いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

嗚呼ヘ○レ版~

2010年10月19日 | ピアノ・音楽
 アンサンブルも終わり、いろいろな曲を弾きたい気分になっていた。本番で弾くか弾かないか、ということは別に、弾ける曲は確保しておきたいし増やせるものなら増やしたいものだ。しかし本格的に弾こうとしている曲にも向き合わなくては。ベートーヴェンのソナタ5番第1楽章とシューマンの森の情景の「別れ」。ソナタ5番の第1楽章は譜読みをしたという状態、「別れ」は片手づつ譜読み中の状態。どちらもヘ○レ版を用いている。実はヘ○レ版を用いて練習するのは私のピアノ史上初めてのことである。○音が一番親しみやすく使っている時期も長かったのだが春○社版にも魅力を感じだし、版の大切さが分かるにつれて赤い表紙のウ○ーン原典版やショパンと言えばまずこの版と言えそうなパ○レフスキ版を使うようになってきた。そうそう、なぜかペーター○版も使ったような気が。それぞれの版によって指遣いは言うまでもなく、強弱記号、アーティキュレーションなどが異なっていることが多いので、ちゃんと弾こうとしたらベースとなる版は決めたにしてもいろいろな版を見比べるのが理想だと思うようになってきた。そしてヘ○レ版。ドイツ系の曲なら必ず言及されるこのヘ○レ版。弾きにくいところがあるとも言われているヘ○レ版。しかし弾きにくいにしろなんにしろ、ヘ○レ版にはいかにもと言ったような本格的なイメージが漂っており、そんな本格的な版を使ったことがない自分は遅れているような気がしていた。今回でついにその遅れから脱出できるということでわくわくしながら練習を始めたのだが、「弾きにくい」という噂は真実だと思える面がいくつか見つかった。その最たるものが指遣い。例えばソナタ第5番の第1楽章の10小節目右手のD(レ)の音が4の指になっている(写真の赤丸で囲んだところ)のは前からのつながりを考えたら非常に弾きにくい。二小節後の12小節目のD(レ)(写真の青丸で囲んだところ)は和音になっているので4の指でも弾きやすいのだが。おそらくヘ○レ版では12小節目との関連から10小節目のD(レ)の音も4の指にしたのだと思われるのだが、わざわざ切れやすいような指遣いでなくてもいいのにと思った。それでなくても弾きにくいのにますます続けて弾きにくいようになっている。しかしそこを克服して弾くのが本格的な弾き方につながるのだろうか、と思いながらも、ちょっとよその楽譜が気になり園田高広さん校訂の春○秋社版を見てみたら、10小節目のD(レ)は2の指になっていた!そのほうがはるかに続けて弾きやすいではないか。あまりにも弾きやすかったので、楽譜に対する冒涜かもしれないというやましさをすこし感じながらも、4の上に2と書いた。レッスンでも2で弾こうかな?迷い中。ちなみにベートーヴェンの5番第1楽章の他の箇所、そしてシューマンの「別れ」にも難しい指使いのところが数か所あった。4や5を厳しいのにも関わらずくぐらせるようなところがあるように思えた。たった2曲の楽譜から言うのはあまりにも安直で短絡的だと思うのだが、それがヘ○レ版の特徴なのかしら。本格的な楽譜だとよく言われているだけあり、その指遣いが、音楽的効果を狙ったものである可能性もあるので、安易に変えようとは思わないものの、どういう根拠でそういう指遣いになっているのかが気になるし、より自分にとって弾きやすい指遣いがありそれが音楽的にもよい決断になるのなら、変えることもありそうな気がしている。

 ちなみに現在のマイブームはシューマンのピアノ五重奏曲。イェルク・デムスのピアノとバリリ四重奏団のCDで聴いているが、曲も演奏も本当にすばらしくてほれぼれした。それにしてもあのデムスさん、お若い時は(いや、今もです(汗))こんなに素敵な演奏を残されていたのですね。特にピアノ五重奏曲が好き。シューマンと言えば過激な印象を持たれるかもしれないが、この曲はダイナミックで普遍的な雰囲気に満ち溢れているように思えた。第1楽章はとてものびやかで温かく生命感にあふれ大地を抱きしめているような感じがする。暗いけれど奥深い感情を表した第2楽章も素晴らしい。熱く心のこもった語りかけが印象的だ。今年出会った好きな曲の上位に入った。youtubeにも入っています。