旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

小京都・飫肥と若黒潮とおび天と 日南線を完乗!

2017-01-11 | 呑み鉄放浪記

 鹿児島空港から路線バスを乗り継いで、やっとの思いで志布志にやってきた。凄まじい横殴りの雨だ。
トンネル貯蔵庫「千刻蔵」の木樽蒸留で焼酎を醸している若潮酒造を訪ねようと思ったけど諦めるしかない。
隣接のDCストアでワンカップとミニボトルを買い求めて始まる「呑み鉄」日南線の旅だ。

志布志駅はかつて、大隅線、志布志線、日南線が連絡する鉄道の要衝だった。
大隅線と志布志線は1987年3月、国鉄最後の日を待たずに廃止、現在はホーム1本の静かな日南線の終着駅だ。

ガクンと身震いをして年季の入った単行ディーゼルカーが走り出す。志布志から串間まではダグリ岬など
風光明媚な海岸線が見え隠れするはずだけど、車窓は大きな雨粒で見通しが利かない。荒天が恨めしい。

JR九州のローカル列車はボックスシートだが、窓枠のテーブルが撤去されている。なんという無粋な。
呑み人には憤懣この上ないのだ。で、時刻表をテーブル代わりに "さつま黒若潮" を並べて一杯始める。
つまみはこの辺りでポピュラーらしい揚げ餅なのだ。

 まもなくプロ野球のキャンプで賑わうであろう日南市。いつのまにか雨は上がって青空が広がってきた。
"かつおめし" の油津か、"天ぷら"の飫肥か、迷った末に飫肥駅で途中下車、九州の小京都「飫肥」を訪ねる。

武家屋敷を象徴する門構え、風情ある石垣、漆喰塀、掘割の清流に泳ぐ鯉。
時代に取り残されたかのような飫肥の風景は、江戸時代の町並を想像させる。

飫肥城は、天正15年(1587年)に九州征伐の功により豊臣秀吉より賜って以来、廃藩置県までの280年間、
飫肥藩・伊東氏5万1千石の居城として栄えた。丘陵に曲輪を幾つも並べた群郭式の平山城で天守閣は持たない。

“おび天” は、近海でとれた魚のすり身に、豆腐や黒砂糖、味噌を混ぜ合せて作る郷土料理だ。
江戸時代から伝わる庶民の味は、城下の「元祖おびてん本舗」で求めることができる。 
大手門前に直営の「蔵」で、“おび天” とこれまた名物の “厚焼き玉子” と “カニ巻き汁” が美味しい。

飫肥城下を巡ったら、15:07発の南宮崎行きに乗車する。この列車もキハ40系たった1両での運用になる。 

油津から飫肥そして伊比井までの20kmほどを、日南線は海岸線を離れて内陸を走っていく。
海岸線を避けているのは鵜戸神宮の辺りになる。伊比井から青島までは日向灘が見え隠れするのだ。

加江田川鉄橋を渡ると突然に車窓が開ける。肥沃な宮崎平野に抜けると日南線の旅もラストスパートとなる。 

終点の一つ手前、田吉に途中下車する。ここから1.4km、宮崎空港へと延びる宮崎空港線も乗り潰さないと。 

宮崎空港駅はSFチックなデザインの駅だ。1面2線のホームには、博多や大分からの特急も乗り入れてくる。
宮崎から宮崎空港までの区間は乗車券だけで特急に乗車できるのだ。

深紅のボディーの2両編成がラストランナー、田吉から再びの日南線は日豊本線と合流して南宮崎で旅を終える。
ロータリーから西へ延びる通りには南国らしいフェニックスの並木が長く細い影を落としていた。

  日南線 志布志~南宮崎 88.9km 完乗
宮崎空港線 田吉~宮崎空港   1.4km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
しあわせ未満 / 太田裕美 1977