患者7人「安楽死」か。丁寧な診察、強い責任感、住民が信頼を寄せていた医師に何があったのか。新聞によれば、富山県射水市民病院の男性外科部長が、2000年から昨年までに、末期がん患者ら7人の人工呼吸器を取り外し、死亡させていた可能性があるという。
この病院には、回復の見込みがなく死期が迫っている患者に対する「終末期医療のルール」は存在しなかったためか、この行為に対して「まだ犯罪かどうかは分からず、警察へ届けただけで、告訴告発をしたわけではない」と、病院長は自らの判断を示すことは避けた。
法的評価は、「家族の希望で人工呼吸器を外した」とすれば、薬物投与などによる「積極的安楽死」でなく、延命治療中止による「消極的安楽死」に当る可能性が高いという。
1995年に起きた、東海大病院事件で横浜地裁は、消極的安楽死について「尊厳性を保って自然な死を迎えたいという患者の自己決定権」などを根拠に許されるとし、条件として①死が避けられない ②患者の意思表示か、患者の意思を推定できる家族の意思表示―などを挙げた。
今回のケースは「いずれも末期」であり、①の条件に当てはまる可能性があり、②についても「いずれも家族の希望で、家族の同意はカルテに記載されている。うち一人は家族から本人の意思を確認している」というが、道義的には問題であるという。また、外科部長は「患者のため。尊厳死だ」と述べており、法的な判断は微妙である。高齢化社会の今、終末期医療の問題は、今後さらに論議されなければならない重要な検討課題であろう。
私事であるが、1989年5月に、私の姉の主人つまり義兄が、突然、腹膜原発性の肝臓ガンという宣告を受けた。もって半年、早ければ3ヶ月と言われ、健康そのものの義兄に思いがけないガン宣告とは、家族の嘆きは見るにたえなかった。
岡山医大へ即刻入院、手術、放射線治療、抗がん剤投与と過酷な治療を続けたおかげで、1年を経ても命永らえていた。退院許可が出て、本人の希望で会社へ復帰し、このまま元気になるのかと思われたが、やはり半年ほどで再び入院した。それからはもう回復の兆しは期待できないとされ、自宅近くの病院へ転院した。家族の希望で、私が東京の日本医科大学へ行き、丸山ワクチンの投与申請をし、半年ほど投与を続けた。一時は食欲を出て、回復したかに見えたが、やがて年末に危篤状態となった。だが、ろうそくの燃え尽きる前の一瞬の炎のように、奇跡的に意識がもどり、笑って正月を迎えることができた。
しかし、三が日過ぎてからはとうとう意識もなくなり、人工呼吸器など色々な器具に繋がれた哀れな姿になった。担当医の懸命な治療に姉も満足し、義兄に尊厳ある死をということで、家族一同の申し出で人工呼吸器を取り外してもらった。やがて義兄は1999年1月6日享年49歳の若さであったが、眠るように安らかに旅立っていった。
このようにあらゆる治療の甲斐もなく、末期を迎えた患者に尊厳ある死をという信念で、家族全員の了解のもと、万全の配慮をもって行った安楽死なら、私は許容されていいと思っている。患者本人、家族でなければ終末期の苦悩は分からないから。
続きはまた明日、少し尊厳死について話したいと思う。
この病院には、回復の見込みがなく死期が迫っている患者に対する「終末期医療のルール」は存在しなかったためか、この行為に対して「まだ犯罪かどうかは分からず、警察へ届けただけで、告訴告発をしたわけではない」と、病院長は自らの判断を示すことは避けた。
法的評価は、「家族の希望で人工呼吸器を外した」とすれば、薬物投与などによる「積極的安楽死」でなく、延命治療中止による「消極的安楽死」に当る可能性が高いという。
1995年に起きた、東海大病院事件で横浜地裁は、消極的安楽死について「尊厳性を保って自然な死を迎えたいという患者の自己決定権」などを根拠に許されるとし、条件として①死が避けられない ②患者の意思表示か、患者の意思を推定できる家族の意思表示―などを挙げた。
今回のケースは「いずれも末期」であり、①の条件に当てはまる可能性があり、②についても「いずれも家族の希望で、家族の同意はカルテに記載されている。うち一人は家族から本人の意思を確認している」というが、道義的には問題であるという。また、外科部長は「患者のため。尊厳死だ」と述べており、法的な判断は微妙である。高齢化社会の今、終末期医療の問題は、今後さらに論議されなければならない重要な検討課題であろう。
私事であるが、1989年5月に、私の姉の主人つまり義兄が、突然、腹膜原発性の肝臓ガンという宣告を受けた。もって半年、早ければ3ヶ月と言われ、健康そのものの義兄に思いがけないガン宣告とは、家族の嘆きは見るにたえなかった。
岡山医大へ即刻入院、手術、放射線治療、抗がん剤投与と過酷な治療を続けたおかげで、1年を経ても命永らえていた。退院許可が出て、本人の希望で会社へ復帰し、このまま元気になるのかと思われたが、やはり半年ほどで再び入院した。それからはもう回復の兆しは期待できないとされ、自宅近くの病院へ転院した。家族の希望で、私が東京の日本医科大学へ行き、丸山ワクチンの投与申請をし、半年ほど投与を続けた。一時は食欲を出て、回復したかに見えたが、やがて年末に危篤状態となった。だが、ろうそくの燃え尽きる前の一瞬の炎のように、奇跡的に意識がもどり、笑って正月を迎えることができた。
しかし、三が日過ぎてからはとうとう意識もなくなり、人工呼吸器など色々な器具に繋がれた哀れな姿になった。担当医の懸命な治療に姉も満足し、義兄に尊厳ある死をということで、家族一同の申し出で人工呼吸器を取り外してもらった。やがて義兄は1999年1月6日享年49歳の若さであったが、眠るように安らかに旅立っていった。
このようにあらゆる治療の甲斐もなく、末期を迎えた患者に尊厳ある死をという信念で、家族全員の了解のもと、万全の配慮をもって行った安楽死なら、私は許容されていいと思っている。患者本人、家族でなければ終末期の苦悩は分からないから。
続きはまた明日、少し尊厳死について話したいと思う。
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「尊厳死と安楽死。ふたつの違いがわかりますか?」という記事です。
問題は、状況を設定し、もしあなたが医師だとしたら、どんな行動をとるかを問います。
回答の選択肢が5つあります。
答えは→ http://q-q.at.webry.info/200603/article_94.html
他にも500問ほどのクイズがあります。退屈で死にそうな折りにどうぞ。
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