旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

中山道紀行6 鴻巣宿~熊谷宿

2011-06-18 | 中山道紀行

「鴻巣宿」 10:30
 3ヵ月ぶりの中山道紀行、第6日目の行程は鴻巣宿からスタートする。
慶長7年に北本から宿場が移された鴻巣、鷹狩りを好んだ家康が御殿を建て通ったという。

大イチョウが聳える “鴻神社”、この辺りにも旧い町並みが残っている。

「箕田追分」 11:40
 日光方面へ向かう館林道との分岐には地蔵堂が建つ。鴻巣宿から熊谷宿の間は
四里六丁もの距離があり、途中の箕田・吹上・久下には「立場」を設け茶屋が並んだ。

権八地蔵」 13:20
 二つ目の立場・吹上を過ぎたあたりに白井権八延命地蔵がある。
歌舞伎の演目「鈴ヶ森」の主人公・白井権八にゆかりのある地蔵だ。

権八地蔵を過ぎると中山道は荒川の土手に上り、3km程度を進む。
初夏の日差しは肌を刺すが、吹き渡る風はあくまでも爽やかだ。
土手を下りた三つ目の立場・久下には「物言い地蔵」がある。伝説は権八地蔵と同じで、
曰く、路銀に困った鳥取藩士の平井権八が、通りすがりの商人を斬り殺して金を奪う。
一部始終を見ていたかのように佇む地蔵尊に権八が「他言してくれるな」と云うと、
石造りの地蔵が「わしは言わぬが、ぬしも言うな」と云い返したという。

「熊谷宿」 15:30
 熊谷駅の南側で秩父鉄道と高崎線とクロスすると熊谷宿に入る。
回遊式庭園・星溪園から流れる疎水 “星川” が宿並みを流れて憩いの場となっている。

奈良時代以前の創建とされる「高城神社」は熊谷直実の氏神、現在の本殿・拝殿は、
寛文11年(1671年)に再建されたもので、今もなお当時の面影を残している。

本陣跡は国道17号線沿い、高城神社と八木橋デパートの間あたりに在った。
戦災で焼けたそうだが、間口十四軒は現存する旧本陣と比しても屈指の規模だそうだ。
鴻巣宿から熊谷宿までは16.3Km、炎天下の5時間、今日も元気に歩きとおしてくれた。



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