予報では朝方は晴れて、午後から曇りのち雨となるという。照るのか曇るのか、気を持たせる今朝の空。
先日、花の写真を撮るとき、ぶれないように膝を曲げ中腰になってガードレールに両肘をついた。「あっ、体が揺れる。ガードレールが壊れているっ!」 慌てて体を起こして、ガードレールを揺らしてみた。「あれっ、何ともない!」 そう、自分の体がふらついていたのである。歩いても座ってもふらつくわが老体、なさけなくて!
最近、ブログを更新するたびに語彙力不足を痛感する。「語彙力」とは、ただ単語や言い回しを記憶しているだけじゃなく、それらを適切に選び、使うことができる力のことだとか。
語彙力には、①語彙の量:どれだけ多くの言葉を知っているか。 ②語彙の質:状況に応じて、それらの単語を適切に選び、使えるかどうか。の2つの側面があり、これらを掛け合わせることで語彙力は決まるという。
語彙の量を増やす方法は、◦さまざまな人との対話 ◦幅広いジャンルの読書 ◦多様な経験
語彙の質を高める方法は、実際に覚えた単語や言葉を会話や文章中で使うこと。様々な年齢、性別、職業の人と会話をすると、より多くの語彙を使う練習ができる。また日記やブログを書く・読書感想文を書く・Twitterに投稿するのも良い。実際に書いたり話したりするうち、使用語彙が増えていくし、辞書を引きながら書けば、新しい表現を覚えやすいという。
しかし最近は、辞書を引くのも大儀だし、それにその時は覚えたと思っても翌日にはもう忘れている。パソコンのデータのように上書きや、新・旧や要・不要の記憶が整理できればいいが、私の脳の記憶容量はもう限界にきているのかもしれないなあ。
10年くらい前までは、毎日でもブログ更新はできた。それが今は3日に1回が限界だ。自分の言いたいことをどう表現すればいいか分からなかったり、適切な表現が使えたかどうか自信がなくて、ネットの辞書などで確認することが多くなった。要するに語彙力不足と表現力の低下であろう。一事が万事そんな状態だから、ブログの更新に時間が掛かるのも当然だろう。
最近、新聞やネット記事にやたらカタカナ表記の言葉が多くなった。IT・デジタル関連で短く省略したカタカナ語はしかたないにしても、言葉を省略したり短縮して、カタカナ表記する若者言葉はチンプンカンプン。
先日、テレビで「トリセツ」なる言葉を初めて聞いた。何じゃこりゃ! ネットで調べたら「取扱説明書」の略で、漢字で書けば「取説」。新語かと思ったら10年くらい前からいわれていたという。こんな略語は他にもたくさんあるそうで、何も知らないのは私だけか?
最近は不明なカタカナ語を見つけたら忘れないうちにメモしておいて、パソコンを開いた時に検索することにしている。が、それも何日かすればもう記憶にない、ということの繰り返しである。
ある学者が言っている。私たちが1日の終わりに「その日あったとても平凡な出来事」を記憶しているのに、数日後や数週間後にはそれらの出来事はもう忘れている。それは経験してすぐの状態では脳が「その記憶が重要か重要ではないか」の区別を付けられないからだ。「忘れることは、重要なものかそうでないかを判断する、脳のフィルターとしての役割を果たしている」と。もし「脳のフィルター」の取り換えが可能ならば、認知症になる人はいなくなるのに…ね。しかし私のように80年以上も酷使すれば「脳のフィルター」も劣化するのは当たり前だよね。
最近はおっしゃるように、雪崩のように記憶力も語彙も衰え、同い年のオールドレディさんが眩しく羨ましい限りでした。謙遜されているのは分かっていても少しホッとしました。
身体が先行しましたが、順調に頭も追随してます。悲しいです・・。
前頭葉機能能力低下は言語だけでは有りませんね。
読み書き計算現状で不便無ければ「善き事」と嘆かないでおきましょう。
oldレデイさんの鋭い批判や分析ブログ記事筆力の衰えは見えませんよ。
ネット検索で済ませる世の中の変化!
せめて仲間外れにならないように、頑張りましょう
脳の老化は年相応、いやそれ以上かも。右で聞いて左を向いたらもう消えているって、脳のフィルターは目が粗すぎますわ。
昔と違って世の中が複雑になって、脳もてんてこ舞いしているでしょう。が、まだ脳が動いているうちは大丈夫。考えたり戸惑ったり、しっかり脳を使うことがボケ防止かと。
昔から数字に弱くて…。が、必要なのはお金の計算、それさえできれば大丈夫でしたよ。
前回のブログで教えて下さった花の名前、もう忘れてしまいました。ブログを開いて「そうか、そうか」、でも翌朝にはもう頭のなかは真っ白。
ブログもすらすらとはいかず、ネット辞書やサイトの手を借りながらやっと書き終えても、読み返してはまた気になるところが出てきて考え込む。まあこういうことが脳の刺激になるのかも。が、脳のフィルターが目詰まりしっぱなしでしょうね。