のびたとブレイク

生き生きと第三の人生を歩んでいます
うたごえ ウォーキング 川柳 ベランダ栽培など楽しんでいます

ポッポの丘で嬉しい出会い

2016年06月25日 08時18分35秒 | 旅行

昨日の朝 所用で車に乗った そのあと どこへ行こうかとりあえず京葉道へ入った

その先船橋市に たまに行く日帰り温泉があるので タオルだけは事前に用意してある

高速道路の走行は気持ちが良い 普段はボランティアなどで 街中をちまちまと走る

 

100キロも出すと あっという間に出口になる まだ走りたい~通過した

幕張PAで 以前より行きたいと思っていた ポッポの丘を思い出し ナビに入れてみる

ところが出ない ファームリゾートでも出ない 圏央道の市原鶴舞が最寄りの降りる所だ

 

幕張PAで咲いていた

圏央道・高滝湖PA トイレだけで自販機もな~んにも無い

 

インター出れば 何か案内ぐらい出ているだろうと安易に考えたのが大間違い 何も無い

また記憶の案内を呼び戻すが いすみ鉄道かずさ中野駅が ふと出てくる

ではとナビに入れて走ったが とんでもない山の中をひたすら走る 一車線の道もある

 

 

対向車なんて来そうも無いから安心であるが 延々と山の中を曲がりくねる

かなり前 外房大原の方から 養老渓谷方面走った国道も そんな感じであった

こんな山の林道や山岳道路走行 嫌いでは無い むしろスリルもあって緊張の連続だ

 

 

ようやく山を抜けて いすみ鉄道の終点 上総中野駅に着いた

一両の列車がちょうど着いたばかり 列車の写真を撮れるのが私には嬉しい

無人駅である 赤字ローカル線の姿がそこにある

 

 

この駅の構内や案内図にポッポの丘があるかと思っていたが全く無い

近くには養老渓谷や滝があるから そちらへ行って帰ろうかと諦めかけた

たまたま駅前に建設会社のバンが居て ドライバーさんに尋ねてみた

 

何とこの駅では無い 私の記憶の思い違いで ここから車でも30分かかるところと言う

最初から来る予定なら もう少し調べ置くのだが 認知症寸前の脳力ではうすらボケ

途中 もう一度 コンビニによって教えて貰い ようやくポッポの丘にたどり着いた

 

 

私の眼の前に 大好きな列車が いっぱいある

青梅の鉄道公園には及ばないが 無理もない ここは個人が収集した鉄道車両だ

もともとは鶏卵牧場 農家の庭先に勝手に放し飼いしたように育てる自然の卵を生産する

 

列車には夢がある どこに置いてあっても 元もとは 地元の足として走っていたものだ

旅人にはたまらない郷愁がそこには有る 走る雄姿が目に浮かぶ

車内を見れば 通勤や通学 観光客の光景が幻となって そこにある

 

 

学生時代から 全国の鉄道を乗り回した いわゆるノリ鉄である

夜行列車を乗り継いだり 食べるものも節約して あんぱんが私の旅の友であった

行けない時は 毎月 時刻表を買って 空想の旅を続けていた まだ見ぬ地へも行ける

 

 

列車を見て 妄想 空想の世界から ハッと目が覚めると そこに微笑ましい光景があった

可愛いお子さんを連れて 仲良く楽しんでいる 特にお子さんの動きが楽しい

ずっと見ていたいが 不審者に見られても困る でも 小さいお子さんは可愛くてたまらない

 

 

思わず 写真を撮っても良いでしょうかと声を掛けた

いまどき 個人情報だのプライバシイがどうのと言う世界である

快く受けて頂いて 数枚撮らせて頂いた 子どもの姿はいつも愛らしくて大好きだ

 

 

写真の公開も承諾いただいて 今日はこれまで

園内の様子は また明日に記載します

私が列車を見て 子どものように眼を輝かす光景を想像してみてください

 

 

最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

 

