のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

海よ俺の海よ~加山雄三さんは 私の小さな目標

2015年07月21日 07時07分59秒 | うたごえ

海が似合う芸能人 やはり加山雄三さんである

あの格好良いクル―ザ― そして 海が出て来る歌の数々 若々しくて頼もしい

未だに歌唱力も衰えずに 全国ドームツアー 各地で満員の盛況だ

 

 

先般 78歳になった 私も来月76歳だから 2歳上である

この若々しさと活気 私は 素直に小さな目標としているのだ

生きているからこそ この一瞬 このひととときが大切なんだと言う 彼の言葉にも頷ける

 

 

西伊豆の加山雄三ミュージアムにも 添乗の合間を縫って訪問したことがある

私は 正直 映画スターとしての彼は一度も観たことは無い 

彼の歌は うたごえのなかのリストにも入れているし 爽やかで好きだ

 

 

作曲は 弾厚作と言うペンネームで幾つかあり 私も好んで歌うこともあった

ワイドショー的に対比すると 彼は現在も2枚目だ

私は若い時は2枚目半(笑) 歳を取ると3枚目になり 今は4枚目 相撲の前頭の位置だ

 

 

豪華なクルーザーを持つ彼に対し 私はボランティア用のダイハツムーブ

バンド活動はプロのおじさんバンド 私だって 殆ど休業している コーヒーブレイクを持つ

借金は数十億返済したと言う 私は未だに僅かにではあるが負債を抱えた年金生活だ 

 

 

テレビでは毎日 ゆうゆう散歩 私も のびたが歩くから のび散歩

こうして見ても結構面白い 決して妬みや ごまめの歯ぎしりでは無い

いつまでも競って 元気よく生きたい 私の小さな目標であるからだ

 

 

歳をとっても 生き生きとしている方たちを 私は常に好意を抱いて見つめる

屈託のない生き方 何かに打ち込んでいる姿 社会を斜めに見ない方

みんな素晴らしい 謙虚にそして溌溂とした方は 周囲に笑顔と活気の世界を作る

 

 

     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

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世の中は3連休だった 私はテレビで旅三昧

2015年07月20日 07時02分05秒 | 旅行

昨日も暑い日だった ウォーキングに出たが気が変わり都バスに乗った

こんな日は1日乗車券を買って 涼しい都バスでどこかを廻って途中下車なども良いか

ところが来たバスは超満員で子どもたちの姿も目立つ そうだ 3連休だったと改めて思った

 

ウオーキングも健康には良いが 熱中症などもあり 僅かに片道歩いて帰って来た

テレビの録画がいっぱい溜まっている 殆どサスペンスと旅番組とドキュメントや歴史である

旅は今でも大好きだが 暇もお金も少ない 暇は出来るが お金に不自由している

 

 

新潟から竜飛崎まで ローカル線を乗り継ぐ旅番組があった

ふんだんに鉄道が出てきて 景色と地元の人との触れ合いが見える

一緒に旅している気分になれる 映画館で自分が主人公になっているのと同じである

 

 

ただ宿泊するホテルとなると こうした番組は豪華な宿で とても私には泊まれない

私の場合は学生時代から 安宿 時には素泊まり 安い海鮮など食べられれば豪勢なものだ

旅の番組の有名な観光地なら 殆ど何度も訪れた地が多い 私の想い出と重なる

 

 

しかし 一歩外れた浦通りや隠れた名所は 改めて その良さを感じて旅への郷愁に駆られる

特に添乗員として観光地を案内した時は お客様への案内と安全に気を配り観光気分では無い

温泉でも 仕事が終わった夜遅い時間とかで ゆっくり入らず 明日の準備をしていたものだ

 

 

それでも自分の訪れた地は 何か親しみを持っている どこか懐かしい気もする

更には現在ブログを書いて 他の方のブログを良く読む

その方が住む土地には親しさが湧く ああ あの地にはこの方が住んでいると全国に思える

 

 

旅して歩いた地 不思議に何も思い出せないと言うことは無い

何かか心の中に残っている 全体は忘れても その部分的なものが甦って来る

旅は良いなぁ 時間を掛けて行きたいものだ 何日も旅を続けられたらと憧れがある

 

 

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ホームセンターの売れ残りの苗はどこへ?

