いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

想像し意思を持って弾けば

2010年10月30日 | ピアノ・音楽
 今日はトリオのレッスンの見学に行ってきた。大人のよく弾かれる方たちから子供たちまで。大人の方はベートーヴェン、シューマン、メンデルスゾーンのピアノトリオで、レッスン前の演奏から迫力満点。音楽鑑賞みたいだった。子供たちは古典派のオリジナルもの、私がステップで弾いたようなアレンジものを弾いていたが、しっかり練習しているし、小さい体であんなに音がでるのかと思えるぐらい音もしっかり出ていてえらいしすごいと思った。
 それでもレッスンなので指摘がちゃんと入る。ヴァイオリン、チェロの方からびしばしと指摘が入っていた。特にヴァイオリンの方(某交響楽団の楽団員で実力派の若者)のアドバイスは効き目抜群に思えた。弦楽器とピアノとは音の出方や持続のあり方がまったく違うからか、異文化間交流みたいだった。「f、pとff、ppは別格。f、pはノーマルだがff、ppには何かがある」「弓の動きを見てタイミングをつかむ」「旋律のラインを感じる」「ペダルに要注意。音が溶け合うように」「和音を弾く前にどのような音で弾こうかしっかり想像してから弾く」「曲がどんな様子、感情を表しているか感じる」「二音続く時は二番目の音に注意」「音の伸ばし方、どこできれたか明確に」「音には方向がある、この方向を表現しよう」「呼吸を合わせて三人で音楽を作り上げよう」など、厳しくて的確に思える指摘が入り、とっても勉強になった。これを実行するとなったらかなり難しそうなのだが。「和音を弾く時はどのような音で弾くかしっかり想像してから弾く」という指摘は、ベートーヴェンソナタ5番第1楽章の出だしにも該当しているので参考になりそう。「この曲はどのような様子、感情を表しているかしっかり感じよう」という気持ちの面からのアドバイス一つでもかなり音が変わったのも印象的だった。しかしどの方もレガートには苦しんでいたような気がする。難しい曲を弾いていた方たちも、つなげるべきところすべてでちゃんとつなげて弾いていたとはいえなかったから。物理的に難しいところがたくさんありそうだもの。そのように聴こえるように他声部の力、気の力、意思の力も借りているような気がした。(自分のことは棚にあげて書いています)
 あと弦楽器って、弓を強くこすりつけたからと言って大きな音がでるわけではないのですね。ピアノも叩きつけさえすれば響くのではない、ということと一緒だと思った。

  家に帰って練習。「和音の前には想像」をまず心がけてみた。それからつなげてつなげて弾きにくい旋律、とくに片手で二声になっていて4や5の指でしか弾けそうになさそうな旋律も、体の使い方などの技術をマスターすることのみではなく、ここは絶対にフレーズとしてつなげようという意思をもって弾けば、少しはつながって聴こえやすくなるかもしれないと思った。

デパートの階段の踊り場

2010年10月30日 | 気になる場所、風景
 今横浜市内の某デパートでは北海度展をやっています。ものすごい人たちでした。催し物があるときは人口密度が5倍ぐらいになるのですが、今回は10倍ぐらいになっていて、どこに何のお店があるのか地図でも見て探さないと分からないおしくらまんじゅう状態でした。広島市にいた時は北海道展に行くと必ずパ○ラギ牧場のソフトクリームをいただくことにしていたのですが、今回もありました。他に本格的なアイスの店があり、見たところそちらのほうが繁盛していたようなのですが、ある年ミルクと砂糖だけしか使っていないという真っ白で純正なパ○ラギ牧場のソフトのファンになり、今となっては北海道展=パ○ラギ牧場のソフトクリーム、という等式ができるぐらいの位置に。今日もいただきました。初めて食べた時の新鮮さはちょっと薄れたかもしれませんが、無駄なものが一切省かれたミルクと砂糖だけの味は健在でした。食べながら周りの人たちを観察。どうもライバル社(勝手につけました)のアイスを手にしている人がたくさんいるようです。なんだか面白くありません。しかしパ○ラギ牧場だと分かる真っ白で正統派のソフトクリームを手にしている人もいました。同志だと心の中でつぶやきました。ひょっとしたらライバル社のアイスの味見もしたくなるときがくるかもしれませんが、できたらパ○ラギソフトから浮気しないでいたいという思いです。
 そう、私はソフトクリームを手にしながら落ち着けるところを求めて移動していました。ご覧の通りの人混みなので、座るところには先客たちでいっぱいだったのです。そして階段の前に行き着きました。階段の手すりに寄り掛かったり、階段に座ったり、またはその前で休みの姿勢をしながら、一息つこうとソフトクリームやアイスを食べている人たちがたくさんいました。階段前にあるわずかなでっぱりは人混みからの避難所として適していると直感的に感じたのでしょう。また階段の段は椅子の代用をしてくれるということも直感的に感じたのでしょう。しかし段の椅子よりももっといい椅子があるはずだと思いました。踊り場です。踊り場に椅子があったらそちらのほうがいい。だって本当の椅子だからと思って、階段から踊り場の方に目を向けたのですが、まったく椅子は見当たりませんでした。考えてみたら、普段人がほとんど通らないところに、椅子があっても仕方ないですよね。広島の某デパートの階段も人はほとんど通っていませんでしたが、階によってはトイレがあったりして、まだ華がありました。しかしこちらの某デパートの階段は、本当に普段は全く注目を浴びることのなさそうなさみしそうな階段のように思えました。結局踊り場に向かうのはあきらめ、階段前で休みの姿勢をしながら、ソフトクリームをいただきました。ちょっと残念でしたが、ある記憶がよみがえりました。
 私はデパートの階段の踊り場が好きだったのです。特に上の方の階の暗くて椅子のある踊り場が。結婚前の職場が広島市の中心地にあったとき、そこで昼食を食べていました。暗いなあ、社内で食べればいいのにと思われるかもしれませんね。ちょっとある時期、あることで大失敗をしてしまい、社内で食べにくい状態になってしまいました。その直後に仲良くなった同僚であり友達が、なぜか社外でご飯を食べていて、ときどきでかけていたのがこの踊り場だったのです。暗いしあまりきれいではないし、大体ご飯を食べるようなところではないので、常識的に考えたらちょっとおかしいのですが、私自身そのときはそういうことを考えるどころではなく、とにかくその友達とご飯を食べられるのがうれしくて行っていました。話題は家族から趣味から芸術からなんでもありだし、遠慮も何もなかったような気が。オープンにすることでもないのですが、私にとってはピアノサークルの原点のひとつでもありました。彼女といると仕事以外でもわくわくする世界も持とうと思ったら持てるし、その世界を人とも共有することもできるんだと思えてとても楽しかったです。(考えてみたらこのようなことは当たり前かもしれないし、そう思っている人がたくさんいたと思うのですが、当時の私にとってはこれがかなり大変なことでした。)
 ちなみに今の職場はデパートの階段の踊り場にいけるような場所にはないし、昼休みも社内で集まってご飯を食べています。仕事もなんとか続けられそうです。しかし今日は踊り場を見たおかげでわくわくした思い出がよみがえりました。

(ちなみに広島の某デパートの踊り場からも椅子は撤去されたような気がします。今度帰省した時に確認してみます。)

 明日は台風がやってきそうですが、午前中はでかけたいな。