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下町人情うたごえ

2016年06月24日 07時53分29秒 | うたごえ

昨日の朝は 前日からの雨 各地では大雨被害が出ていた

私の知っている土地が映し出されると 自然災害の恐ろしさに余計に胸を痛める

午後には晴れ間が見えるようになってきたが うたごえの会場に来るのも心配だろう

 

 

本所地域プラザでの下町のうたごえは これで3回目となった

天候の悪さに加え まだまだ継続して これから定着して増えて行くと思う

亀戸会場では最近 100人を超える方が続くが 6年の歩みがそこには有る

 

 

本所での中心になってくれる方々が多く居る

今年の3月まで 10年近く続けてきた うたごえ講座を私は辞任した

それまで 講座に来て私と親しくされている本所地域の方が立ち上がった

 

是非 こちらで下町のうたごえを開催しましょうと私を励ます

そして 地域以外でも 講座に来ていた多くの方が 先生 来たわよと 笑顔で集まる

会場近くの地域の方も新しく見える この人情が嬉しい

 

 

亀戸会場に来られている方も集まる

ブログを通じて 毎回のように遠く 鎌倉からお見えの男性も居る

こうして 多くの方と笑いながら あたたかな雰囲気に包まれた 歌声が響く

 

ブログで長く付き合って下さる方 鎌倉から毎回来てくれる

世界130カ国ほど 各国1か月くらいを掛けて隅々まで廻られた

 

 

荒城の月 この歌を歌うと コーラスになり 私も弾きがいがある

私はね この歌のピアノを弾きながら 先生になった気分ですよと言うと皆が笑う

正直 夜学の高校に通っていた一時期 小学校の先生になりたかったことがある

 

どうして ならなかったの? とすかさず 突っ込みが入る

それはね 貧乏だから行けなかったのさ と答える

でもね 幸せなことに こうしてピアノを弾いて歌って貰っていると先生になった様だよ

 

実際には 教師になるほどの能力が無かったかも知れない

巷で言う先生と言う言葉は 正直好きでないし 大した人格者は居ないような気がする

でも ここで言われる せんせい は 暖かみがあって 素直に受け容れてしまう

 

たんぽぽ この歌を歌う時 86歳の男性が 毎回手話を皆さんに教える

ここ2.3回 お見えにならないと心配していたら 入院していたとのこと

立って始動するのに大丈夫か様子を見ていたが 歌がこの方を支える

 

いつも元気で明るい性格が好ましい方である

若い時 留学経験もあり その話術を活かして 浅草などで観光ボランティアもする

近く入院手術の予定 無事に終わって 早くここへ来られるよう拍手で激励した

 

ここは楽屋 皆さんにも開放して休憩できる

 

うたごえが終わって片づけをして 1階に降りて行くと 先生こっち~と声がかかる

ロビー近くの併設された喫茶室に 参加された皆さんがわいわいと集まっている

この喫茶室の運営も 地域にお住まいの方たちがボランティアで携わっているのだ

 

 

中には既に 生ビールを飲んで居る方もいて 実に楽しそうに賑やかだ

私も コーヒーで参加して ひとときを一緒に楽しむ

ここが 下町のうたごえ の人情溢れる姿であって 私を支えてくれる存在である

 

 

最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

 

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母への想い 母の想い

2016年06月23日 07時44分57秒 | ボランティア

今日は先生に会えて嬉しいの

私が介護施設の歌声で ホールに入っていくと 既に車椅子で皆さんが集まっている

その一番前で 笑顔いっぱいの女性が話しかける 数年以上の利用者さんだ

 

毎月 訪れていると その方の介護や認知症などの進行や改善がある程度分かる

この方は ここ数カ月 笑顔が少なく 体調も悪くなっているようで気にはして居た

しかし 昨日は 笑顔が戻っている 今日は良い顔色をしているね と私も応える

 

この日は娘さんが面会に来ていた

母が楽しみにして居るのですよ と私に感謝の言葉を掛けてくれる

あとで スタッフの方に聞くと この後 少し車椅子で外出するそうである

 

