いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

勘とダンス

2010年10月26日 | 日記
 帰り道お隣に住まれている方にお会いし、何気なくお話していたら、「ピアノを買うの?」と尋ねられた。びっくりした。最近全くそういう話をしていなかったのになぜそう思われたのだろう。あまりの勘の鋭さに腰を抜かしそうになりつつ、「なぜお分かりになったのですか?」と尋ねたところ、「前、ピアノを入れている人はいませんか?と尋ねていたじゃない」とのこと。そういえば昨年の冬にそのような話をしたのを思い出した。そしてその方は「もちろん大丈夫よ、全然気にしないでね」とおっしゃってくださった。それにしてもよりによってそうなりそうになったまさにそのときに、このようなことを言われるなんて、なんと絶妙なタイミングなのだろう。自分からそのような話を持ち出してはいたものの、お隣の方の察する力の強さと心の広さに感銘を受けたのだった。
 そして自分は知らず知らずのうちにいろいろとしゃべっているんだと認識した。自分がしゃべったことについては、ほとんど自覚がなくても、そのことについて人が覚えていることが多々あるというのも認識した。いいことならいいのだが、後になって困りそうなことだったりすると穴に入りたくなる。一方勘や察する力をつけるというのはというのはなかなか難しい。大好きな翻訳家でエッセイストである岸本佐知子さんの『ねに持つタイプ』という本(昔の日記にも書いたことがある愛読書。文庫にもなっていたのでとてもうれしかった)を思い出した。その中に「気がつかない星人」というのがあった。「気がつかない星人」は一言でいえば「ものごとの隠された意味」が読めず、「言外のニュアンス」について鈍感である。そしてときには半年ぐらいたって言外の意味に気づき大人げない行動をとったりすることがあるとのこと。岸本さんは自分のことを「気がつかない星人」だとおっしゃっているが、私もその星人に近いところがある。学生時代はそれでは本気でいけないと思い、そうならないためにテーマを見つけ論文を書いたりしたこともあるのだがあまりそれが効果をなしているようには思えない。。。これは実に奥深い問題なのだ。そして、自分のことはさて置き、「気がつかない星人」から程遠く心優しいお隣さんを心から尊敬している私である。彼女のおかげでかなり気が楽になった。これに甘えてはいけないとは思うのだけどありがたいのは事実。ありがとうございます。
 
 そういえばダンスが周囲で話題になっている。ジャズダンス、ヒップホップ、エアロビクス、バレー、フラダンス、フラメンコ、ベリーダンス、ソシアルダンス、バロックダンスなどいろいろなダンスがある。意外だと思われると思うのだが、私もピアノ再開前の20代中頃、ジャズダンスを習っていた時期がある。体を鍛えたかったのと、イマドキのお洒落な雰囲気を味わいたかったから。ジャズダンスは激しいだけではなく、手や足の動きが繊細で好きだった。腕や手を裏表に半回転させながら往復させる動きがとくに好きだった。ハードな先生は全身からエネルギーが放出しながらあちこち飛びまくっていた。はじめはきつかったけど慣れると却って激しいほうが快適な気分に。自分よりも若い子たちに交じって下手ながらも楽しく踊っていた。挙句の果てに背伸びして広島でGWに開かれるお祭りのパレードにまで出たのだが、友人には話していなかったし、母にも恥ずかしいから見に行かないと言われるし、挙句の果てに炎天下の元で踊ったので皮が見事にむけてさんざんだった。これでパレードはこりごりだと思いつつも、教室には通い続けていたのだが、転職して車の免許をとらなくてはいけなくなり、ダンスは中断。それからは全く無縁に。しかしよく考えてみたら、やめたとはいえ、ダンス自体が嫌いになってやめたのではないのですよね。ということは再開もありかな?う~ん。実際に習うのは敷居が高くてちょっと無理だと思うけど、家で音楽かけて体を動かすことならできるはず。その姿はあまり見られたくはないけれどね。ひとまずお隣さんのダンス発表会を見にいこうと思った。