2015年07月19日 08時35分33秒 | ウォーキング

今朝は久し振りに空が青い 天気予報では34度にもなるらしい

毎朝 毎日 私の部屋から 時々外を見る パソコンの手を休めては見る

少し離れた首都高を走る車 羽田へ下降して行く飛行機 各地へ向かう飛行機が見える

 

そして何よりは 狭いながらも私の緑の空間 ベランダである

マツバボタンがこの暑さを喜ぶように ピンクの花びらが眩しいほどだ

鉢植えの草花の葉を見る 元気かな? 水は足りているかな?と声を掛ける

 

いっぱいに置いているので これ以上増やすことが出来ない

それでもホームセンターの草花や樹々の売り場に行くと 必ず立ち寄って眺める

いろいろの花が咲いていて見るだけでも楽しいものだ こんな花が欲しいと思う時がある

 

 

手の届く花 価格のことである それが100円とか200円なら つい買いたくなる衝動が出る

こんな値段で その花が枯れるまで 楽しむことが出来るなんて最高の贅沢である

で つい 買ってしまって どこへ植え替えるか苦労する 僅かな空間に無理して入れ込む

 

 

先日は きゅうり なす もろへいやを買ってきた

好きではあるが 売り場を見ていて少し哀れに思えたからだ

花は終わったり 苗も時期を過ぎていたりすると 値引きされ それも元気を失っている

 

 

きゅうりは30センチにも伸びて花を付けている

トマトなどは 実が幾つか生っているものの その苗は今にも枯れようとしていた

茎が絡み合ったり 葉が枯れかかっていたり いかにも哀れに見えてしようが無い

 

 

買ってきたものは まだ元気が残っているものを選んできた

普通は 実がなったりすると嬉しいものだけれど 別にそんな期待はしない

私のベランダで ひとときを過ごそうよ そんな気持ちで今朝も眺めている

 

 

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教師になりたかった中学時代

2015年07月18日 04時58分42秒 | うたごえ

墨田のうたごえカチューシャ NPOの生きがい講座の一環である

昨日もピアノを弾き 皆さんの若々しい声の合唱を聴き 心も躍るスタッカートだ

参加されている皆さんの笑顔も素敵で 私は会うだけでも楽しく 元気と活気の源となる

 

 

大した技量も経歴も無い私だが みなさんが私を先生と呼ぶ

そして この時間が楽しいと10年近い講座が いつも満杯になってくれることが感謝である

裏方で支えてくれるスタッフも 講座が活気あると皆で喜びあう

 

 

 

先生と言うことと 教師は別物だと私は思っている

確かに学校時代 先生と言って来たが 言葉で記録すると教師の方が似合う

学問や生き方を教えるのが教師である 

 

わが師の恩 と歌にあるように 尊敬と感謝の思いが 教師にはある

ブログを読んでいても 現在 教師の方 過去 教師をされた方がそれぞれ生きざまを綴る

私は この方たちにも 尊敬の念を持って いつも読んでいるのだ

 

対して 先生は 学校の教師を除けば 議員も弁護士も土地の名士もみんな先生だ

特殊の仕事や 少し他人と変わっているものを持つ人が先生である

私に至っては のびたさん と呼ぶような代名詞でもある 

 

先生 先生と親しくしてくれることが どんなに嬉しく幸せかしみじみ思う

一応 講座を仕切っているので 私の言うことを聴き 共鳴や感銘を受けているようだ

明るく 楽しい講座 意識しているわけではないが 自然と皆さんと気が合う仲間たちである

 

 

 

以前にも書いたが 私は中学2年生の頃 8ヶ月くらい不登校を続けた

原因は クラスの不良グループの悪戯を教師が私に嫌疑をかけ 全員の前で詰られたことだ

哀しかった これで勉強なんかいらない 学校などへ行きたくない思いで不登校となった

 

母にだけは心配かけたくないと朝はカバンを持って出かけ 夕方帰った

毎日 あても無くさまよい続けた 雨の日は映画館で3本立てを見たりした

復帰は やがて薄々気付いた母が 一緒に死のうと言った一言である

 