そして 体調が悪かったようですねと聴くと 何か患っていたそうである

道理でと思った それにしても あの笑顔が私にも嬉しい

歌が好きだらと言うのも いつも楽しそうであるから分かるけれど それだけでは無い

 

久しぶりに娘さんに会えた喜びが大きいのだろう

施設を永く訪問しているが 面会に来ている家族の姿を見るのは少ない

事情もあるだろうけれど そんな実態も分かるだけに 私も嬉しいのだ

 

母や妹の写真に添える花を買って来た イオンの安売りだよ

 

テレビの歌番組を必ず録画して 暇な時間に見ている

それは コーラスのグループであったり 歌謡曲のスターたちであったりする

その中で 川中美幸さんの おんなの一生~汗の花~ が私の胸を打つ

 

彼女の母の姿をそのまま歌っている曲で 実話なのである

最近 特に涙もろくなり 独りで居ることを幸いに ほろりと涙を流す

母が子どもへ寄せる想い 子どもが母に寄せる思いは 誰でも同じなのだ

 

 

作詞は 吉岡治 作曲は 弦 哲也 歌詞で泣かされる

まだ 彼女がヒット作も出無い頃 母が懸命に働いて 日頃の言葉を添えて励ます

 

負けちゃ駄目だと 手紙の中に 皺くちゃお札が入ってた

晴れ着一枚 自分じゃ買わず 頑張る姿が目に浮かぶ

お母ちゃん・・・・苦労を苦労と思わない あなたの笑顔が 支えです

 

にわか雨なら なおさらのこと 自分が濡れても傘を貸す

人の優しさ 教えてくれた 背筋を伸ばした 生き方も

お母ちゃん・・・・煮豆も根性で花咲かす あなたの言葉を忘れない

 

歳をとっても 働き通し おんなの一生 すり減った

楽になってと 頼んでみても いつでも笑って 首を振る

お母ちゃん・・・・一生懸命生きている あなたの背中が道しるべ

 

 

妹が亡くなって半年はとうに過ぎた

演歌の番組を 前以上に見るようになった

そして 歌手が歌っている姿に 妹の姿が重なって見える

 

セリフ入りの演歌などは 堂々と歌い 私が褒めるのもおかしいが数々の優勝が物語る

瞼の母 岸壁の母 などは 私でさえ ほろりとさせる歌の内容だ

帰らぬ息子への母の想い 事情があって母と名乗れない息子への想いが溢れる

 

 

母は幾つになっても母 もう母の亡くなった年齢にだんだん近づいているのに想いは募る

先日は うたごえで娘の話しをして居たら 思い余って涙が溢れた

今日は本所地域プラザでの 下町のうたごえ 多くのあたたかな笑顔に包まれる

 

 

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あの娘さんはどうしているだろう

2016年06月22日 08時15分10秒 | ボランティア

素敵な笑顔 純情な そんな表現が似合う娘さんだった

少し暗い感じのする老人介護施設で ひときわ明るさが目立つ

私との出会いは 凡そ10年前の添乗員で行ったツアーである

 

2泊3日のバスツアー 相変わらず私はガイド無しツアーを任せられる

楽しい想い出をお土産にして帰って欲しいと 車内を盛り上げる

観光ガイドはお手の物 時には雑学を披露して 退屈させない

 

時間があれば ハーモニカで土地に因んだ曲を演奏して喜ばれた

少し 疲れているような時は 赤とんぼなどの癒しの曲が 皆さんの胸を打つ

参加者の一人一人へ気遣いもするが そんな中でひと際私の眼を引く娘さんが居た

 

私が観光案内をして居ても ハーモニカを披露していても いつも笑顔でこちらを見る

解散の時になって 小さいメモを私に手渡す

もし 可能であれば 彼女が働いている施設に来て貰えないかと書いてある

 

 

