男子が スタッフになって私と2回目になる
駐車場から荷物を運ぶのを手伝ってくれたり キーボードの準備なども率先して協力する
なかなか好感の持てる青年で 何とか 施設に居て欲しい人物でもある
牧場の朝や 花嫁人形など 有名な歌を知らない
歌う機会も少ないし 学校でも教えてくれなかったかも知れない
この3名の方が殆ど知っているので むしろ驚いていたほどだ
最近の学校では こうした歌は敬遠され 時には世界に一つだけの花など入れてある
童謡唱歌には 歌い継いで欲しいものが 沢山ある
しかし教育現場では 難しいから 時代に合わないからと 次々と消えていくのが寂しい
そう言えば 若い観光バスガイドさんが 埴生の宿を知らないといっていた
私もお客さんも みんなで驚いたものである
ガイドさんも 昔ほど 車内で歌う方は少なくなった
訪れるその土地土地で そこに因んだ歌は 私がハーモニカで披露したものだ
年配の方たちは 皆さんが喜んで 時には車内が合唱になったことも幾度もある
佐渡へ行っても 君の名はの曲を知らないガイドが多く 私が話をして演奏した
阿寒の方へ行っても 毬藻の歌が歌えない
小豆島では オリーブの歌を知らない
昭和も大分遠くになったが 童謡唱歌 懐かしのメロディも遠くになったものである
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