今日は主人が出張。そこでウヒヒな気分でレンタルスタジオを借りた。
弾いているときは夢中になっているが、いざ録音して聴くと必ず見つけることがある。その第一号が「不自然なでこぼこ」。弾く時は強調したかしないかほとんど分からないような状態で弾いていたはずが、録音では見事に「強調しました」と言わんばかりの不自然な山が割り込んでおり、その山のせいで流れがせき止められたりしている。そして音が少ないところほどそういう落とし穴が目立つのだからおそろしい。あえてさりげなく弾く(本当は意図ありありなのだが)ことによって、でこぼこにしたくないところではでこぼこでないように聴こえるようにする、ということが必要だとつくづく思う。曲の「要注意地帯」の発見と対策が大切ですね。
そして第二号が「意図に逆らう重さ」音符の多いところや軽やかにしたいスタッカートに生じやすい現象。軽やかにしたいという意図に反したぼてぼての音。そういうところもさりげなく軽やかに聴こえるようにしたいと思うのだが、スタッカートなどにして弾むようにすると、なぜか落ちるほうが強調されたりしやすいのですね。ダウンではなくてアップな感じにしたいのに~。
書いているうちに思った。これは自分の演奏の「洗練さからの距離」を語っていると。考えずに弾くとかならず生じてしまう「洗練さからの距離」。いや、考えていても生じますね、とくに「強調したい」と思ったところなどが要注意。しつこいぐらいの力みのはいったしこりのような山になっていたりなんかする。(ちなみにここで言う「洗練さ」というのは、優雅、高尚というような意味ではなく、「ごく自然に聴こえる」ということを指している。)その対策としては、現段階での自分の演奏の「洗練さからの距離」を自覚し、距離を縮めるためにちゃんと考えていろいろ試してみることしかないようだ。その試行錯誤の結果「距離がない」ように弾ける状態が発見されたら、その弾き方をインプットさせ考えなくてもある程度そのように弾けるようになるところにまで慣れされると。しかしそれはまず厳しそう。弾きながらちゃんと考えることができることのほうが大切かもしれません。
他のパートの方たちにも置いていかれないようにしなくちゃ~。呼吸も考え、演奏しやすいように弾かなくちゃ~。
置いていかれていると言えばショパコンの一次予選の鑑賞。一部録音があるようなのでうれしい。二次予選からは楽しみたい。
弾いているときは夢中になっているが、いざ録音して聴くと必ず見つけることがある。その第一号が「不自然なでこぼこ」。弾く時は強調したかしないかほとんど分からないような状態で弾いていたはずが、録音では見事に「強調しました」と言わんばかりの不自然な山が割り込んでおり、その山のせいで流れがせき止められたりしている。そして音が少ないところほどそういう落とし穴が目立つのだからおそろしい。あえてさりげなく弾く(本当は意図ありありなのだが)ことによって、でこぼこにしたくないところではでこぼこでないように聴こえるようにする、ということが必要だとつくづく思う。曲の「要注意地帯」の発見と対策が大切ですね。
そして第二号が「意図に逆らう重さ」音符の多いところや軽やかにしたいスタッカートに生じやすい現象。軽やかにしたいという意図に反したぼてぼての音。そういうところもさりげなく軽やかに聴こえるようにしたいと思うのだが、スタッカートなどにして弾むようにすると、なぜか落ちるほうが強調されたりしやすいのですね。ダウンではなくてアップな感じにしたいのに~。
書いているうちに思った。これは自分の演奏の「洗練さからの距離」を語っていると。考えずに弾くとかならず生じてしまう「洗練さからの距離」。いや、考えていても生じますね、とくに「強調したい」と思ったところなどが要注意。しつこいぐらいの力みのはいったしこりのような山になっていたりなんかする。(ちなみにここで言う「洗練さ」というのは、優雅、高尚というような意味ではなく、「ごく自然に聴こえる」ということを指している。)その対策としては、現段階での自分の演奏の「洗練さからの距離」を自覚し、距離を縮めるためにちゃんと考えていろいろ試してみることしかないようだ。その試行錯誤の結果「距離がない」ように弾ける状態が発見されたら、その弾き方をインプットさせ考えなくてもある程度そのように弾けるようになるところにまで慣れされると。しかしそれはまず厳しそう。弾きながらちゃんと考えることができることのほうが大切かもしれません。
他のパートの方たちにも置いていかれないようにしなくちゃ~。呼吸も考え、演奏しやすいように弾かなくちゃ~。
置いていかれていると言えばショパコンの一次予選の鑑賞。一部録音があるようなのでうれしい。二次予選からは楽しみたい。