ツアーでは いろいろな方が私に好意を示してくれる

町内会のツアーを企画してと要望があれば 私が出向き企画から添乗までする

お寺さんの住職がツアーに乗り合わせ 施餓鬼法要の行事に呼ばれ演奏した

 

女子大生グループが ツアー中に私といろいろ話をして楽しかったと手紙が来る

勿論 会社宛だったが 卒業でバラバラになる感傷で幾分落ち込んでいたと言う

ところが私との会話で全てを忘れ 楽しかったと言う 寅さんを私は思い出した

 

依頼があれば 可能であれば私は応える

今 毎月訪れている介護施設6か所も全て誰かが 私に依頼したものだ

そんな機会を与えて貰えること自体 私は感謝を覚える

 

 

話しが戻って その施設に行って まず驚いた

他の施設と違って 到底 慰問なんてものではない 

テーブルが幾つかあって そこに俯いて居たり ただ座っているだけである

 

近くに座っている数名は 眼が不自由な方たちと言う

何かを始める雰囲気では無い どうしようか 一瞬悩む

この時はハーモニカを持って行った とりあえず 無手勝流で演奏を始める

 

聴いているのか居ないのか 全く反応は無い

寝ている方もいるし 離れたテーブルでは 様子もつかめない

聴けば 他のボランティアは 誰も訪れないと言う

 

 

現在でも ボランティアは訪れる様子は無い

踊りや楽器演奏 民謡など 他施設ではあるが 行かない理由も分かる

誰も拍手はしない 笑わない うつむいたり 寝たり カルチャーショックさえある

 

誰も行かないなら 私が行く 慰問では無い 音楽療法がある

そう 心に決めて 毎月通い 4.5回目で スタッフに要望した

テーブル配置は止めて 大変だろうが 車椅子を並べて対面式にして欲しい

 

今度はキーボードを持って行く 弾きながら様子を見まわす

一人一人の反応が分かる 中には唇が動いている 指がリズムを取っている

身体が揺れている そうだ 心に届いてる 歌にならないだけだ

 

帰りに皆さんのところへ廻る 握手を求める人が何人も居る

私は必ず両手で包む 相手の方は放そうとしない 何か言っているようだ

こうして 少しづつ効果が見えるようになる 少し歌声が聴こえる日もある

 

要は信頼関係だ 毎月訪れ この のびたの顔が安心させる

ずっとにらみ続ける女性が居た 眼を放さないから怖いくらいだ

この方も 言葉にはならないが だんだん顔が柔和になって行った

 

一度だけ 握手をしたときに 有難うと 確かに言った そう聴こえた

ディの方は ただ座って 時間が来て 送迎バスに乗るだけである

肝心のリハビリや入浴はどうなっているか 分からないくらいであった

 

 

南木曽出身の男性が居た 私も知っている地だから 話を合わす

いつも同じ話しで さっき話したことをまた話す 認知症が進んでいたのだ

クラシックの話しもした 私は内緒で ディズニーのファンタジア を贈った

 

聴いてくれているか分からない 1年もしないで 会えなくなった

怖い眼の方も 居なくなった スタッフも 主任者も居なくなった

彼女は 腰を痛めて私と会ってから半年ばかりで 辞めて行った

 

 

今日も 音楽訪問に行く

10年経って 当時と大分変った スタッフも懸命に協力してくれる

リハビリも活発だ 以前より歌声も聴こえる 笑顔も見えるのだ

 

時折 思い出す 

あの娘さん 素敵な笑顔だった どうしているだろうか

今は幸せな結婚をして 生き生きと子どもたちの面倒を見ているだろうか

 

 

 

最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

 

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ああ あの踏切だ 小学生の私はここでずっと電車を見ていた

2016年06月21日 05時35分52秒 | うたごえ

テレビの画面に 懐かしい大踏切が映し出されていた

廻りの風景は変わっているが まだ歩いて渡る大きな踏切は 当時と同じである

この付近の街に 私は小学校5年の後半から 中学1年の前半 2年間住んでいた

 

 

