昨日、今話題になっている佐村河内守(敬称などつけたくない)の謝罪会見を徹底検証するというテレ朝の番組を、途中から少しだけ見た。私が彼のことを知ったのは、2013年3月に放映された「NHKスペシャル 魂の旋律 ~音を失った作曲家~」である。だが、世間一般でいわれているような感動はあまり覚えなかったというのが正直な気持ちで、内容もはっきり思い出せないくらいの印象でしかない。
私に人間の真贋を見極める能力などあろうはずもない。が、今にして思えば、彼に何やら胡散臭いものを感じていたのだろうか、すべてが虚構であったと聞いても、さほど驚きもしなかった。NHKスペシャルの中にあったかどうか、記憶にないのだが、彼が作曲に行き詰まって、何度も何度も頭を壁に打ち付けるシーンや、彼の風貌が、何となくオーム真理教の教祖・麻原彰晃を連想させて、あまりいい印象は持てなかった。
この騒動の全容を掲載している「ニコニコ百科」の記事中に彼のプロフィールがあるが、これが事実なら「壮絶な人生」という表現も誇張ではない。が、それもどこまでが真実で、どこまでがウソなのか、これは本人しか知り得ないことである。また、耳が聞こえないということ、杖をついて歩く不自由な足のこと、作曲についてなどなど、虚構で飾った彼のすべてを、妻は本当に何も知らなかったのだろうか。ともに生活している妻の前で演技し続けた彼の緊張感たるや大変なものだったろう。
新垣隆氏は「もう止めよう」と何度も言ったという。が、佐村河内は「もう止めようといったのはこれまでに1回だけ」と、両者の言い分は真っ向から対立している。が、新垣氏が本当に止めたければ、もう作曲しなければすむ話である。佐村河内に脅かされていたようにも思えないが、18年間も作曲を続け、それを売り渡して金銭を得ていたというのも不可解な話である。
憶測でモノを言うのはよくないが、新垣氏は自分が作曲した曲が世に認められ、高く評価されるようになって、感じたのは世間を欺きとおした罪悪感だけだろうか。『交響曲第1番 HIROSHIMA』があまりにも有名になり、また、ソチ五輪でフィギュアの高橋選手が新垣氏の作曲した「ヴァイオリンのためのソナチネ」を使用することになり、佐村河内の評価は一段と高まった。
だが、楽曲がどんなに高く評価されても、自分の名前が表に出ることはない。常人なら嫉妬心や焦りを感じるはずである。新垣氏は、世間を欺いたことで受けるバッシングよりも、自分が作った曲で佐村河内が世に認められ賞賛されることの方が耐えられなかったのではないだろうか。
ただの罪悪感だけなら、社会的立場やもろもろのリスクを考えると、公表せずに2人だけの秘密として永久に口をつぐむめばよかったのである。だが、新垣氏は、どんな形であっても自分の曲であることを世に知らしめたい。公表するなら、高橋選手が曲を使うことで話題になった今しかない、と決断したのであろう。その心境は理解できなくもないが、世間を騙したことへの代償は大きかろう。
記者会見の様子をニュースでみたが、佐村河内の前に手話通訳者がいたとは、言われるまで全く気付かなかった。それは健常者と同じように違和感なく意思の疎通ができていたということであり、やはり耳は聞こえていたのだろう。が、詐欺罪にもならないそうだから、これ以上騒いでもしかたあるまい。
天下のNHKを初めとするほとんどのマスコミが佐村河内に踊らされて、その上、今度の記者会見では200人以上が集まり、2時間半も1人芝居に付き合わされた。一体、何を知りたかったのか。犯罪を立証できないのなら、もう放っておけばいい。注目されて喜んでいるのは佐村河内だけではないか。
役所の難聴係だけなら「障害者」と騙し切れても日本中を
相手にしては無理ですよ。
一種の「人格障害」っぽい感じがします。
天下のNHKも同罪なんて大衆にも胡散臭さを見抜いている物事をよく弁えた老女の存在を知らせてやらねば。
聞こえないと本人が言えば信じるよりないのだろうか。よくも厚かましく姿を見せたものです。
それをまた仰々しくマスコミが騒ぎ立てる。目立ちたがり屋のかれにしたら、いい気持ちだったでしょうね。
それも犯罪を立証することができないと分かっているから言いたい放題のし放題。あきれます。
★sirousagigamanohoさま
HNKの番組はことさら大げさに作られていたように感じました。誰も彼の行動に違和感を覚えなかったというのが信じられません。
長髪を切って、サングラスを外した顔はそこいらにいるただのオッサンです。この人にまんまと騙されたマスコミってバカみたい。