都古ちゃんをアパートの階下で待っていた輝明は、ツール・ド・フランスの歴代優勝者をしゃべり続けていた。いつも緊張した時や混乱した時などにこういう状態になるが、草剪剛の演技が真に迫っていて、よくあれだけの長さを覚えて、あれだけ早く言えるものだといつも感心する。
輝明の毎日の生活は順序正しい。家族と顔を合わせると必ず挨拶をする。外から帰ると必ず手洗い・うがいをする。「お風呂の温度は39度…」とお風呂に入る前につぶやく。都古ちゃんへの手紙は1日1通、必ず4行である。そういったことが自然に表現されていて、演技だとわかっていても微笑ましく感じる。
また、金銭出納帳をつけていて、残高もきちんと計算できるのだ。文字も子ども程度の漢字を交えたものが書けるし、周囲の思惑を感じ取る能力や、感情表現が乏しいことをのぞけば、普通の人となんら変わりないように見える。だが、家族や理解ある友人、社会の協力がなければ生きては行けないという、悲しい現実はどうしようもない。
輝明は出勤途中の信号待ちで、いつも出会う自転車の男性に必ず挨拶をする。最初は驚いていた男性も、今では男性から声を掛けてくれるようになった。そこにも何気ない暖かさを感じる。これはドラマだからであり、実社会ではこういう理解ある人たちばかりではなく、まだまだ輝明のように自由に振舞うことはできないであろう。
彼の動物園での仕事は、テンジクネズミの飼育だが、見学者にテンジクネズミの説明もする。教えられた餌作りは、定規を当てて正確に切るなど、ガンコなところがあり、周囲も混乱していたが、だんだんと職員の理解が得られるようになってゆく。しかし、都古ちゃんの結婚・退職ということで、これからどうなるのだろうか。ドラマとはわかっていても感情移入して、親のような気持ちになっている。
輝明が都古ちゃんの結婚をどう受け止めるか、母の里江は、兄夫婦の結婚を例に話をする。結婚して仕事を辞めて新しい家族を作ることはその人にとって「いいこと」と輝明に説明する。すると、「僕も、結婚するの?」と輝明に聞かれて、母が絶句する場面では泣いてしまった。
都古ちゃんの結婚パーティー当日、輝明が都古ちゃんに花束を渡す場面では、視線を合わさず、前を向いたままぶっきらぼうに渡してしまう。感極まって泣きだす都古ちゃんに「どうして泣いているの?」「いいことなのに」と言う輝明。そして「都古ちゃん、僕がかわりに笑ってあげる」と、じっと都古ちゃんを見つめながら笑うシーンでは、またまたティッシュの山ができた。火曜日の夜は涙と鼻水のオンパレードだ。
ドラマ向けに脚色してあるが、自閉症について知るだけでも、このドラマには見る価値があると思う。
輝明の毎日の生活は順序正しい。家族と顔を合わせると必ず挨拶をする。外から帰ると必ず手洗い・うがいをする。「お風呂の温度は39度…」とお風呂に入る前につぶやく。都古ちゃんへの手紙は1日1通、必ず4行である。そういったことが自然に表現されていて、演技だとわかっていても微笑ましく感じる。
また、金銭出納帳をつけていて、残高もきちんと計算できるのだ。文字も子ども程度の漢字を交えたものが書けるし、周囲の思惑を感じ取る能力や、感情表現が乏しいことをのぞけば、普通の人となんら変わりないように見える。だが、家族や理解ある友人、社会の協力がなければ生きては行けないという、悲しい現実はどうしようもない。
輝明は出勤途中の信号待ちで、いつも出会う自転車の男性に必ず挨拶をする。最初は驚いていた男性も、今では男性から声を掛けてくれるようになった。そこにも何気ない暖かさを感じる。これはドラマだからであり、実社会ではこういう理解ある人たちばかりではなく、まだまだ輝明のように自由に振舞うことはできないであろう。
彼の動物園での仕事は、テンジクネズミの飼育だが、見学者にテンジクネズミの説明もする。教えられた餌作りは、定規を当てて正確に切るなど、ガンコなところがあり、周囲も混乱していたが、だんだんと職員の理解が得られるようになってゆく。しかし、都古ちゃんの結婚・退職ということで、これからどうなるのだろうか。ドラマとはわかっていても感情移入して、親のような気持ちになっている。
輝明が都古ちゃんの結婚をどう受け止めるか、母の里江は、兄夫婦の結婚を例に話をする。結婚して仕事を辞めて新しい家族を作ることはその人にとって「いいこと」と輝明に説明する。すると、「僕も、結婚するの?」と輝明に聞かれて、母が絶句する場面では泣いてしまった。
都古ちゃんの結婚パーティー当日、輝明が都古ちゃんに花束を渡す場面では、視線を合わさず、前を向いたままぶっきらぼうに渡してしまう。感極まって泣きだす都古ちゃんに「どうして泣いているの?」「いいことなのに」と言う輝明。そして「都古ちゃん、僕がかわりに笑ってあげる」と、じっと都古ちゃんを見つめながら笑うシーンでは、またまたティッシュの山ができた。火曜日の夜は涙と鼻水のオンパレードだ。
ドラマ向けに脚色してあるが、自閉症について知るだけでも、このドラマには見る価値があると思う。
私は続き物をつい敬遠してしまうのです
ツレアイは人を誉めない人間なのですが、めずらしく
草薙君の演技を誉めていました
新聞も、好い感触で書いていた様です
もちろん草剪剛の演技のよさもあるのですが、あまり悪人というのがいなくて、腹を立てずに見ていられる。
でも、実際にはこうはいかないだろうと、自閉症の子供を持つ親御さんの苦悩が推し量られ、自分の幸せを改めて感じます。
今週はnobuyoshi65さんと同じで
「僕も、結婚するの?」と
「都古ちゃん、僕がかわりに笑ってあげる」のシーンではグッときてしまいました。
ただ気になったのは
>自閉症の子供を持つ親御さんの苦悩が推し量られ、自分の幸せを改めて感じます。
のコメント。
相手の苦悩が推し量るのは素晴らしいのですが、それで自分の幸せ感じるの気持ちがわかりません・・・・。
幸せって比べて感じる事ですか?
自閉症の子供を持つ親御さんに比べて、大した苦労もなく、毎日平々凡々ノホホンと暮らしている自分は幸せだと思うことは間違っているでしょうか。そう思うことで感謝する気持ちを持ちたいと思うのですが…。
私の思い上がりかもしれませんが、自分が幸せと思えないでは、人の苦しみを推し量る気持ちの余裕は生まれないと思います。
また、ご意見を伺いたいと思います。ありがとう。
自閉症の子供を持つ親御さんの前でそう仰ってみてください。
自分の幸せを感じるのはとても良い事です。
だけど、
「苦労」してるから幸せじゃない、とか
「苦労」してないから幸せなどと
他人が勝手に決めるのは失礼です。
苦労の中にも喜びもあります。
あなたは優しい人だと思います。
おっしゃってる意味もわかります。
でも文章で的確に表現するのは難しいものです。
だから、
>自閉症の子供を持つ親御さんの苦悩が推し量られ、自分の幸せを改めて感じます。
ではなくて、
>自閉症の子供を持つ親御さんの苦悩が推し量られます。
にとどめておいた方がよいと思うのですが・・・・・。
確かに幸せか不幸かなんて、他所から見て分かるものではないですね。まして比べることなんて失礼なことだと自省しています。
言葉を選ぶことに慎重になるべきだと、今後気をつけたいと思います。
ご指摘有難うございました。