8カ月のブランクも必死に勉強して追いつき 追い越せた

この時 教師になるんだと1年間くらい決意した 自分は絶対 情に溢れた教師になると・・

進学組と就職組に別れる時に この夢は消えた 経済的に全日制は無理であった

 

 

 

これがあるから 私の幸せは 逆に強く感じられるのである

教師にならなくても 先生でも仲間内の様な存在こそ 意義のある人生を歩めるのだ

先生! なんと 親しく聴こえるだろうか それは私の好きな方たちが言うからである

 

宿題にしていた(笑)ロシア語の カチューシャ 英語の オールドブラックジョー

どうやら 殆どの方が忘れて復習していない それどころか持って帰った楽譜を持って来ない

でも 私にはこの方が うたごえ講座らしくて 一緒に笑った

 

 

 

9月には 女性センターのイベントに この講座も出演する

3.4曲 今年は 美空ひばりさんの歌で纏めようかとスタッフに提案したら却下された

好みがあるから 一人の歌に絞らないでと言う 無難な違う曲を再提案 今度は了承である

 

写真は全て1年まえの7月

 

 

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雨が降って西瓜が安かった

2015年07月17日 05時16分28秒 | ウォーキング

昨日 台風の影響で 東京の天気はめまぐるしく変わって行った

薄日が差しているかと思うと 突然 強い雨が降り出す

こんな中でもウォーキングして見たが 足が濡れてきたので途中で引き返す

 

近くに惣菜横町のような商店街がある

短い距離の中に小さいスーパーが並んでいたり 八百屋さんは3軒もある

帰り路には ここで惣菜を買ったり 野菜や果物を仕入れる

 

西瓜が安かった 大きな玉の4分の一 250円で売られていた

前日 スーパーで見たのは400円くらいだ その時は眼で見ただけで通り越した

八百屋さんだと 値下げが早い 今日は一日雨だと思えば 開店から安くしている

 

少し重いが 家まで帰って冷蔵庫に入れ ゆうべ食べてみた

千葉の八街産である 甘くて美味しい やはり暑い時は西瓜に限る

不思議なもので 涼しくなると 西瓜が食べたいとは思わない

 

食べながら 西瓜の想い出が蘇って来た

私の長姉は50歳前に末期の胃がんで亡くなった 手術は手遅れで半年で逝った

亡くなる数日前 西瓜が食べたいと 付きっきりで看病していた母に言った

 

もう40年以上前のこと 季節は9月の半ばを過ぎていた

岡山の市内の病院 母は必死になって探しまわったと言う

今なら季節を問わず西瓜が食べられるが 当時は夏の暑いシーズンだけである

 

ようやく探し当て買って来て食べさせた と言うより ほんの一かけら

押しこむように入れてやったが 既に反応は無かったと言う

今は何の不自由も無い 今はのみぎりに あれが食べたいと思うことも無いだろう

 

 

タイのバンコク中心に6日間の観光ツアーに行った時のこと

いろいろ食べて美味しかったが 妙に西瓜ジュースが甘くて美味しかった記憶が残る

戦場にかける橋 のクワイ川 カンチャナプリの川辺のレストランだった

 

11月頃だったか 現地は暑い その中で飲んだから格別に美味しかったのかも知れない

東南アジアの国へ行くと どこにでも西瓜がある 日本ほど甘くは無い

ただ秋などに訪れると このスイカが美味しく感じられ 必ず食べて来る

 

 

まだ 独身時代 グループで良くハイキングに行った

浅間山 妙義山 雲取山 大菩薩など 時には夜行列車など乗って行ったものである

伊豆の達磨山へ行った時のこと まだスカイラインなど便利では無い時代

 

戸田で船を下りて 有る商店で西瓜が眼にとまった

まだ若い時のこと 成り行きで大きな西瓜を買いこんだ 私が背負って登る

丸い西瓜は 落ち着きが無く背中でごろごろして それは苦労した

 

頂上で割って皆で食べた まあまあ美味しかったような記憶がある

近くの道路をこの景色に似あわないスポーツカーが来た

短い会話を交わしたが 後で聞くと 三国連太郎さんだった

 

 

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