文明の進化に取り残されたような 信州高遠から更に山奥に入った寒村がある

ちょうど小学校1年生から5年の前半は この村に住んでいた

それこそ 電気もガスも水道も無い あげ句は冬になれば食べるものも無い

 

餓死寸前の私は 栄養失調で 父親は出稼ぎに出て次は会えないと思ったと言う

幻覚まで見たことを妹と最近まで笑って話合ったが その妹は昨年秋亡くなった

そんな田舎から出てきた街が この踏切のある千住であった

 

全校生徒で30名余の田舎の学校 都会の学校の人数は多かった

友達は出来ない ある日 常磐線の鉄橋から荒川に数名で飛びこむ

私も飛び込んだが泳げない もがいているうちに流され反対側の岸にたどり着く

 

勉強には付いていけないと思っていたが 何と一年遅れに感じるほどだった

私には復習をしているようで この点では安心できた

それが いじめっ子たちの標的になる原因だったかもしれない

 

 

貧しい我が家は 遠足や修学旅行には行けなかったが 別に貧乏は何とも無い

近くに納豆工場があり 私は母親に起こして貰い 早朝 日暮里の街を売り歩いた

経木に包まれた納豆30個を仕入れて 明け方の街を なっとう~と声を出して歩く

 

買い取りであるから売れ残ったら大変 売れるまで路地を廻る

学校へ遅れることもたびたびあった 

冬のある日は 売れ残りの納豆を持って 冷たい風を除けて佇んでいた

 

塀の戸が開いて おばさんが声をかけた 寒いだろう 全部買ってあげるよ

今でも覚えていることは 人の情けの嬉しさが 幼い心に沁み込んでいるのだろう

親父は鉄くず拾いをしたり 日雇い人夫で どぶさらいに付いて行ったこともある

 

ちょっと酒乱が難点だった 夜勤帰りで 何かの原因で母親に殴ったり蹴ったりする

止めに入った私も殴られて顔にあざが出来た それで学校へ行ったら皆に笑われた

街で父と一緒に歩いていても 喧嘩をし始める 私が必死で止める

 

千住の街に パチンコ屋さんが何軒かあった

玉を一つ入れて弾く古いもの 並んでいる台の後ろに お姉さんが球の補給をする

入れそこなった球が落ちている 客の足の間を球を拾って歩く 23個入れて遊べる

 

盛り場のレコードが聴こえてくる 小学校で音楽を習った記憶が無い

でも 聴こえる流行歌はすぐ覚えてしまった

上海帰りのリル 啼くな小鳩よ 人生の並木道 今でも介護施設で歌ってもらう

 

 

納豆売って 稼いだお金は全部 母に渡してしまう

そんな私の唯一の楽しみは 毎日 大踏切へ行って 電車を眺めることである

手回しの大きな車を回しているおじさんが踏切番だ

 

常磐線もあるが のんびり見ていられるのが東武線であった

上りは浅草が終点 下りは行き先がいっぱいある

日光 宇都宮 大間々 伊勢崎 などと知らない土地ばかり でも名前は覚えている

 

電車に乗る夢は有った あの先にどんなまたがあるのだろう

トンネルがあって 鉄橋があって 山や川が見える 家並みが見える

見知らぬ土地へ 電車を通して夢見て いつまでも行き交う電車を見ていたのだ

 

一度だけ 終点の浅草まで乗ったことがある

5円だっと記憶しているが 正しいかどうか分からない

浅草で降りた 観音様があることもと意地の私には分からない

 

ただ 松屋のビルに電車が入って行くのが驚きだった

周りには 今なら56階建てのビルは珍しくないが 私には驚きの風景だった

逃げ帰る様に 帰りの切符を買って浅草駅から千住へ来てホッとしたものである

 

いつも見ていた大踏切が車窓から見えた

そこには私は居ない 勿論電車の車内から見ていたのだ

あの踏切 私にとって懐かしい以上に 思い出のフィルムが秘められている

 

最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m

 

 

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